マダムUAEライフhttps://madam-uae.comUAE(アラブ首長国連邦)の情報をのんびり更新中!Fri, 26 Sep 2025 02:11:47 +0000jahourly1https://madam-uae.com/wp-content/uploads/2023/09/cropped-IMG_5908のコピー-32x32.pngマダムUAEライフhttps://madam-uae.com3232 中東の国々を日本に例えたら後編https://madam-uae.com/%e4%b8%ad%e6%9d%b1%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%80%85%e3%82%92%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e4%be%8b%e3%81%88%e3%81%9f%e3%82%89%e5%be%8c%e7%b7%a8/Thu, 25 Sep 2025 11:30:59 +0000https://madam-uae.com/?p=9405

15.トルコ:愛知県 基本的に中東には含まれないのだが, 中近東というくくりでは中に入るトルコは自動車産業が盛んで何気にGDP世界ランクも結構高い産業国である。トロイの木馬など古代遺跡も多くイスタンブールのブルーモスクな ... ]]>

15.トルコ:愛知県

基本的に中東には含まれないのだが, 中近東というくくりでは中に入るトルコは自動車産業が盛んで何気にGDP世界ランクも結構高い産業国である。トロイの木馬など古代遺跡も多くイスタンブールのブルーモスクなど宗教施設も観光客が必ず訪れるコースの一つである。

愛知県は熱田神宮など神道での重要な宗教施設があり、またいわずとしれた自動車製造業の一大拠点である。また自動車だけでなく航空機を製造する技術力を持っていたりと愛知県は製造産業に強い県。自動車産業・鉄鋼業・航空宇宙産業・防衛産業に強いトルコはトヨタを始めとする自動車産業や三菱重工業が拠点を持つ愛知県のようだ。

保守的な地方の特色とイスタンブールの解明的雰囲気を合わせ持つトルコは三河と名古屋の関係に似ているかもしれない。有名なトルココーヒーはさながらコメダ珈琲をはじめとする名古屋の喫茶店文化だろうか。

世界三大料理との呼び声もある独特なトルコ料理は日本でも異彩を放つ名古屋めし。渥美や知多などリゾート地も多いがトルコの地中海リゾートも欧米人に人気が高い。

三英傑と呼ばれた戦国武将は京の都を脅かし天下をもとったが、トルコもまた中世に欧州を脅かした軍事強国である。

かつての東海道では八里の渡しのルートを持ち、現在でも東名・名神高速道路のハブであり、また東京・大阪を結ぶ日本の大動脈である東海道新幹線を運営するJR東海が本社を置く。トルコもまた古くはシルクロードの時代から今もアジア・ヨーロッパをつなぐ交通の要衝だ。中東・ロシア・コーカサスからエネルギーを欧州に運ぶ役割も持つ。

イスラム教を多数派としながらも世俗主義を是としてスポーツくじなどはオッケーとされているのはグレーなギャンブルであるパチンコ企業を多く生み出した愛知県のようだ。

保守的な地方の特色とイスタンブールの解明的雰囲気を合わせ持つトルコは三河と名古屋の関係に似ているかもしれない。都市化された近代的な部分と三河気質とも称される地方の頑固さを兼ね備える県民性はヨーロッパ化されたイスタンブールと地方の保守的なイスラム教徒を持つトルコだ。

16.ギリシャ:三重県

ヨーロッパにとって神話の里でありパルテノン神殿が丘に聳えるギリシャは日本神道の最高峰である伊勢神宮をかかえる三重県。どちらも今でも多くの巡礼観光客を受け入れている。

幼少より忍びとして鍛えられた忍者の里でもある三重はギリシャのスパルタと重なる。九鬼水軍など海戦でも知られるがギリシャもまたペルシャ帝国と陸に海に闘った国である。

17.キプロス:岡山県

地中海の島国であり、穏やかな気候で観光客を集める島キプロスは、日本で最も天災が少ないと言われ瀬戸内海沿いの穏やかな気候で知られる岡山県だろうか。

吉備の国である岡山県は備前や備中をその領域とする一方で福山市など間に天然障壁を持たない備後の国は広島県の領域とされてしまった。その事により戦後一部地域で市町村の越境合併騒動が起きるなど県境に関する問題が発生したが、キプロスもまた親ギリシャ側と親トルコ側で領域が分断され、首都ニコシアには今でも繁華街の真ん中に国境線(紛争停止ライン)が引かれているのも少し似ている。

18.マルタ:佐賀県

騎士団の国であるマルタは武士道を書物にまとめ、また維新の志士を多く輩出した佐賀県か。戦国時代にも猛将を輩出した武士と騎士の国としての共通点がある。マルタ国内にある首都バレッタの世界遺産は県庁所在地佐賀市から程近い場所にある吉野ケ里遺跡とかぶる。

19.アンダルシア(スペイン):徳島県・高知県

情熱的なフラメンコで有名なスペイン南部のアンダルシア地方もまたかつてもイスラム帝国勢力圏である。陽気な南国のイメージともあいまって阿波踊りとソーラン節という日本で最も有名な踊りの総本山である徳島県・高知県とイメージがかぶる。

カツオなど海鮮料理の美味しさやバルと酒好きの文化も共通する特徴だ。祖谷渓や四万十川など自然豊かな土地だがアンダルシアもまた山がちな自然豊かな土地だ。

地理的には四国と関西を結ぶ鳴門海峡および鳴門大橋という重要な部分を有している一方でアンダルシアもまた地中海とアフリカをわかつジブラルタル海峡があり地中海と大西洋を結ぶ地理的要衝である。

20.モロッコ:石川県

比較的治安の悪いアフリカにあって女性にも人気の観光先であるモロッコは小京都と言われお洒落な文化財や街並みが楽しめる金沢を県庁所在地とする石川県だろうか。辺境な場所に立地しながらも雅な文化を築き上げて、旅行者を魅了しているという点で共通しているように思う。

温泉地や温泉宿でも有名な石川県だがトルコもハマームと言われる大衆浴場文化が存在する。

21.チュニジア:山口県

ローマ帝国時代にハンニバルという名将を生み出したチュニジアは、幕末の維新志士を多く生み出して、創設された日本陸軍の主力を構成した山口県か、日本陸軍伝統の勇猛果敢な銃剣突撃による攻撃はハンニバルの象部隊によるアルプス山脈越えという不可能を可能とした豪胆な戦略と相通じるものがある。

山口県には萩や津和野・岩国の歴史的町並みが残るが、チュニジアもまたチュニスやカルタゴなどに歴史的遺産とともに古い町並みが残る場所だ。

22.スーダン:和歌山県

エジプトと国境を接し、ナイル川上流の国、スーダンはエジプトこと大坂に経済的にも文化的にも強く影響を受ける和歌山県としたい。

近年まで紛争を抱えていたがアラブ圏から外れる南スーダンが分離する形で落ち着くこととなった。そういえば和歌山県の枠組みとなった紀伊の国もその東岸側北部が分かれて三重県に含まれる形となってしまった。

23.エチオピア:熊本県

アフリカ連合の本部があり、アフリカ大陸で唯一最終局面まで国の独立を守ったエチオピアは、明治維新で侍たちが最後まで政府軍に抵抗した熊本県。

阿蘇山に代表されるように大自然のある熊本県だがエチオピアもまたアフリカにあるだけに自然・動物が豊かな土地。

またアフリカでは珍しくキリスト教が主流の国であるが、熊本もまた天草のカトリックで有名な土地である。

24.ザンジバル(タンザニア)・モルディブ・セイシェル・モーリシャス:沖縄県

ビーチリゾートで有名なタンザニアのザンジバルもかつてはオマーン海洋帝国の勢力圏でありアラブ世界の一部を形成してきた経緯にある。

ザンジバルに劣らず新婚旅行先として有名なモルディブ・セイシェル・モーリシャスなど、リゾートステイでの目的地として人気なこれらの国々は気候温暖で海が楽しめる沖縄県。

ザンジバルはクイーンのボーカルであるフレディマーキュリーを輩出したが、沖縄もまたSPEEDや安室奈美恵などなど著名な音楽家を何十人も輩出した県である。

25.アルメニア:山梨県

シナイ山を故郷の地としてあがめるアルメニアは富士山の登山口となり、富士山を中心に観光開発されている山梨県か。

交通系企業を中心に甲州商人・甲州財閥として出身起業家達が強い力を持っていた時代もあるが、アルメニアもまたアメリカにおいてユダヤ系ロビーの次に強い力を持つロビー勢力といわれるほど。小国ながら国外移民者ネットワークによる力は決して無視できない影響力を保持するのだ。

26.ジョージア:長野県

アルメニアとも隣接してコーカサス山脈南麓の標高の高い国であるジョージアは日本アルプスが聳える長野県か。

山岳国でありレスリングや格闘技の世界で多くの名選手を輩出するジョージアだが長野県もまた雷伝という伝説の力士を輩出した場所であり、戦国時代には真田家が北部の上田市に本拠を構え、天下分け目の戦いの戦況を左右した。

ジョージア国内にはソ連時代からの経緯によりアブハジアなど国内分裂の火種を多く抱えるのだが、長野県もまた長野市を中心とする県北部、松本を中心とする県央部や県南部で交通の便の悪さからいまいちまとまりのない地域という部分で共通する。

27.アゼルバイジャン:秋田県

アメリカと並んで世界で最も古くから油田開発の歴史があるアゼルバイジャンは、日本の戦前の一大石油産出地帯であり日本のエネルギーを支えた秋田県。アゼルバイジャンもかつて世界で最も多く産出する地帯であり第二次世界大戦ではナチスドイツにも狙われた国。両者にとって街中の石油を汲み上げるポンプ機器は見慣れた光景だ。

またバクーなどアゼルバイジャンの街自体もシルクロードの隊商宿キャラバンサライの名残をとどめる歴史ある街として世界遺産となっているが、秋田の角館も古くからの武家屋敷町の雰囲気を強く残す町並みとなっている。

アゼルバイジャンは美人が多いことも特徴的だが秋田県も言わずと知れた美人どころだ。濃い白色の乳頭温泉郷はアゼルバイジャンの石油に入る黒色の石油風呂文化と対照的だ。トルコ同様にアゼルバイジャンにもハマームと言われる大衆浴場文化がある。

28.トルクメニスタン:青森県

カスピ海を挟んでアゼルバイジャン対岸の国トルクメニスタン。あまり知名度がないが独裁国家で実際あまり詳しい情報はみつけにくい国でビザもとりにくい他者をよせつけない雰囲気は本州最北端の青森県ではないだろうか。

独特の津軽弁は余所者にとっては非常に難しい上に、下北半島の恐山やイタコ文化は余所者にとってはなかなかハードルが高い。恐山には三途の川にかかる橋というのもあるが、一方でトルクメニスタンもまた地獄の門という地下から湧き出る天然ガスにより永遠と燃え続ける巨大な穴があり、地獄の雰囲気を醸し出している点で共通するポイント。

29.ウズベキスタン:栃木県

中央アジア屈指の観光大国。

飛行機によるアクセスはあまりよいとはいえないが、青の都こと世界遺産のシルクロード都市サマルカンドなど旅行先として人気の高いウズベキスタンは世界遺産日光があり首都圏の学校の社会科見学や修学旅行先として定番の栃木県だろうか。

歴史的にもかつてユーラシア一帯の覇者となり帝国を築いたティムール帝国の拠点地域であり、彼の墓も存在するのだが、日光もまたかつて日本の覇者となった徳川家康の墓がある。

栃木は新幹線の通る都道府県だが、ウズベキスタンもまた意外にも新幹線の稼働している国だ。

30.カザフスタン:新潟県

鉱物や石油天然ガスが豊富で資源大国のカザフスタンはガス田や発電所が多くあり日本のエネルギーを支えている新潟県。

カザフスタンは中央アジアでも最も北に位置するだけあって天候はかなり寒冷で厳しいが新潟もまた豪雪地帯として知られている地域だ。

31.タジキスタン・キルギス:山形県

日本人と似た顔立ちの人も多い両国はシルクロード沿いの山国。小国でアクセスもよくないのであまり知られていない辺境国の一つ。ヒマラヤ山脈の連なりの中にあって標高も高い両国は出羽三山や山寺など山に宗教的意味合いがある山形県。

中国・カザフスタン・ウズベキスタン・アフガンと良くも悪くも存在感のある国に囲まれた結果、なかなか奥深い国であるにも関わらず、いまいち存在感を発揮できない国である。

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近年のISの台頭と壊滅作戦、クルド民族問題、シリアのアサド政権や化学兵器、ドローンによるサウジアラビア製油所爆撃、ホルムズ海峡タンカー襲撃、イラン革命防衛隊精鋭部隊の司令官暗殺、アフガン駐留米軍の撤退とタリバン支配、ガザ ... ]]>

近年のISの台頭と壊滅作戦、クルド民族問題、シリアのアサド政権や化学兵器、ドローンによるサウジアラビア製油所爆撃ホルムズ海峡タンカー襲撃イラン革命防衛隊精鋭部隊の司令官暗殺アフガン駐留米軍の撤退タリバン支配、ガザ紛争、イスラエル・米軍イラン核施設攻撃とイラン・イスラエルによるカタール攻撃などますます混迷を深める中東情勢

エネルギー安全保障ともからむだけに日本とも密接な関係があるが, 中東地域の国々には馴染みがないし, 何が何だかという人もいるかと思う。

そこで今回は多数の個人的な偏見を含みつつも中東各国のキャラクターを日本の都道府県に例えて紹介してみたい。

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1.UAE:東京都

武家社会で質素な首都のアブダビは東京の霞ヶ関・永田町・日比谷・赤坂

高級ショッピングモールやナイトスポットの多い開放的なドバイの新市街は東京の銀座・新宿・渋谷・表参道だろうか。

歴史的経緯から各首長国の独自性が強いのが特徴のUAEではドバイ・アブダビ以外の首長国に出かけると一転してのどかな昔ながらの様子も見られることができ, 一つの都道府県ながら西の八王子や離島を抱えて様々な側面のある東京都のイメージ。

またドバイの旧市街である下町地区は入り組んだ路地で構成され上野・御徒町・浅草・池袋・秋葉原のような活気ある商店街地区である。

そして博物館・美術館のあつまる上野公園は昔ながらの街並みをお洒落に整えたバスタキヤ地区

中東三大航空会社のうちエミレーツ航空エティハド航空という二つの世界的航空会社を持つ交通拠点でもあり、頻繁に多数の新幹線・飛行機が発着する東京駅・羽田空港のようだ。

京や大阪と比べると新しい街になる江戸だが, UAEも近年独立した比較的新しい国である。

東京の下町にそびえるスカイツリーはドバイのダウンタウンにあるブルジュハリファだ。

2.イラン:京都府

古くから都として栄えた歴史ある京都。イランは古代のペルシャ帝国をはじめとして伝統文化が多彩な国。この地域での文化の覇者であったが、京都も日本の伝統文化をリードする町だ。

今の湾岸アラブ国家はイランと対立しているが例えばUAEが誇るグランドモスクでは世界最大のペルシャ絨毯をかつては売りにしていたことからもわかる通り本来文化的には深い繋がりがあるのだ。

ペルシャ文学は古くから栄えたが京都も平安時代などの古典文学を代表する場所だ。

またアメリカをはじめとする世界最強級国家にナチュラルに喧嘩を売りに行くスタイルは東京や大阪など日本最強クラスの都道府県さえナチュラルに見下してしまう京都人さながら。

京都府は宇治や福知山や天橋立など地方も面白いが, テヘランだけでなくイスファハーンなど首都以外にも見どころの沢山あるイランのようだ。

京都市は山に囲まれた盆地として有名だが、イランの首都テヘランもまたザグロス山脈などに囲まれた盆地である。

3.バーレーン:神奈川

保守的なアラブ圏にありながら非常に開放的な雰囲気の国。ガルフで最も早くから石油が採掘されていただけあり, 欧米文化に対して寛容的。日本に例えたらかつてペリーの来航により開かれた港で栄えた神奈川だろうか。

湾岸諸国にも関わらずお酒を飲むことができるなどナイトライフが充実しているため週末ともなればサウジアラビアから首都のマナーマ周辺に夜遊びに来る不良アラブ人で溢れるのは横浜や川崎の繁華街といったところ。

平日にはサウジアラビア東岸の石油産出地帯で働く外国人労働者が週末に大挙として両国を結ぶ橋に押し寄せて渋滞を作るのはさながら首都圏の通勤ラッシュだ。

また米海軍の中東地域を管轄する第五艦隊の母港があるのはさながら第七艦隊の母港のある横須賀だ。

かつては世界的な真珠取引の拠点でもあったバーレーンだが, 横浜も外資系企業が多く立地しており横浜港は国際的な貿易拠点である。

真珠商人の集まった世界遺産地区ムハッラクは神奈川の古都鎌倉か。エデンの園とも言われるほどこの地域では豊かな土地であるバーレーンだが箱根や横浜・鎌倉など遊興先として人気なのも共通。

元々は東京と同じ武蔵の国である神奈川県。日本では東京大阪に次ぐ第三の県と呼ばれつつも所詮東京の首都圏に過ぎないと言われるが地元民の自尊心は高い。一方でバーレーンも過去にはUAEと一緒の国として建国しそうになったが寸前のところで離脱して一人立ちとなった経緯がある。

4.イスラエル:兵庫県

外資系企業が多く立地している近代的雰囲気はさながら神戸のよう。イスラエルもまたハイテクノロジーを売りとする企業ベンチャーの盛んな国だ。かつては杉原千畝ビザによるユダヤ人難民たちが一時的に滞在していた場所でもある。

また瀬戸内海側と日本海側で異なる顔を見せるのもパレスチナ自治区という異なる顔のあるイスラエルだ。

そして情報機関やマフィアが有名で不安定要素を抱えながらもセキュリティが厳しすぎて中途半端な悪ははびこらないのは、日本最大の暴力団を抱える兵庫県か。

拠点を置く三菱重工に代表されるように軍需産業に強いのも共通するポイント。

5.エジプト:大阪府

ピラミッドを求めて観光客が多く訪れるエジプトはコロナ前の数年インバウンドで訪問客急上昇していた大阪。ほかのアラブ国の民とは違って単に商売上手なだけでなく人付き合いがうまいこてこてスタイルは大阪のミナミ風だ。

都市のすぐ近くにテーマパークのようなピラミッドがあるのはUSJというディズニーリゾートとも競合するほどのテーマパークを持つ大阪だ。

洗練されたアレクサンドリアの港は堺であり、ナイル川スエズ運河をもつ水の国でもあるが, かつて水路が縦横に走り水の都とも称された大坂のようだ。

アラブ諸国では最も早くに兵庫県ことイスラエルを国家として承認した国はお隣の存在だ。

かつてはアラブ世界における政治・経済のリーダーであったエジプトは世界で最も早く先物取引市場が発達しかつて日本の経済活動の中心地だった大阪のようだ。

6.サウジアラビア:鹿児島県

アラブを代表する国家であり超保守的な国。日本で言ったら著名な維新志士戦国の猛将を沢山輩出した鹿児島だろうか。火山灰など過酷な気象環境を生き抜く根性も備えるのは灼熱の砂漠にいきぬくベドウィンだ。

保守的でありながらアメリカと仲良いのは薩英戦争を経て欧米から学ぼうとした薩摩を思い起こさせる。共通する気質は我慢強さや、無骨さ、頑固さといったところだろうか。

西郷隆盛など、近代日本の政治や軍事の礎となった鹿児島はイブンサウドやオサマビンラディンを排出し現在のアラブ世界で名の知られた人物を特に輩出したサウジアラビアだ。

7.クウェート:長崎県

湾岸戦争でイラクの侵攻により国が一度は廃墟と化したとは思えない発展ぶりのこの国は奇跡的ともいえる原爆からの復興の道を歩んだ長崎県。

かつてダウ船の造船所がそこら中にあり槌の音が国中に鳴り響いて栄えたこの国だが長崎もやはりまた三菱グループの源流ともいえる三菱重工の造船所をはじめとして様々な企業の造船所を持つ。

長崎の出島は鎖国していた江戸時代に海外との交易窓口であったが、クウェートもまたスエズ運河ができるまでは地中海とインド洋を繋ぐ重要な交易拠点であった。

中東ではバーレーンに次いで米軍の駐留が多いこの国は佐世保のようだ。

8.イラク:福岡県

かつて古代文明が栄えた神話の国は邪馬台国の存在も噂される福岡県。

大宰府をはじめとする古代文化でも有名だが、イラクではチグリス・ユーフラテスと二つの大河を抱える恵まれた立地条件からメソポタミア文明が栄えた。

数々の戦争当事者となったこの国は多数の指定暴力団が本拠を置き修羅の国とも啓容される福岡県。イラクでは世界各国から一攫千金を夢見た出稼ぎ労働者が命の危険に晒されながらも米軍基地などの軍事施設で働いている。

治安はすこぶる悪いが、同じく治安の悪い国として有名なアフガンと異なるのはその豊富な地下資源である。中東湾岸諸国同様に巨大な石油資源を抱えるこの国だが、福岡県もかつては炭鉱の地下資源開発が盛んな地域であった。

 9.カタール:埼玉県

世界一つまらない町として有名なドーハ。

本当は遺跡とか色々あるのだけれども, 他の国と比べて超保守的でもなければ超革新的でもない。外国人移民が高いのもアラブ諸国の代表的な特徴であり, アラブ国家の平均的な国といえる。そんなカタールは日本の平均値とも言われる埼玉県。

実は歴史的古墳とかありつつも観光面では人気のない埼玉はまさに日本のカタール。空気を読むのに長けて温和でサポートが得意な埼玉県民らしくアラブとその他の利害対立国との橋渡し的存在として一目置かれる存在でありながら、時には両方から仲間外れにされてしまう事もある悲哀の国だ。

何気にアルジャジーラという中東一有名なメディアを抱えるこの国はNACK5という人気ラジオで関東全域に影響力を持つ埼玉県か。埼玉ではプロサッカーが人気だが, ワールドカップ初出場を逃したドーハの悲劇の舞台もここ。また2022年のワールドカップ開催国でもある。

中東三大航空会社の一つであるカタール航空を持つ国だが, 交通博物館があり東日本全域に向かう新幹線路線網の一大拠点である埼玉県。

10.アフガニスタン:広島県

南アジアに分類される事もあるので中東に含めるかどうかは賛否あるが, もし例えるとしたら広島県ではないか。

帝国の墓場とも言われるこの国はその時代その時代の覇権国が侵攻した結果頑強な抵抗により落ちぶれる原因を作った国

国内最大の暴力団である山口組の進出さえ退けた広島ヤクザのようである。国内には地元の民兵組織や地方軍閥などが群雄割拠している結果、ソ連やアメリカすらよせつけない状況と化している。多数の民族を抱えて様々な武装集団(かつたいてい一枚岩ではない)を抱えてドラッグの産地でもあるこの国は気軽に手を出してはいけない地帯となっている。

11.パキスタン:岐阜県

イギリス統治時代にはインドと同じ国扱いであったが, 一つの独立国である。山に囲まれて風の谷とも言われ、ナウシカのモデルと言われる村もあるほど安全だった時代に旅したシニアのバックパッカーには人気だった場所である。一時期は君の名は聖地巡礼でも話題となった。

そんなパキスタンは奥飛騨の山々を抱え、白川郷・飛騨高山など伝統の残る街も多くある岐阜県ではないだろうか。パキスタン人はまだまだ民族衣装を着る人が多く伝統を大切にする気質。

山々を超えていくトラック運送業では派手に着飾ったデコトラが非常に有名だ。岐阜県も西濃運輸をはじめトラック運送業が強い県。

またアフガンからソ連を追い出す主役となったムジャヒディンと呼ばれるイスラム戦士たちを育てた国でもある。岐阜県も天下分け目の関ヶ原の戦いの舞台となり、また斎藤道三織田信長など戦国時代において中心となった土地でもある。

12.ヨルダン:島根県

世界的な観光地であるペトラ遺跡を持つ。戦争の多い中東の中ではイスラエルが隣接しながらも比較的まったりした空気。

中東屈指の観光国。ドバイやクウェート・カタールなどが作られた観光国家であるのに対して元来の伝統的遺産を利用するタイプ。都道府県に例えるなら出雲大社など伝統的な建築物を持ちながらもいまいち存在感のない島根県だろうか。

13.レバノン:静岡県

かつて地中海をわがものとした海の民であるフェニキア。開放的な雰囲気のある港町でもありながら後背地には山脈がそびえ立っている。山と海を抱える国でレバノン杉が特産であった。

伊豆下田を持ち海沿いの開放的な気質でありながらも、富士山南アルプスを抱えて大井川鉄道など山の側面もある静岡県はレバノンのようである。

中東のパリとも称され過ごしやすい気候のレバノンはサーフィンなども楽しめるリゾート地として静岡県がしっくりくる。

レバノンはカルロス・ゴーンをはじめとする著名な経営者を輩出したが、静岡県もまたトヨタの初代となった豊田家をはじめホンダスズキヤマハなど世界的に有名な起業家・企業を輩出した。

レバニーズレストランは中東で幅を利かせるアラブ料理の元祖的な存在でもある。

14.オマーン:奈良県

古くからの文化を大切にする国。

性格は攻撃的・保守的・開明的でもない自然と調和した生き方をしている気がする。アラブ圏では文化遺産も非常に多く観光に訪れる価値は十二分にあるのだが, サウジアラビアやUAEの陰にいつも隠れがちなのは京都や大阪に隠れがちな奈良県のよう。

実は東アフリカなども含めてかつてインド洋にかなりの規模を誇った海洋覇権国家だったのも、かつては平城京で日本の都として栄えた奈良県と共通している。

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【ビルマの村と少数民族】ビルマ縦断の旅:本編その9:パガンで村巡りhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%81%ae%e6%9d%91%e3%81%a8%e5%b0%91%e6%95%b0%e6%b0%91%e6%97%8f%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8/Thu, 25 Sep 2025 11:07:26 +0000https://madam-uae.com/?p=10113

ミィンカバー村

若者達と別れて散策を続ける。パガン地域で面白いのは仏教遺跡だけでなく途中途中に村があって地元の人達の生活の場所があるところ。主要な道から一本それればすぐにそういった光景に出くわすのだ。

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トイレらしき小屋?道端では子供達が遊んでいるのが定番だ。この村はオールドパガンとニューパガンの間にあるため一番有名だろう村。名前をミィンカバー村という。

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お祭りなのか儀式で使うのか鶏の巨大模型を作成中だ。

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適当に進んでいたら何やら藪の中の道に迷い込んでしまったようだ。

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そんな道なき道を進んでいってもパゴダが当たり前のようにあるのがパガンの凄いところでもある。

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ちゃんとした道にでてきた。ミャンマーのローカルなバスはこんな風にトラックの荷台一杯に人が敷き詰まるまで乗せられる。自分がマンダレーで体験したようにこの状態でスコールに襲われると横からの雨でびしょびしょになってしまうのだ。

そしてミャンマーの英雄アウンサン将軍アウンサンスーチー女史の父親にしてミャンマー独立の志士である。ミャンマーは少数民族問題で騒がれる事も多いが各地の少数民族からミャンマー国家形成の合意を取り付けたのも元はこの人の力によるものだ。(死後にミャンマー政府が約束を破ったりしたため関係がこじれるのだが。)

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タテェーカン村

ニューパガンを通過して内陸側からニャウンウー方向へ進む途中に横道へそれると沢山の村がある。その一つがタテェーカン村である。

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東南アジアで縦床式住居を見かける事は決して珍しくない。縦床式住居における床下は家畜がいたり, 主婦達が談笑していたりと有効に使われている事が見ていて多い気がする。タイのように進んでいる国の地方では床下に自動車が置かれている事もある。

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手作りの揺り籠で幼子があやされている。こういったところで村人に挨拶すると笑顔で返してくれるのもミャンマーを好きになった理由の一つだ。

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村にはやはりパゴダもあるし, 小学校もあった。

ミンナントゥ村

次にまた別の村であるミンナントゥ村へ。

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良い感じの喫茶店を発見したのでしばし一休憩。観光業に従事する人も多いのか英語が達者な人もいた。

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喫茶店の横には絵画が販売されている。

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昨晩パガンへ入った時の検問らしきところ。ここで入域料をとられた。

適当にブラブラしていると, 村の奥で何故だか近代的な団地のようなところにきた。人はほとんど住んでいないようだが, まだ工事中の感じだったので, こうした居住区が今建設されているのだろうか。ただし車庫の屋根だけ何故か茅葺きなのが面白い。

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色々な側面を見せてくれる国である。

ニャウンウー

この後はニャウンウーという町にある市場を訪問。

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食料品から雑貨やらお土産物まで。市場の床はキンマという嗜好品の噛みたばこを吐いた後で赤く染まる。。。

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この地域で造ったタバコを売っているというのでお土産にいくつか購入。

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適当に進んでいたら川まで出てきてしまった。ここでも子供や若者が遊んでいる。

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村には図書館もあった。残念ながらこの時間は閉館しているようで中は見られなかった。図書館を出ようとしたら子供が通せんぼ。

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場所に乗る白人達。こんな村にも少数だが観光客は来ているようだ。

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広場では凧揚げをする子供達。あるあるトラブルである電線に凧を引っかけてしまったようだ。

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日本も昔は子供が子供(弟・妹)の世話をする国として知られたが, 今のミャンマーもかつての日本さながらに子供達の面倒を見てあげている。

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村の働き者。

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夕焼けの中でバレーボール。

自分は村を出ていく方向に進んでいくのだが, 昼間は遺跡周辺で働く人達や馬車の馬達が仕事を終えて続々と村へと帰っていくのだが、それらをすれ違いながら自分もホテルに戻る。

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首長族の女性が布を織りながら販売している。ただこれについては大変複雑な気分でもある。首長族を輩出する部族は元々ミャンマー・タイ国境付近に居住している。ほかにも国境付近には沢山少数民族がいるのだが, 首長族だけ国際的な知名度が圧倒的に高いため観光資源にもなる存在なのだ。そのためこのパガンチェンマイなど観光客が集まるような場所では見世物かのごとく働いている様子をしばしば見かける。

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【ビルマの合コン】ビルマ縦断の旅:本編その8:ミャンマーの若者達との交流https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%81%ae%e5%90%88%e3%82%b3%e3%83%b3%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%98/Fri, 19 Sep 2025 17:24:24 +0000https://madam-uae.com/?p=10111

街を電動自転車で回りつつ気になっていた船着き場に行ってみた。そこはマンダレー等からのボートが発着する場所。 マンダレーから船で移動する事も考えていたので気になったのだ。 船は地元の人達の足となっているようだ。行商なのか沢 ... ]]>

パガン巡り

街を電動自転車で回りつつ気になっていた船着き場に行ってみた。そこはマンダレー等からのボートが発着する場所。

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マンダレーから船で移動する事も考えていたので気になったのだ。

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船は地元の人達の足となっているようだ。行商なのか沢山の食料を抱える人も。

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道中には軍事学校のようなところもあった。

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そして道端の小さなパゴダが何となく気になってふらりと寄ってみた。そこではパゴダの前で地元の若者たちが円になって座っている。何をしているのかと尋ねると仕事の休憩時間なので皆でゲームをしている最中なのだそうだ。

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はじめ何のルールか分からなかったが, どうやら音楽が鳴り響く間に順番に帽子を渡していって音楽が止まった瞬間に持っていた人が罰ゲームを受けるルールのようだ。ロンジーを履いているのでこういった日常風景が物凄く絵になるのもミャンマーの良さである。

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罰ゲームの内容は色々あるみたいで愛の告白らしき事をしたり, 結婚式の再現をしたりオカマのマネをしたり異性に食べ物を食べさえてやるなどのようだった。ただし女の子側には拒否権もあるみたいで断ると代わりにほっぺたに絵を描かれるみたいだ。それではあまり罰ゲームの代わりにならないような気もしたが。。。

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純朴なミャンマー人らしく素朴ながらもワクワクする青春を感じさせられるひと時であった。若者同士のお遊びとはいえ結婚時期の早いミャンマー人にとってはこういうところから生まれる夫婦もあるのかもしれない。小一時間ほど輪の中に滞在したが最後には自分もビルマ美女に指名されて結婚式の入場シーンや社交パーティの再現をやらせてもらい時間を忘れて楽しんだ。そして皆と記念撮影, 連絡先を交換してお別れしたのであった。

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【世界三大仏教遺跡】ビルマ縦断の旅:本編その7:パガンで再びの慰霊碑https://madam-uae.com/%e3%80%90%e4%b8%96%e7%95%8c%e4%b8%89%e5%a4%a7%e4%bb%8f%e6%95%99%e9%81%ba%e8%b7%a1%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae/Mon, 15 Sep 2025 16:30:40 +0000https://madam-uae.com/?p=10109

マンダレーからバスに揺られて日付けが変わる頃の深夜, パガンに到着した。街に入る前には検問のようなところで観光客として入域料を支払った。ホテルの予約などしていなかったため他の人達が降りた場所で一緒に降りてみた。受付で尋ね ... ]]>

パガンへ

マンダレーからバスに揺られて日付けが変わる頃の深夜, パガンに到着した。街に入る前には検問のようなところで観光客として入域料を支払った。ホテルの予約などしていなかったため他の人達が降りた場所で一緒に降りてみた。受付で尋ねると空き部屋があるそうなのでチェックイン。

深夜はよく分からなかったが朝になるとお洒落な中庭もあってなかなか良い場所だ。

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次の目的地としてネーピードーへ行こうかと考えていたのだが, ヤンゴンと大差ない料金と残りの日数と出発時間を勘案して結局当日夜のヤンゴン行きバスチケットを購入した。 

パガン散策

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ホテルで電動自転車を借りて街を散策。パガン地域はオールドパガン, ニューパガン, ニャウンウー及びその他の村々で構成される。各地が微妙に距離が離れているため電動自転車が人気の足となっている。そしてこの地域一帯に仏教遺跡が点在しているのだ。

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電動自転車で走ればすぐに仏教遺跡が見つかる。

上に登れるパゴダがあるから連れて行ってやるよとよく声が掛かるのだが, 絵描きのようで頂上で絵を販売していてそれを買ってもらいたいようだ。別に押し売りというわけではないようだが, 案内して貰うと断りづらくなるので遠慮しておいた。ピンウールウィンでは珍しがられて大歓迎されたものの, 世界遺産でもある一大観光地のパガンでは流石に日本人だからといって特段珍しいわけではないようだ。

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大きい寺院の中へ入ってみる。寺院の入り口は土産物コーナーだ。

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一角には本屋もあった。女性教育の必要性を訴えたマララヒラリー・クリントンなど女性の本が目立つ中, 最も多いのはやはりミャンマー民主化の象徴であるアウンサンスーチ女史の本だ。観光客向けに英語の本が販売されている。

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東西南北四方向それぞれに表情の異なる大仏が建つ。

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そして寺院の裏庭的なところで発見したのが日本兵の墓マンダレーヒルで昨日見かけたので二日間連続での遭遇だ。

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こんな観光地においても, やはりミャンマーでは日本との深く複雑な歴史的つながりを感じざるをえない。 

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【世界最長木造橋】ビルマ縦断の旅:本編その6:アマラプラhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e4%b8%96%e7%95%8c%e6%9c%80%e9%95%b7%e6%9c%a8%e9%80%a0%e6%a9%8b%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%96/Sun, 14 Sep 2025 15:57:59 +0000https://madam-uae.com/?p=10107

マンダレーからアマラプラへ移動する。 道には大きな牛が。 観光地となる橋の前には織物屋や屋台がひしめく。 橋の入り口までやってきた。木でできた橋の上にはロンジーを履く地元の人達でいっぱい。 セルフィーを片手にす ... ]]>

アマラプラへ

マンダレーからアマラプラへ移動する。 道には大きな牛が。

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観光地となる橋の前には織物屋や屋台がひしめく。

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橋の入り口までやってきた。木でできた橋の上にはロンジーを履く地元の人達でいっぱい。

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セルフィーを片手にする中国人団体観光客もいれば僧衣をまとった僧侶の姿も。もちろん地元の子供達も沢山見掛けた。

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子供達は橋から飛び込み遊びに熱心。

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対岸に到着。少しだけ見て回ってからまた元の場所に戻る。

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マンダレーのバスターミナル

夕方は幻想的な雰囲気。

この後マンダレーのバスターミナルへ戻ってくる。これからパガンへバス移動だ。

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 まだ時間は残っているので近くのレストランで夕食 。

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夜八時半頃パガンへ向けて出発するのであった。

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【翡翠市場の博徒達】ビルマ縦断の旅:本編その5:シャン州からマンダレーへ帰還https://madam-uae.com/%e3%80%90%e7%bf%a1%e7%bf%a0%e5%b8%82%e5%a0%b4%e3%81%ae%e5%8d%9a%e5%be%92%e9%81%94%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae/Mon, 08 Sep 2025 18:36:15 +0000https://madam-uae.com/?p=10105

朝5時頃にホテル前へ出るとマンダレー行きのバスが待っていた。 出発も覚えていないほど眠気に襲われていて, 気付いたら日もすっかり上りピンウールウィン付近でマンダレーまで後少しというところ。 途中小規模のバス停留所のような ... ]]>

ティーボーからマンダレーへ

朝5時頃にホテル前へ出るとマンダレー行きのバスが待っていた。

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出発も覚えていないほど眠気に襲われていて, 気付いたら日もすっかり上りピンウールウィン付近でマンダレーまで後少しというところ。

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途中小規模のバス停留所のようなところへ寄ってからマンダレーのバスターミナルに到着。

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そのままマンダレーヒルへ行ってみることにした。途中には竹でできた橋が。

正面ゲートっぽいところから登ろうかと思ったが, 結構時間がかかるそうなので地元の人達と一緒に乗り合いトラックの荷台に上がる。これが満員になるまで出発しないのだが, 待っている間にスコールがやってきて服の中までびしょぬれになってしまった。屋根はついているのだが, 風が吹いていると横から雨がどんどん入って来るのだ。

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日本の電車の一人分の席の半分ぐらいしか自分のスペースがないほど満員になってからトラックで山頂付近まで連れていかれ, そこから更に上へ階段を登っていく。土足厳禁のため下駄箱に靴は預けていった。

この蛇は触るとご利益があるのか大人気であった。

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頂上はこんな感じ。絶景の眺望!と言いたいところだが, スコールを起こした雨雲に覆われてほとんど何も見えなかった。それでもブラブラ時間を潰していると徐々に雲が薄れてきて, 眼下の街が見えるようになってきた。

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各像にはお供え物が沢山だ。

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そして太平洋戦争ビルマ戦線における戦没者の慰霊碑。ビルマ戦線は兵站を無視した無理な作戦のため前線の兵士は過酷な戦いを強いられた。インド兵やミャンマー兵も動員されていたはずであるし, 巻き添えを食った一般人もいた事だろう。今回はカンチャナブリの泰緬鉄道, 援蒋ルートのゴッティ鉄橋と続いてとかく過去の戦争と向き合わざるを得ない旅である。

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墓守の方と一緒に黙祷を捧げる。そして最後に墓守の方に少しばかりお金を包んでから, マンダレーヒルを下まで降りていく。来るときは車で車道の頂上まで乗せて貰ったが, 帰りは靴を手に持ちながら, このまま自分の足でふもとまで下ってみることにした。

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なにやら地獄寺のようなものも途中にはあった。延々と続いていく階段を下っていく。

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オセロのようなボードゲームを楽しむ地元の人達。下の方は観光客が少ないためミャンマーらしいまったりした空間が広がる。ただし, 途中で野犬が通路を阻んでいるためこれを乗り越えていかないとならないのが難点だ。

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途中途中で遭遇する大仏。そしてやっと下の正面玄関口のようなところへ到着だ。巨大な獅子(狛犬?)が座すなかなか立派な門構えである。

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到着したところでまた雨脚が強まってきたため, 雨宿りしているとタクシーを申し出るものが話しかけてきたので値段交渉。

25,000キャットとミャンマーの物価を考えればとても高い値段設定だったが, ものすごいスコールの中で他のタクシーを探し歩くのも気がひけたため値段交渉の末で夜までのチャーターとして最終的にお願いすることとした。

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チーク材による木造建築が印象的なシュエナンドー僧院。東南アジアらしさが出ているデザインがなかなか恰好良い。

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東南アジアらしいレリーフ。ここには靴を脱いでいかなければならなかったのだが, 雨の中土の上を歩いて行ったため, 汚れた足を井戸の水で洗い流す。

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そしてまた少しばかり市内を走って, 翡翠市場へとやってきた。門のところに外国人は入場料2500kyatsとデカデカと掲げられている。それなりの数の旅行者が訪れるのだろう。

だが門を入っていくと, この日の午後は休みだったのか門番小屋のようなところにも誰もおらず, 特に取り立てられることもなかった。

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市場の中の店は半分くらいは閉まっていたが, それでも一部開いている店があったので歩いてみて回る。基本的には翡翠の原石からブレスレットのようなものに加工して販売しているようだ。

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休みの日だけあって普段はここで働いている従業員が市場の中のビリヤード場などで遊んでいる。

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なかには加工作業をしている職人たちの姿もあった。

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なお職人は別として取引をしている商人たちはほとんど中国系の顔立ちをしていた。一帯一路を掲げる中国の波が押し寄せてきているどころか, 飲まれつつあるほどの勢いを感じた。これは人権問題で欧米が支援の手を引いてしまった事で中国の独壇場になってしまったのも大きな要因だろう。だからこそどちら側でもない友好国である日本の独自の立ち位置が重要になってくるとも言える。

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サイコロをお椀に投げ入れて博打のようなことを楽しんでいる。

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 春巻きらしきものを食べて市場を後にした。

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【シャン州藩王に謁見】ビルマ縦断の旅:本編その4:ティーボーにて帰れなくなり藩王の屋敷へhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%82%b7%e3%83%a3%e3%83%b3%e5%b7%9e%e8%97%a9%e7%8e%8b%e3%81%ab%e8%ac%81%e8%a6%8b%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d/Sun, 07 Sep 2025 08:16:56 +0000https://madam-uae.com/?p=10103

ゴッティ鉄橋を通り過ぎて次なる大きめの町であるキャウメではバスや鉄道に乗ってマンダレーへ戻る旅行者が多かったようだ。キャウメでは列車のすれ違いもあるためだろうかしばらく停車。 トラック一杯に積載された俵。改造車なのだろう ... ]]>

ビルマ鉄道旅

ゴッティ鉄橋を通り過ぎて次なる大きめの町であるキャウメではバスや鉄道に乗ってマンダレーへ戻る旅行者が多かったようだ。キャウメでは列車のすれ違いもあるためだろうかしばらく停車。

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トラック一杯に積載された俵。改造車なのだろうかエンジンがむき出しである。  

自分はこのまま乗り続けてティーボーへ向かう。ゴッティ鉄橋から進む事数時間。

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午後三時頃だったろうか, ティーボーへ到着する。駅にはこれまでの途中駅とは異なりちゃんとしたプラットフォームがあった。

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市場へ向かいながら, マンダレー行きのバスを探す。最初どっちの方向へ行けば良いのか分からず, 駅の周りをうろうろしていたのだが, 地元の人に声を掛けられて, 教えて貰った。やはり優しい人の多い国。

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小さな町には不釣り合いの高層ビルのような建物もある。中国に近いから一帯一路の影響もあって資本がどんどん入ってきているのだろうか。

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バスを見つける前に市場を発見。寄っていくこととする。

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市場は屋内型だが木製だ。周りには青空市場も。

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食料品よりも雑貨がメインの品ぞろえだ。

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市場を出て近くでやっとバスを発見。だが, 運転手らしき人に聞くと今日の運行は終わったとの事。

え、聞いていた話と違うぞと思ったが, どうやら事前情報が間違っていたようだ。予定が狂ってしまったが, 仕方ないのでホテルを探すこととする。

歩き回ってもホテルらしきものは見かけなかったので, 地球の歩き方を見てホテルの場所へ向かう。宿は料金が500円ぐらい。どっちいしろ他の選択肢もないのでチェックイン。聞くとバスは早朝5時半にホテル前からマンダレー行きがでるそうだ。

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まだ夕方なので街の散策に出る。地球の歩き方に観光スポットとして載っていた藩王の屋敷へ行ってみることとする。橋や寺院の前を通り過ぎて門をくぐる。

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敷地にはでかい邸宅が。

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写真はかつて行われた運動会の様子だとか。 

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藩王の家系の子孫が訪問者に対してシャン語, もしくはビルマ語で説明をしているようだ。 下は日本語にも翻訳され出版されたあるシャン藩王女の物語という本。この主人公は説明者の叔母に当たるのだそうだ。

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 そして驚くことに訪問者が藩王の子孫になんとひざまずいている。どうやらこのシャン州地域では今でも敬意の対象なのだそうだ。

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レストランで夕食。価格表を見たがどうやら外国人は価格が異なる模様だ。5000キャットと300円程度ではあるのだが, ピンウールウィンでは1500キャットだったことを考えると完全に外国人価格だろう。

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【ゴッティ鉄橋】ビルマ縦断の旅:本編その3:世界有数の高さを誇る恐怖の鉄橋を渡るhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%82%b4%e3%83%83%e3%83%86%e3%82%a3%e9%89%84%e6%a9%8b%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae%ef%bc%93%ef%bc%9a/Sat, 06 Sep 2025 10:36:03 +0000https://madam-uae.com/?p=10101

ミャンマーの鉄道駅へ 朝目が覚めると, ホテルの食堂へ行き朝食を摂った。流石に評価が高いだけあって, 食事もそれなりにちゃんとしたものを味わうことができた。 身支度を済ませてチェックアウトすると, 駅までバイクで無料で送 ... ]]>

ミャンマーの鉄道駅へ

朝目が覚めると, ホテルの食堂へ行き朝食を摂った。流石に評価が高いだけあって, 食事もそれなりにちゃんとしたものを味わうことができた。

身支度を済ませてチェックアウトすると, 駅までバイクで無料で送ってくれるとの事。昨夜駅まで歩いた時は25分くらいかかったので, こういったサービスはありがたい。

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到着してお礼を言ってから, 駅舎へ入ると既に欧米人のバックパッカーがおり, 切符を購入するところであった。どうやら自分と同じティーボーが目的地のようだ。

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駅での購入は窓口でやるものと思い, 入った時は閉まっているじゃないかと不思議に思ったが, 駅員が働く部屋に入って, 直接買うのがここでは流儀のようだ。(マンダレーではちゃんと窓口で皆購入していた)

行き先を告げる際に, ティーボーと言っても一瞬通じない様子だったのだが, 何度か連呼すると理解して貰えた。後で調べたところによると現地の人にはシーポーと言われているようだ。

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切符を購入してから, 出発までは30分程あったので, 駅の周りの市場をブラブラする。昨夜行った時はところどころで営業していたものの, なにせ真っ暗であったから全然様子が分からなかったが, 明るいところで見て, やっと規模感などが理解できた。駅前通り沿いに広がる食事屋台とそこから少し路地へ入ったあたりに売り場が広がっていたようだ。

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ミャンマーの人たちが男女を問わず着ているロングスカート, ロンジーは色使いもお洒落でカラフルな市場の雰囲気によく合う。 

あまりゆっくりもしれいられないので, 一通り見て回ってから, 何も買わず駅へ戻る。マンダレーからの列車は大分前に到着していたようで, この駅で1時間近く停車していたようだ。この駅から乗り込むのは地元民と同じぐらい欧米人バックパッカーが多いみたいだ。(何故か欧米人とミャンマー人で別々の場所に固まって待っている様子が印象的であった)

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ミャンマーの鉄道に乗車!

 列車に乗り込んで, 駅とは反対方向を見渡すとアジアのご多聞に漏れず, この国でも線路の上は普通に歩ける道と化している。緑のロンジーは学生だから, 通学路の一部になっているのだろうか。。。

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動き出して速度が出るとやはりそれなりに揺れるが, これは想定済みである。ただし, 驚いたのは窓の外の茂みが近すぎるどころか, 列車に接触してくるため窓枠に腕を休めていると, 容赦なくぶつかり腕が傷だらけになるのだ。また毎回葉っぱが入ってくるため, 降りる頃には床が葉っぱだらけとなっていた。。。

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町の近くでは道路を通過する際に踏み切りもあるのだが, これは電化されておらず, 人力で開け閉めしていた。最も印象的だったのは竹製の踏切である。長い竹の先端に結んだ紐を手繰り竹をしならせて踏切を閉め, 通過したら紐を放すと踏切が開く仕組みのようだ。

町近辺以外にも風景の素晴らしい場所が多く, 朝から夕方まで乗車していたのだが, 全然飽きる事のなかった。別に鉄道好きというわけでもないのだが, のどかで良い鉄道旅となった。

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自分が乗車している一般クラスは, 自分以外の全員が地元民であった。特に年配の女性が多く, 彼女たちが漏れなくタバコの煙をくゆらせているのが印象的であった。ただ, このタバコは自分が運んでいる食料に虫が集まってこないようにする役目もあるようだ。

なお帰ってから気付いたのだが, この路線沿いのティーボーやラーショーといった町近辺以外では外務省安全渡航情報HPにおける区分がレベル2となっている。ビルマ族エリアではないシャン州は独立戦争も過去に起きていたからだろう。もっとも乗車していた身としてはそんな危険性は思いもよらず, 終始のどかな時間を過ごした。

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遂にゴッティ鉄橋へ

朝8時半に乗車してから4時間程経っただろうか, 遂にゴッティ鉄橋近くまで来た。面白いのは列車の進む先に鉄橋を初めて見てから, 結構な時間がかかる事だ。それまでは結構標高の高い場所を走ってきたのか, 鉄橋の標高まで下がるためにつづら折りに進むため, すぐ近くに見えているようでなかなか近づかないのだ。

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また渡る直前にも停車駅があり, 道中の景色として楽しませてくれる。しかも中には銃を持った兵士らしき人の姿もあった。

そうして遂に鉄橋へ入っていくのだが, この頃になると欧米人バックパッカーだろうが, 地元の人だろうが, 関係なく皆手にスマホやカメラを持って撮影をしている。

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以前までは世界第二位と言われており, 現在はよく分からないのだが, 世界有数の高さを誇る鉄橋であることは間違いない。何より驚くべきは, この鉄橋が19世紀に建設されて1900年には開通していたという事実である。

列車は鉄橋の健全性を確かめるように足音を確かめながらゆっくりと進んでいくから, 観光する者にとっても有難い。反対側の山は崖のようになっており, 景色の雄大さを引き立たせてくれる。鉄橋の下では途中, 河も流れており雄大な大自然に対して, 往時に築いた人類の技術が挑んでいくようでもある。

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歴史を背負った鉄橋

なにせ築かれたのは太平洋戦争以前であるし, そもそもこの路線はミャンマーから当時大日本帝国と戦闘をしていた中国への英国からの物資援助に用いられた側面があり, 日本とも浅からぬ因縁を持った建造物でもあるのだ。

戦場にかける橋で高名なタイはカンチャナブリ地域にある泰緬鉄道は中国への物資輸送ルート(援紹ルート)を断ち切ろうと, ミャンマー・インドへ侵攻するための日本軍の移動手段として建設されたが, その用途からいって対極に位置する鉄道と言うこともできよう。

当時ミャンマーの支配者であった英国は, 下ビルマのインド洋に程近い港町ラングーン(ヤンゴン)から建設した鉄道を使い, 上ビルマのマンダレー, そしてこの鉄橋を通り中国国境方面のラーショーへと鉄道輸送し, 更に道路で中国国内へ戦闘のための物資を送り込んでいたのである。

また日本軍がミャンマーへ攻め込んでからは, その機能を破壊せんと攻撃の対象にもなった場所であり, 日本軍占領後は日本の技術者が修理を施した。

そうした経緯を思えば, 世界史においても少なからず重要な舞台になった鉄道路線でもあったのだ。なお間違っても停車駅で降りて, この鉄橋の足元を歩いてはならない。大戦時に埋められた地雷がまだ残っている可能性があるそうだ。

ゴッティ鉄橋のこれから

ここで眺められる壮大な景色やその背負っている歴史と比して, ガイドブック等での扱いはあまり大きくないようだが, ミャンマー東北部有数の観光資源と捉えることもできるし, 平和な時代の今となってはミャンマーの今後の発展のためにも大いに活用していってもらいたいと思えるスポットであった。

建設物としての安全性が心配になる人もいるかもしれないが, JICAや日本の橋脚技術者の支援でこういった鉄橋の安全検査には支援を受けており, 命の心配はないといえる。先に紹介したピンウールウィンの町などと合わせて是非これからその雄大な景色と歴史を楽しんでもらえる行き先の一候補とする事をお薦めしたいと思う。

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アブダビのシェイク・ザイード・グランドモスク|おすすめの観光時間や撮影スポットも紹介https://madam-uae.com/%e3%82%a2%e3%83%96%e3%83%80%e3%83%93%e3%81%ab%e6%9d%a5%e3%81%9f%e3%82%89%e5%bf%85%e3%81%9a%e8%a8%aa%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%84%e3%80%82%e7%be%8e%e3%81%97%e3%81%84%e3%82%b0%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89/Fri, 05 Sep 2025 19:15:24 +0000https://madam-uae.com/?p=3485

アブダビ観光には欠かせないシェイク・ザイード・グランド・モスク(Sheikh Zayed Grand Mosque)の紹介です。この壮大さ、美しさには感動すること間違いなし!UAEにはモスクがたくさんありますが、観光客が ... ]]>

グランドモスク

アブダビ観光には欠かせないシェイク・ザイード・グランド・モスク(Sheikh Zayed Grand Mosque)の紹介です。
この壮大さ、美しさには感動すること間違いなし!
UAEにはモスクがたくさんありますが、観光客が入場できるモスクは数箇所しかありません。
こちらは金曜日の一部の時間を除いて、異教徒が訪れることのできる数少ないモスクのひとつです。
過去には、エリザベス女王も過去に訪れた場所です。

モスク内に入るために

オンライン予約

入場までにオンライン予約が必要です。
こちらはアンケートのような形式で、人数分回答する必要があります。
完了するとQRコードが表示されます。
セキュリティチェックの際やモスクでは部屋ごとにこのQRコードをかざす必要がありました。

服装とマナー

モスクに行く際は服装規定があります。
女性は髪の毛、手足首を隠し、体のラインが出ないよう過度な露出を避けた服装。
男性は短パン、ノースリーブなど過度な露出を避けた服装。
透けている服も禁止となっています。
写真のような服装であればOKです。

服装に注意

以前は無料の貸し出し衣装もあったそうですが現在は無いようです。
モスクの入り口フロアには、お土産物屋さんや雑貨ショップがあるので足りないものがある場合はそちらで購入することもできます。
有料でレンタルも可能です。

・女性用アバヤは45Dh~
・男性用カンドゥーラは50Dh~で貸し出しています。

このモスクの服装規定がなかなか厳しいです・・・
何度か訪れていますが、毎回注意されています。
特に女性の服装規定が厳しいように感じます。
例えば、ワンピースとスカーフで訪れた際には丈がほんのわずか短く、靴下を履くように注意されました。
アバヤ(ムスリム女性のドレス)を着て行った際には、スカーフの巻き方を注意されました。
おすすめは、マキシ丈の長袖ワンピースにスカーフ+ヘアピンです。
アバヤが欲しい場合は、2000円〜で購入できる場所を別記事で紹介しています。

ポーズに注意

また、撮影スポットが何箇所かありますが、写真のポーズにも注意が必要です。
下記写真のように、ピースサインや男女が過度にくっついたものは注意されていました。

予約不要のツアー

モスク内の無料ツアー

モスクでは無料のツアーが1時間ごとに開催されています。
10AM〜8PM(1時間ごと)金曜日は時間が異なる。
予約不要でモスク内が集合場所になります。
ツアーに参加した人だけが入れる場所もあり、タイミングが合えば参加必須です。
約30〜45分程度のツアーで、質問できる機会もありました!

モスクの詳細

いよいよモスク内へ

モスクの正式名称は、シェイク・ザイード・グランド・モスク(Sheikh Zayed Grand Mosque)
これはUAE建国の父である初代大統領の名前(シェイク・ザイード・ビン・スルタン・アル・ナヒヤーン)に由来しています。グランドモスクの建設には11年の年月を要し、完成のわずか3年前にシェイク・ザイードは亡くなってしまいました。
モスクの中庭には彼が眠っているそうです。

注目するべきところはこの美しい建築。
世界中から建築材料やデザイナーが集められて建築されました。
大理石やクリスタル、ペルシャ絨毯などを用いた非常に豪華なつくりになっています。

何トンにも及ぶ巨大なシャンデリアが各部屋に飾られています。
最大のものは重さなんと約 2 トン(天井が外れそう・・・)
最近訪れた際には、このシャンデリアが工事中になっていました。

ツアー参加者はモスクの内部まで入ることができます。
モスクに入る前に靴を脱ぎます。
足元には、約1,200 人の職人により手織りされた世界最大のペルシャ絨毯が敷き詰められています。

メッカに面した壁にはアッラーの99の名前が書かれています。
アラビア語の先生に聞いた話ですが、この名前というのは、例えば、「美しい」「偉大な」などといったアッラーにまつわる形容詞が記されているそうです。
ゴールドとホワイトは蜂蜜とミルクの川をイメージしてコーランに描かれた天国を表しています。

ヤシの木をイメージした柱。
1000本以上が立ち並んだ姿は圧巻です。
時間帯によって、ツアー参加者はほぼ貸切状態で写真を撮ることができます。

こちらはお祈りの時刻を示す時計。
1日に5回お祈りの時間があります。
(なぜ6個時間が書かれているかは、今度質問してみます・・・)
お祈り時間は日の出、日の入りで決まるので毎日変わります。
アブダビ・ドバイでも1, 2分違うそうでびっくり。

おすすめ

時間帯

観光客が訪れることのできる時間は以下のようです。(公式サイトを確認ください。)
土~木曜日 9:00 〜 22:00
金曜日 9:00 〜 12:00, 15:00 〜 22:00
*ラマダンなどイスラム暦で特別な期間は異なります。

おすすめの時間帯は夕方です。
夕日と暗くなってライトアップされたモスクを見学することができます。
このライトアップされたモスクも妖艶な雰囲気で非常に美しいです。
また、屋外を回るので夏は夕方以降でないと汗だくになります。
9月の夕方でも少し暑いと感じました。
暑い場合は、無料タクシーが運行されているのでそちらに乗って移動するのがおすすめです。

アクセス

モスクはアブダビの市内中心部から少し離れたところにあります。
ドバイからモスクへ行きたい場合は、
ドバイーアブダビをバスで移動
アブダビセントラルバスステーションからモスクまでタクシーで20分ほどになります。
ドバイから日帰りの場合はパッケージツアーもおすすめです。
[送迎付きの日帰りツアーもおすすめ]

Screenshot

穴場の撮影スポット

モスクは大きいので、なかなか写真に全体が収まりきらないのですが・・・
穴場の写真スポットではモスク全体を撮影できます。こちらはモスクから5分ほどタクシーに乗って移動する必要があるので、時間に余裕のある場合のみおすすめです。
こちらは撮影スポットとして開放されています。
こんな感じで、水に映る美しいモスクを撮影することができます。

Wahat AlKarama
[Map]  3rd St Khor
[HP]Wahat Al Karama

星評価

アブダビのグランドモスクへ
星評価始めました。
おすすめ度

貴重度

行くべき度

UAEに来たら必ず訪れたい場所!
モスク内部へ入れる貴重な経験です。
ツアーにも参加でき、イスラム教のことを少し学ぶことができます。
ドバイからだと、少し時間がかかりますがモスクのためだけに日帰りしても十分だと思います(^^)
(可能であれば、モスク&大統領官邸Qasr Al Watan、ルーブル美術館など)

ドバイからの送迎付きの日帰りツアーもおすすめです。

Screenshot

おすすめの関連記事はこちら

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【ビルマの避暑地の親日家】ビルマ縦断の旅本編その2:ピンウールウィンでの日本人大歓迎https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%81%ae%e9%81%bf%e6%9a%91%e5%9c%b0%e3%81%ae%e8%a6%aa%e6%97%a5%e5%ae%b6%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%e6%9c%ac%e7%b7%a8/Fri, 05 Sep 2025 18:40:13 +0000https://madam-uae.com/?p=10099

パイナップルを食べながら, とぼとぼ歩いているとバイクタクシーの運転手が話しかけてきたので, 地球の歩き方を開いてピンウールウィン行きのバス乗り場の場所に連れて行ってくれと頼む。 どうやらすぐ近くだったようで, ものの2 ... ]]>

マンダレーからピンウールウィンへ

パイナップルを食べながら, とぼとぼ歩いているとバイクタクシーの運転手が話しかけてきたので, 地球の歩き方を開いてピンウールウィン行きのバス乗り場の場所に連れて行ってくれと頼む。

どうやらすぐ近くだったようで, ものの2, 3分で到着してしまった。だが, どうもバスが見当たらない。場所は確かに地球の歩き方に書いてある場所だ。運転手に聞くと, どうやら1ブロック戻ったところにあったらしい。

もう一度乗せてもらい, やっと見つける事ができた。乗用車の前でスタッフらしき人に尋ねると5000kyatsとの事。地球の歩き方に記載されていた3000kyatsの料金より高いので, おかしいというとどうやら乗り合いタクシーの値段だったようだ。

通りの向かいにピックアップトラックのバスがあり, 料金を払うと2500kyatsであった。どうやら乗り場の情報も含めて地球の歩き方の記載が少し間違っているようだ。

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30分程待ってからピックアップトラックに数人が乗り込むとようやく出発した。しかも謎の大量の荷物を載せている。

マンダレー市内を出るまでに頻繁に停車し, 人が続々と乗り込むのですぐに満杯になってしまった。道路は凸凹が激しいため, 常にトラックの手摺りにつかまっておかなければならない。快適に乗り合いタクシーで行く手段もあったのだが,地元の人が使う様子が全くなかったため人も全然集まらず, 出来るだけ地元の人達と同じ交通手段での移動にこだわって旅してきた自分にとってはむしろ彼らと肩を並べて進んでいくほうが, よほど楽しく感じる。

マンダレーの町を出ると料金所のような場所を通過した。ミャンマーではこのような検問所を町の切れ目で毎回見かける。

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街を出てしばらく行くと峠道になるのだが, ここはまだ道路工事中のようで完全にアスファルトというわけではなく, 頂上付近では土の上を走りながら進んでいく。ただ, 交通量に対して道幅は十分にあるようだ。

土埃もすごいのだが, それ以上に山の上から見下ろすマンダレーの町並みが絶景のためずっと外の様子を眺めながら時間を忘れて移動する事ができた。山頂付近では車を止めて自撮りしている地元の人たちも沢山みかけた。

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マンダレーを出てから2時間程経っただろうか, 目的のピンウールウィンに着いた頃, 時刻はもう夕方17時頃。

高原地帯に位置するピンウールウィンはイギリス統治時代より避暑地として知られてきた場所であるため, 日中のマンダレーとは打って変わって非常に快適に過ごせる環境だ。

ここは軍事アカデミーがある事でもミャンマーでは知られた町であり, 中心部に入る直前にその前を通過した。

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ピンウールウィンにて

街中の時計台で降ろしてもらってからは, このトラックの出発を待っていた間に予約したホテルへ向かう。ここはAgodaやExpediaで非常に高い口コミ評価をされており, その点数の表彰状がロビーには飾られていた。

実際に宿泊し, スタッフとコミュニケーションをとっても, その評価に違わず, 非常に良い宿であった。スタッフは素朴で親切だし, 部屋も広く清潔であり, シャワーの温度調整が難しいといった小さな事柄を除き, 文句の付けようがなかった。日本人にはあまり知られていなくとも, 英国には植民地時代より知られていた保養地であるから, 宿泊文化が進んでいるのかもしれないと思った。

街中には観光客を乗せるための馬車が走っており欧米人の姿もあった。

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シャン料理の麺で腹を満たす。値段は1500キャットで100円程。シャン料理はミャンマー国内でも美味しい事で知られており日本にもシャン料理の店がリトルヤンゴンとも呼ばれる高田馬場などにある。

この日の夜は一度下見しておこうと駅に向かったのだが, 日の入りも過ぎており, 駅も一部以外は電気がついておらず, 出歩く雰囲気ではなかったため, 早々に帰宅して翌朝に備えることとした。

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セブンイレブン・・・?

そしてホテルへ帰る途中にあったお店に雑貨屋かと思い立ち寄ってみたところ中はレストランであった。そこの店主にどこから来たのかと聞かれ, 日本人だと答えると日本から初めての客だ。無料で出すから好きなだけ食べていけとの事。

さっき食べたばかりだったし, 旅慣れているせいもあってこういった旨い話は必ず裏があると警戒モードに入る。無料と思わせておいて後からチップを要求するのは発展途上国の観光地においてよくある手口だ。でも持ち帰って後から食べれば良いからとあまりにしつこく薦めるものなので, まぁ少しくらいなら払う覚悟でデザートをお願いしてみた。

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デザートを貰って帰ろうとする素振りを見せながら, このタイミングでお金を要求するんだろうとか考えていたら全くその気配がなく日本人は俺の友達だとか言い続けている。あれ、請求しないのかとか不思議に思いながら, 危うくそのまま帰りそうになる。

え!本当に無料!?

どうやらこの店主本当の本当に日本人が大好きで初めて来てくれた日本人だからご馳走しようとしてくれたみたいだ。

正直見た目が怪しい(失礼)かったので疑ってごめんなさいと思いつつ, ここはその粋な気持ちを尊重して有難く頂戴させて貰い, めちゃめちゃ何度もお礼を言った。何やら下手に旅行慣れしてしまった自分が恥ずかしく感じてしまった。でもどうやらミャンマーは自分の最も好きな国になりそうな予感がする旅の最初の夜であった。

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【ビルマ北部へミャンマー入国】ビルマ縦断の旅:本編その1:マンダレー到着https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e5%8c%97%e9%83%a8%e3%81%b8%e3%83%9f%e3%83%a3%e3%83%b3%e3%83%9e%e3%83%bc%e5%85%a5%e5%9b%bd%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85/Mon, 01 Sep 2025 11:16:26 +0000https://madam-uae.com/?p=10093

渡航一か月程前にミャンマーでの洪水の様子が報道されていたため, この年は雨が多いのかと思いきや,,, 飛行機からは眼下の街がよく見渡せる雲一つない晴れた昼過ぎ, 上ビルマ最大の古都マンダレーの閑散とした空港に降り立った。 ... ]]>

ミャンマー入国

渡航一か月程前にミャンマーでの洪水の様子が報道されていたため, この年は雨が多いのかと思いきや,,,

飛行機からは眼下の街がよく見渡せる雲一つない晴れた昼過ぎ, 上ビルマ最大の古都マンダレーの閑散とした空港に降り立った。

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 以前タチレクに日帰りで訪問してから興味を抱いていたミャンマー。以来もう一度訪れたいと気にかけており夏季休暇を利用して再訪した。この時, 日本人の入国にはビザが必要だったので, あらかじめinternetで申請して取得しておいた。

だが, 入国審査では碌にビザも確認されないまま直ぐに入国する事ができた。

なおその後に日本人の観光はvisaなし入国が解禁になった。せっかく面倒な手続きと料金を払って取得したのに, なにか悔しいなと思いながらも, visaなし入国が解禁になったら, おそらく観光客がどっと増えるだろうから俗化する前に見られて良かったと考え直すこととした。(なお2025年現在は軍事クーデターにより入国・滞在が比較的難しくなっている)

空港で入国審査を抜けたら直ぐにsimカードを購入。料金は4ドル程度だったと思う。ショップの店員が全ての設定をしてくれるのだが, 手違いがあり20分程かかってしまった。(当時はまだeSIMがなかった)

この時にあれっと思ったのは店員の化粧。以前にタチレクを訪れた時には女性は全員現地の化粧タナカをつけていたのだが,ショップ店員にはつけていない女の子もいた。聞いてみると私は好きではないとの事。

旅行者ブログやガイドブック等でもタナカはよく取り上げられているのでミャンマーの女性は全員付けているものとばかり勘違いしていたのだが,どうやら毎日外国人と顔を合わす空港をはじめ現代風の価値観変化も生じはじめているようだ。

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この際に政府観光相と書かれた案内所で事前にネットで調べていた無料の市内までのエアアジアバスの乗り場がどこにあるのかと聞いてみる。すると無料ではなく5ドルとの事。そんなはずはないと近くにいた警備員など片っ端から地元の人に話しかけるも全員が同じ回答であった。

どうやら制度が変わったのだろうか。仕方なく, いくつかバス会社のブースを当たって一番安かった4,000kyat(300円くらい)のSHWE NAN SANというバス会社の切符を購入。行き先をマンダレー駅と伝えてからバスに乗り込むと, ほとんどの乗客は欧米人であった。

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市内までの道はやはり舗装が行き届いておらず, よく揺れる。必死に外の景色の写真を撮ろうとするのだが, ぶれてしまいなかなか良い写真が撮れないのだ。風景は平和な田園地帯が広がるのどかそのものではあるのだが, 田んぼに混ざってパゴダがしばしば現れるのはビルマならではであった。

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マンダレー

写真は途中で諦めてバスに揺られていると段々と景色が変わってきた。マンダレー市内に入ったのだ。

線路沿いに駅前の南北に延びる道を北上していく。マンダレー駅に程近いショッピングセンターに両替のため行きたかったのだが,その前をちょうど通ったため, そこで降ろしてもらう事とした。

降りると眼前には巨大なショッピングセンターが。以前にタチレクで見てきた近代的建造物など何もないミャンマーとは正反対の側面であった。

それでも中に入ると, 閉まっている店舗も結構多くて, そういった店舗前の床や階段で何をするともなく座り込む親子など先進国とは異なる, アジアらしさも随所で見る事ができた。

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両替店でミャンマーキャットを手に入れてから近くのマンダレー駅へ向かう。

歩いて15分程と聞いていたのでトゥクトゥクの誘い (といっても他国と比べるとすごく謙虚) は振り切って一人歩くのだが,太陽の熱を遮るものがなく, 歩道もきちんと整備されていないため,やっとこさ駅に着いた頃には体感で30分程歩いたかのように疲れてしまった。

駅ではインドと東南アジアの境界にある国らしく多くの人が寝そべっており,頭の上に籠を乗せた物売りのおばちゃんや切符を求める人々がひっきりなしに行き交っている。こういった光景を見て何故か安心してしまうのは自分が旅慣れた証しだろうか。

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喉が渇いてしょうがなかったので2階にあるキオスク, もとい売店屋台にて地元のジュースを購入してみる。これが意外にも美味しかった。30円程だったが, ナタデココが入ったジュースで干からびそうな自分は生き返ったような気分で一気に飲み干してしまった。

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自分が空き缶の捨て場所を探していると, それに気づいた床に寝そべっている人達が場所を教えてくれた。こんな都市でもミャンマーの人はやっぱり親切である事に安心する。

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話しかけてきたバイクタクシーにマーケットへ連れて行って貰う。値段は1000チャット程で70円程度とめちゃめちゃ安い。地元民と同じ価格だろうか。

このマーケットは巨大であった。数区画を使っているのでどこが一番賑わっている所かと色々歩いていると結構な時間が経ってしまったが, 一番メインの通りに出る事ができた。様々なものが売られているが宝石を扱っている店, 加工する店がしばしば見られるのがミャンマーの特徴であるようだ。

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また一歩路地に入るとスラムのような通りになるが, 入っても身の危険は感じられなかった。

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パイナップル売りが多い事に気付いたので,愛想の良い店で買ってみる事にした。なかなか美味しい。

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パイナップルを食べながら, とぼとぼ歩いているとバイクタクシーの運転手が話しかけてきたので,地球の歩き方を開いてピンウールウィン行きのバス乗り場の場所に連れて行ってくれと1000チャットで頼む。

どうやらすぐ近くだったようで, ものの2, 3分で到着してしまった。だが, どうもバスが見当たらない。場所は確かに地球の歩き方に書いてある場所だ。運転手に聞くと, どうやら1ブロック戻ったところにあったらしい。もう一度乗せてもらい, やっと見つける事ができた。

乗用車の前でスタッフらしき人に尋ねると5000kyatsとの事。地球の歩き方に記載されていた3000kyatsの料金より高いので, おかしいというとどうやら乗り合いタクシーの値段だったようだ。通りの向かいにピックアップトラックがあり,料金を払うと1500kyatsであった。どうやら乗り場の情報も含めて地球の歩き方の記載が少し間違っているようだ。

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