マダムUAEライフhttps://madam-uae.comUAE(アラブ首長国連邦)の情報をのんびり更新中!Sun, 16 Nov 2025 21:47:15 +0000jahourly1https://madam-uae.com/wp-content/uploads/2023/09/cropped-IMG_5908のコピー-32x32.pngマダムUAEライフhttps://madam-uae.com3232 【完全ガイド】UAE(ドバイ・アブダビ)でベビーシッター・ナニー・メイドの探し方|料金相場・安全対策・失敗しない選び方https://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%ae%8c%e5%85%a8%e3%82%ac%e3%82%a4%e3%83%89%e3%80%91uae%e3%83%89%e3%83%90%e3%82%a4%e3%83%bb%e3%82%a2%e3%83%96%e3%83%80%e3%83%93%e3%81%a7%e3%83%99%e3%83%93%e3%83%bc%e3%82%b7%e3%83%83/Sun, 16 Nov 2025 21:40:49 +0000https://madam-uae.com/?p=10446

UAEでメイドを雇うことは日本と比べてかなり一般的です。特に海外での子育てや仕事との両立には、 ベビーシッター(ナニー)やメイドのサポートが欠かせません。 私自身もUAEで出産し、その際シッターさんがいなければ乗り越えら ... ]]>

この記事のもくじ

  1. UAEでメイドを雇う
  2. ベビーシッター・メイドの探し方(大きく2パターン)
  3. UAEでのナニー料金相場|ビザあり・ビザなしの違い
  4. 雇用主がナニーにビザを出す場合(フルタイム・Live-in向け)
  5. ナニーがビザを持っている場合(個人契約 / Live-out)
  6. 日本人家庭に相性がいいナニー
  7. 雇う前に行うこと【超重要】
  8. トラブルを防ぐ「必須の安全対策」
  9. 実際に私が採用したナニー
  10. 今まで聞いたトラブル
  11. ナーサリー(保育園)も万能ではない? UAEならではの実情
  12. リスクゼロは存在しない。だからこそ“信頼できる人を見つけること”が最重要

UAEでメイドを雇う

UAEでメイドを雇うことは日本と比べてかなり一般的です。
特に海外での子育てや仕事との両立には、 ベビーシッター(ナニー)やメイドのサポートが欠かせません。
私自身もUAEで出産し、その際シッターさんがいなければ乗り越えられなかったと感じています。
しかしながら、相性の良いシッターさんを探すのはかなり困難でした。

「まずどう探せばいい?」「料金は?」「安全対策は?」と不安だらけでした。
この記事では、UAE在住の私が実際に数十人と連絡・面談し、最終的にナニーを採用するまでのリアルな経験をもとに、 ベビーシッター・ナニー・メイドの探し方を詳しくまとめます。
個人情報も含むので有料記事で紹介いたします。

]]>
ドバイ在住者が教える!2025年おすすめのお土産リストと購入スポット[2025最新]https://madam-uae.com/%e5%9c%a8%e4%bd%8f%e8%80%85%e3%81%ae%e3%81%8a%e3%81%99%e3%81%99%e3%82%81%e3%83%89%e3%83%90%e3%82%a4%e6%97%85%e8%a1%8c%e3%81%a7%e4%ba%ba%e6%b0%97%e3%81%ae%e3%81%8a%e3%81%bf%e3%82%84%e3%81%9210/Sat, 15 Nov 2025 12:48:37 +0000https://madam-uae.com/?p=6032

UAEのお土産で一番最初に思い浮かぶのが「デーツ」。日本人にも食べやすく美味しいと人気なのがサウジアラビア発のBateelの高級デーツ。至る所でデーツは手に入りますが、こちらのデーツは格別に感じます。 好きな箱を選んでそ ... ]]>

これを買っておけば間違いない定番土産

Bateel のデーツ

UAEのお土産で一番最初に思い浮かぶのが「デーツ」
日本人にも食べやすく美味しいと人気なのがサウジアラビア発のBateelの高級デーツ。
至る所でデーツは手に入りますが、こちらのデーツは格別に感じます。

好きな箱を選んでそこに選んだデーツやチョコを詰めてもらます。
試食させてもらえるので、気に入ったデーツを選ぶことができます。

バレンタインの時期には可愛い箱もあります。
箱代+量り売りのデーツ4粒とチョコ2つで70ディルハム(約3000円〜)ほどでした。
ドバイに来たら訪れるべき人気のショップです。

おすすめ店舗
 Level 2, Al Bahar Souk, Dubai Mall – Sheikh Mohammed bin Rashid Blvd – Dubai

Patchiのチョコレート

エミレーツ航空のCAさんもおすすめする、レバノン発の高級チョコレートPatchi。
ちょうど今年の夏から日本でも販売開始されたようです。

おすすめは量り売り。
箱の中に金貨や銀貨のようにキラキラと輝くチョコレートを詰めてもらいます。
1 kgで1万円〜

おすすめ店舗
 LG 127 / 128 – Financial Center Rd – Downtown Dubai – Dubai

Bacha バシャコーヒー

日本にはまだ進出していない、シンガポールでも有名なBachaコーヒーはお土産にもおすすめです。
特にチョコレートやキャラメルのフレーバーコーヒーが人気。
アソートパック(12袋)は厳選した人気セレクションを楽しめるのでお土産に最適です。

パッケージもキラキでドバイらしいお土産になります。
何十種類の各国のコーヒーが選べるカフェも人気です。

おすすめ店舗
Unit 311A Fashion Avenue Expansion, The Dubai Mall – First Floor – Burj Khalifa – Dubai

TWG ドバイフレーバー

こちらもシンガポールで有名なTWGの紅茶、特にドバイセレクションはとっておきのギフトになります。
WEEKEND IN DUBAI TEA
緑茶ベースのフレーバーティーになります。

バシャコーヒーと並んで、ドバイモールにあります。

おすすめ店舗
Dubai Mall – Ground floor – opposite Waterfall Atrium – Burj Khalifa – Dubai – アラブ首長国連邦

Made in UAEのこだわるならこちらのチョコレート

ラクダミルクのチョコレートやラクダ製品

UAEらしいお土産になるのはこちら。
ラクダミルクを使った高級なAl Nassmaのキャメルチョコレート。
濃厚さはないけど、あっさりしていておいしかったです。
ラクダを形取ったチョコレートもあって、面白いお土産におすすめです。
この他にも、ラクダミルクの石鹸やラクダの皮を使った鞄なども販売されています。

おすすめ店舗
ドバイモール、ドバイ国際空港

ドバイ発Mirzamチョコレート

実は、この国(UAE)発のブランドやお菓子はとっても少ないです。
そんな珍しい存在が「ミルザム(Mirzam)」
ドバイで製造されており、工場見学も可能です。
チョコレートの産地にこだわっており、包装が可愛いチョコレートショップです。

中でもイチオシはホットチョコレート。
併設のカフェでも販売されており、お土産のパウダーも販売されています。

おすすめ店舗
 567Q+F23 – Al Ghurair Warehouse complex – 4th St – Al Quoz 3 – Dubai

UAE都市ごとの限定スタバマグ

スタバのタンブラー・マグカップ

コレクターに人気なのがスタバグッズ。
お土産には少し重いのと、あまり可愛くない?
という噂ですが、どこでもあるスタバは、お土産に悩んだ時のチョイスに助かります。

おすすめ店舗
Fashion Avenue, The Dubai Mall – 1st Floor – Financial Center Rd – Downtown Dubai – Dubai

限定デーツフレーバーのスタバコーヒー

これ、まだ新発売であまり知られていないけど限定感あってお土産におすすめです。
こちらはアーモンドと中東のデーツがブレンドされたスペシャルコーヒー。
パッケージも可愛くてバラマキ土産にも◉


スーパーで購入できるお土産はこちら

SNSで話題のドバイチョコレート
日本でもその人気から売り切れになっちゃうことおあるのだとか。
クナファという中東の伝統的なスイーツをイメージしたチョコレートになっています。
サクサクの揚げパスタがとピスタチオソースの相性が抜群!

UAE国内ではだいたいどこのスーパーでも手に入ります。
おすすめ店舗 ドバイモールのWaitrose
https://maps.app.goo.gl/y5w3CTXyMWuRhqpv9i

ラクダクッキー

イギリス系高級スーパー「ウェイトローズWaitrose」フランス系スーパー「カルフールCarrefour」で購入できるお土産です。

・Walkersのかわいいラクダクッキー(Waitrose)
安定の美味しいクッキーと可愛いラクダの形はお土産として喜ばれること間違いなし。
ただ、売り切れていることも多く、見つけたら即購入がおすすめです。

バラマキにおすすめなチョコデーツ

ドバイデザインの箱入りのお菓子

期間限定のポテトチップス

まるで黒糖!体にも良いデーツシロップ

大体どこのスーパーにもあります。
デーツは苦手な方も多いけれど、このデーツシロップはお土産として大好評です。
まるで黒糖のような風味で、ヨーグルトやトーストにかけたり、料理の隠し味としても。
こくがあって、栄養満点。女性の方へのお土産として喜ばれます。

↑この形のものが使いやすいです。

アラビックコーヒー

カルダモンのスパイスが効いて、日本のコーヒーとはかなり違う味です。
独特な味で好みは分かれます。
デーツと一緒にお土産にするのがおすすめです。

可愛いBOX入りの紅茶


イギリス系のスーパー(Waitrose)は紅茶の品揃えがピカイチ。
UAE感は少ないけれど可愛い紅茶をお土産にしてもいいかもしれません。

おすすめ店舗
 LG – 144 – Financial Center Rd – Downtown Dubai – Dubai
675G+GRM – Gate avenue – DIFC – Dubai

ばらまき用のお土産をお手頃に

ギフトモールのスカーフ、トランプ、マグカップなどの雑貨

UAEの至る所にある、ギフトショップ。
こちらは卸売りのお店で、安く色々な雑貨を購入することができます。

・アバヤの女性が使用する、カラフルなスカーフ

・輝く黄金のトランプは子供達に人気のお土産です。

・ラクダのぬいぐるみやマグカップなど
ほとんどの商品が約10ディルハム(400円)ほどで手に入ります。

おすすめ店舗
near ADCB Metro – Sheikh Khalifa Bin Zayed St – Al Karama – Dubai

希少価値あり、クレオパトラ石鹸

香りがとてもいいこちらの石鹸。クレオパトラのように美しくなれるのか・・・
@コスメでもとっても口コミが高いです。
お手洗いに置いておくとふんわりいい香りが続きます。
こちらの石鹸はなかなか売っている場所を見つけるのが難しい。
でも・・・上にあげたギフトモールで大量に販売しているところを見かけたことが何度かあります。

おすすめ店舗
near ADCB Metro – Sheikh Khalifa Bin Zayed St – Al Karama – Dubai

海外からの特別なカード

絵葉書

手に入りやすい絵葉書。
切手3ディルハムで日本へ送ることができます。


帰国日にまとめて空港でお土産購入ならこちら↓

スーパーでばらまき用のお土産を購入↓

完全保存版ドバイ観光プランはこちら↓

ドバイから2時間で行ける隣の主張国アブダビへ↓

]]>
香港空港での経由中にディズニーランドhttps://madam-uae.com/%e9%a6%99%e6%b8%af%e7%a9%ba%e6%b8%af%e3%81%a7%e3%81%ae%e7%b5%8c%e7%94%b1%e4%b8%ad%e3%81%ab%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%ba%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%89/Sun, 09 Nov 2025 11:28:32 +0000https://madam-uae.com/?p=10319

UAEから日本に帰省する途中、トランジットで香港へと立ち寄った。エミレーツ航空やエティハド航空による直通便はコロナ以降航空券の値段が高騰しており、なかなか気軽には買えない状況となっている。一方でキャセイ航空やシンガポール ... ]]>

香港空港から入国

UAEから日本に帰省する途中、トランジットで香港へと立ち寄った。エミレーツ航空やエティハド航空による直通便はコロナ以降航空券の値段が高騰しており、なかなか気軽には買えない状況となっている。一方でキャセイ航空やシンガポール航空など経由便にすると相対的にかなり値段を抑えることができるのだ。

コロナ中は世界中の入出国管理が一時的に厳しくなったが、この時の香港空港での入国手続きは一瞬であった。空港に隣接するバスターミナルからホテルへのシャトルバスに乗車。

トランジット用で明朝早い時間帯の日本便という事もあり、アクセス重視で空港至近のホテルに宿泊。この時点では寝るだけぐらいのつもりであった。

夢の国へ

正午前の時間帯であったのだが、予定よりも早くチェックインさせて貰えた。前夜は夜行便だったため、部屋で1時間程休む。少し疲れがとれて起きた頃に家族が突然ディズニーランドへ行こうと言い出す。

半日もない弾丸ディズニーで楽しめるかなと疑問に思いつつ、家族協議の結果、ディズニーランドへ向かう事に。香港ディズニーは市内からよりも空港からが近くアクセスしやすい、また世界のどのディズニーランドよりも小規模で周りやすいのが決め手になった。

突然の訪問とはいえディズニーのゲートを見るとテンションが上がる。香港のタクシーはこのセダンタイプが多く日本の昭和のタクシーのイメージに近い。

既に一時過ぎであったのだが、この時間帯から入っていく人達も沢山見かけた。やはり規模が小さいからか気軽に訪れる人が多いようだ。

入場

ディズニーランド入場。入場してすぐにあるのが蒸気機関車の乗り物駅。

香港でも事前にネットでチケットを購入するのがメジャーな方法らしく、ホテルを出発する直前に購入しておいた。

そして驚いたのが入場していきなりミッキーマウスがいる事。日本のディズニーリゾートではなかなか間近で接する事のないディズニーキャラクターだが、ここ香港では簡単にグリーティングできるのが特徴だそうだ。

一緒に写真を撮るのには30分程待ったが、一組当たりの写真には結構時間をかけて何十枚も撮らせてくれるのが有難い。ミッキーだけでなく、グーフィーやミニーなどのメインキャラクターも周辺でグリーティングを行っていた。

エントランスから中心部へと向かう道沿いには軽食やお土産物のショップが立ち並ぶ。可愛いソフトクリームも販売していた。

ジャングルクルーズ

最初に入ったのはジャングルクルーズ。年齢制限や身長制限がないので誰でも乗船できる。待ち時間は30分もしなかった。

途中で野生生物や原住民族らしき人達と遭遇するクルーズ内容となっている。

この辺までは日本のジャングルクルーズの類似アトラクションと思える。しかし、油断しているとクライマックスに驚く事となる。

最後のクライマックスのシーンでは霧が出てきたり、炎が発生したりと驚きの仕掛けが。しかも炎はその熱を感じられるような大きさの規模であった。その炎が水で消化されて、ツアーは終わりとなる。

イッツアスモールワールド

飛行機で機内食を口にして以来何も食べていなかったので腹ごしらえ。日本のように人で埋め尽くされておらず、気軽にレストランにも入れるのがここの良いところである。

そしてイッツアスモールワールドへ。中身は日本と大きく変わらなかった。

Frozen

そしてアナと雪の女王エリア。今でこそ東京ディズニーシーに同様のエリアが出来たもののこの当時は香港が先駆けてオープンしていたのだ。

Frozen Ever Afterというボート型ライドは流石に人気があって並んだが、中身のストーリーやライドの迫力もあって大満足であった。日本にも同様のライドが出来たが、香港版は日本よりもスリリングな内容となっている。

そして驚いたのはアナと偶然にも出会った事。グリーティングの仕事にでも出るのか普通に歩いていた。

その後はビッグサンダーマウンテンの香港版ライドに乗ったり、夜のショーを見て楽しんだ。お土産にプーさんイメージのドーナツも。

夢の国から現実のトランジットへ

翌日早朝接続便に乗って日本へと旅立つのであった。半日程度の弾丸ディズニーであったが、これほど満足感の高いトランジットもなかなかないだろう。

]]>
【寝坊で遅刻ではなく・・】:本編その15:最終話ミャンマーとの別れhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%af%9d%e5%9d%8a%e3%81%a7%e9%81%85%e5%88%bb%e3%81%a7%e3%81%af%e3%81%aa%e3%81%8f%e3%83%bb%e3%83%bb%e3%80%91%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae15%ef%bc%9a%e6%9c%80%e7%b5%82%e8%a9%b1/Sat, 08 Nov 2025 10:53:08 +0000https://madam-uae.com/?p=10125

まだ日も昇らない真っ暗な時間帯。4時頃前に起床する。帰りの飛行機に乗るためである。 急いで支度をしてロビーに降りチェックアウト手続きに入ろうとする。前夜に朝飯を弁当にしておいてとお願いしておいたので受け取る。手 ... ]]>

出発時刻間違えからの市場巡り

まだ日も昇らない真っ暗な時間帯。4時頃前に起床する。帰りの飛行機に乗るためである。 急いで支度をしてロビーに降りチェックアウト手続きに入ろうとする。前夜に朝飯を弁当にしておいてとお願いしておいたので受け取る。手続きを進めて貰っていたところ念のため帰りのE-ticketを確認。そして気付く。

ん、もしかして飛行機は今日の午後発じゃね?まさかの半日分の時刻間違えであった。

f:id:snowm-blog:20191106235844j:plain
f:id:snowm-blog:20191106235835j:plain

そこから昼間まで寝てから作ってもらった弁当を部屋で食す。ホテルの人達には勘違いで迷惑かけて申し訳なかった。チェックアウトしてから昨晩は閉まって訪れられなかったボージョーアウンサンマーケットへ。

f:id:snowm-blog:20191107000133j:plain
f:id:snowm-blog:20191107000153j:plain

中へ入り何やら物音が聞こえるなと思っていたら, ちょうど市場の中を少年僧が托鉢に回っていたところだった。お店の人達にお布施を貰っているようだ。タイやラオスでも有名な托鉢は早朝の屋外で行われていたが, 昼間の時間帯に建物の中でやっているのは初めて遭遇した。まだ小さい子供達がやっているという事も白人旅行客が物珍しさに喜んでいた。

f:id:snowm-blog:20191107000206j:plain
f:id:snowm-blog:20191107000848j:plain

市場を巡る。ここでもマンダレーと同じく宝石店が有名のようだ。流石翡翠を初めとする宝石採取が盛んな国である。

f:id:snowm-blog:20191107000312j:plain
f:id:snowm-blog:20191107000327j:plain

ミャンマーで賞をとったというコーヒーショップにてコーヒー豆を購入。今回の旅でも訪れたピンウールウィンにて栽培しているコーヒー豆なのだそうだ。

f:id:snowm-blog:20191107000900j:plain
f:id:snowm-blog:20191107000919j:plain

市場から線路を渡って外へ出る陸橋が架かっている。この陸橋の上にも路上の物売りでいっぱいだ。

f:id:snowm-blog:20191107000929j:plain
f:id:snowm-blog:20191107000948j:plain
f:id:snowm-blog:20191107001008j:plain

陸橋下のシャン料理屋で食事。

f:id:snowm-blog:20191107001017j:plain
f:id:snowm-blog:20191107001029j:plain

まだ時間があったため先ほどコーヒー豆を購入したコーヒーショップにて一服。そうするとこの店のオーナーだという人が話しかけてきた。この人がなんと日本の高田馬場でもミャンマー料理屋を開いているという。高田馬場はリトルヤンゴンとも呼ばれるミャンマー人が多数居住する街だ。オーナーはヤンゴン大学を出た秀才らしい。

今日飛行機に乗るんだというと少しくらいなら飛行機は遅れても大丈夫だよ。電話すれば待っててくれるから!いやいやバスじゃないんだからそんな緩さで飛行機を運航しているはずないだろうとも思うのだが, この国の緩さならそんな事もあり得るのかもしれない。結局時間いっぱいまで話し込んで最後にお土産用のお菓子も購入して空港までのタクシーを捕まえて移動した。

f:id:snowm-blog:20191107001039j:plain
f:id:snowm-blog:20191107001049j:plain

ヤンゴンの空港には懐かしのアマラプラにあったウーベイン橋の映像が迎えてくれた。 空港内にもロンジーを履いたミャンマー人がいるのだが, 相変わらずタイムスリップ感がある。 

f:id:snowm-blog:20191107000814j:plain
f:id:snowm-blog:20191107000826j:plain

出国審査を済ませて搭乗エリアへ進むと空港内に巨大な空きスペースを見つけた。この頃はまだ外国人旅行者も少なかった頃だったからかもしれないが, 急発展するミャンマーならすぐにここも埋まってしまうのではないかと思う。

f:id:snowm-blog:20191107000835j:plain

ビルマの旅も今回で終わりである。ピンウールウィンでの大歓迎から始まって, パガンでのビルマ式合コン, ヤンゴンのスラム街探訪などなどミャンマー人の温かさに触れる旅となった。

]]>
【夜中のヤンゴン街歩き】:本編その14:闇市から行くシュエダゴンパゴダhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%a4%9c%e4%b8%ad%e3%81%ae%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%b3%e8%a1%97%e6%ad%a9%e3%81%8d%e3%80%91%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae14%ef%bc%9a%e9%97%87%e5%b8%82%e3%81%8b%e3%82%89/Mon, 27 Oct 2025 14:18:33 +0000https://madam-uae.com/?p=10123

ホテル近くのヤンゴン中央駅へと立ち寄ってみた。ヤンゴンでは山手線のように環状線となっているようだ。 改札はないスタイルなので自由にホームに入れるのだが, 陸橋から降りていくため高架駅のような形となっているのが特徴的だ。& ... ]]>

ヤンゴンの闇市

f:id:snowm-blog:20191103225731j:plain

ホテル近くのヤンゴン中央駅へと立ち寄ってみた。ヤンゴンでは山手線のように環状線となっているようだ。

f:id:snowm-blog:20191103225748j:plain
f:id:snowm-blog:20191103225802j:plain
f:id:snowm-blog:20191103225820j:plain

改札はないスタイルなので自由にホームに入れるのだが, 陸橋から降りていくため高架駅のような形となっているのが特徴的だ。 

そしてヤンゴンの市場として有名なアウンサンマーケットへと向かってみる。歩いていく途中にはヒンドゥー教寺院もあった。ミャンマーは仏教国だが, インドに隣接するだけあってインド系住人も多い国だ。

f:id:snowm-blog:20191103230555j:plain
f:id:snowm-blog:20191103230608j:plain
f:id:snowm-blog:20191103230701j:plain

アウンサン市場は夜中は閉まっていた。そこでネット情報をもとに夜に開いているという別の市場へといってみた。

f:id:snowm-blog:20191103230714j:plain
f:id:snowm-blog:20191103230845j:plain
f:id:snowm-blog:20191103230906j:plain

ヤンゴンの路地裏に広がる市場。路上に様々なものが売られている。手前の方は明るいのだが, 奥へと進むごとに明かりがなくなってくる。通行を阻害する勢いで道路の真ん中に売り物が置かれているため闇市の雰囲気を漂わせる。 

f:id:snowm-blog:20191103230920j:plain
f:id:snowm-blog:20191103230934j:plain
f:id:snowm-blog:20191103231110j:plain

道の真ん中に雑多に品物が置かれている。途中でたこ焼きのようなものが売られていたので夕食として購入した。

f:id:snowm-blog:20191103231120j:plain
f:id:snowm-blog:20191103231131j:plain
f:id:snowm-blog:20191103231141j:plain

売られているのは米・野菜・肉・魚など多彩だ。ただ朝や昼間ではなく路上市場が何故夜中に開かれるのかは謎である。

f:id:snowm-blog:20191103231151j:plain
f:id:snowm-blog:20191103231221j:plain
f:id:snowm-blog:20191103231232j:plain

魚なんかは昼間に釣られたものを夜に売っているのか, それか朝市や昼間の市場で売り切れなかったものを格安で売っているのだろうか。。

f:id:snowm-blog:20191103232032j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232041j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232051j:plain

シュエダゴンパゴダ

怪しい闇市を抜けてからまだ行っていなかったヤンゴン最大の観光名所でもあるシュエダゴンパゴダへといってみた。

f:id:snowm-blog:20191103232156j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232211j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232516j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232544j:plain

長い階段を登っていく。階段沿いにはお土産物屋や参拝用の花屋が立ち並ぶ。途中には金属探知機の入場ゲートがあったが, ほとんどスルー。確か入場料も本来とられるはずだが, 普通に何も言われることなく奥まで入れてしまった。係の人らしき姿も見えなかったので夜遅い時間帯だからだったのかもしれない。

f:id:snowm-blog:20191103232501j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232404j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232416j:plain

それでもパゴダには沢山の人達がいた。客層はどうやら地元の人が中心でそこに海外からの観光客がちらほら混ざっているという感じであった。修学旅行生のような若者の集団もしばしば見かけた。

f:id:snowm-blog:20191103232607j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232645j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232620j:plain

エメラルドの仏像は映像がTVに生中継されている。

f:id:snowm-blog:20191103232634j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232706j:plain


一部には工事中の建物も。

f:id:snowm-blog:20191103232439j:plain
f:id:snowm-blog:20191103232531j:plain

翌朝は長かった今回の旅を終えて日本へと帰っていくフライトが出発する。いよいよミャンマーともお別れである。

]]>
【ヤンゴン街歩き】:本編その13:NLDのアウンサンスーチー、麻薬撲滅博物館https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%b3%e8%a1%97%e6%ad%a9%e3%81%8d%e3%80%91%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae13%ef%bc%9a%ef%bd%8e%ef%bd%8c%ef%bd%84%e3%81%ae%e3%82%a2%e3%82%a6%e3%83%b3/Sun, 19 Oct 2025 11:43:19 +0000https://madam-uae.com/?p=10121

翌朝はホテルで朝食を摂る。  この日はヤンゴン市内で興味のある場所を回る。しかも市内バスを使用してみた。使い方は専用アプリをインストールして行先を指定すると最寄りのバス停からの出発時刻・バス番号・到着時刻が表示 ... ]]>

旧アウンサン邸

翌朝はホテルで朝食を摂る。 

f:id:snowm-blog:20191028225526j:plain
f:id:snowm-blog:20191028225539j:plain

この日はヤンゴン市内で興味のある場所を回る。しかも市内バスを使用してみた。使い方は専用アプリをインストールして行先を指定すると最寄りのバス停からの出発時刻・バス番号・到着時刻が表示されるので初心者にも分かりやすかった。

f:id:snowm-blog:20191028225848j:plain
f:id:snowm-blog:20191028225914j:plain

バス停にて搭乗。仏教グッズが運転席付近を埋め尽くすのはタイと同様だ。

f:id:snowm-blog:20191028225728j:plain
f:id:snowm-blog:20191028225740j:plain

直行のバスがなかったため途中で乗り換え。次のバスが道の反対側であったために大量の車が流れている大通りを必死になって渡る。そして反対側でバスを待っていると突然のスコール。きちんと雨宿りできるところもなかったのだが, 屋台の狭い屋根を皆で共有してなんとか凌ぐ。

f:id:snowm-blog:20191028225750j:plain
f:id:snowm-blog:20191028225800j:plain

30分以上待ってやっと来たバスに乗り旧アウンサン邸宅を訪問。バスから降りる頃には豪雨は止んでいた。ミャンマー独立の英雄であるアウンサン将軍が暗殺されるまで過ごした邸宅であり, 当然ながらその娘アウンサンスーチーの家でもあった。この邸宅は現在はボージョーアウンサン博物館として公開されている。 なお現役のアウンサンスーチー邸も中には入れないが, 門の前で記念撮影をするのが人気らしい。

f:id:snowm-blog:20191028225810j:plain
f:id:snowm-blog:20191028225823j:plain

若かりし頃のアウンサン一家の写真が並ぶ。

f:id:snowm-blog:20191028225836j:plain
f:id:snowm-blog:20191101024843j:plain

NLD党本部

またバス停に向かうため街中を歩いていると掲示板には東京オリンピックの宣伝が。何故だろうかと首を傾げていると, よく見たらここは日本大使館の前であった。しかも目の前を公用車が通り過ぎようとしているところであった。

f:id:snowm-blog:20191028230603j:plain
f:id:snowm-blog:20191028230617j:plain

そして現在アウンサンスーチーが所属して民主化の原動力となっているNLD党の本部へとやってきた。別にここで何をするわけでもないのだが, なんとなくインターネットでヤンゴンの名所を調べていて気になっていたのだ。びっくりする事にセキュリティはかけらもない扉は解放されていて誰でも入れる雰囲気であった。

f:id:snowm-blog:20191028230631j:plain
f:id:snowm-blog:20191028230642j:plain

建物の中はアウンサンスーチーの写真や似顔絵が沢山。

f:id:snowm-blog:20191028230655j:plain
f:id:snowm-blog:20191028230705j:plain
f:id:snowm-blog:20191028230731j:plain
f:id:snowm-blog:20191028230749j:plain

訪問者が多いのか建物の隣の道端には屋台がありアウンサンスーチーのTシャツなどが売られているアイドルじゃあるまいしとも思うのだが, ともするときな臭いイメージもあるミャンマー政治からは想像もできない緩さの空間でほっと安心する。

f:id:snowm-blog:20191028230508j:plain
f:id:snowm-blog:20191028230541j:plain

日本食料理屋にて久々の日本食。流石に日本人駐在員の多いヤンゴンだけあって本格的。近年ミャンマーは急速に産業が成長していて日本人駐在員の増加率も非常に高い国だ。

f:id:snowm-blog:20191101025027j:plain
f:id:snowm-blog:20191101025052j:plain

麻薬撲滅博物館

この後麻薬撲滅博物館というところに行ってみた。

f:id:snowm-blog:20191101025115j:plain
f:id:snowm-blog:20191101025139j:plain

広々とした敷地に大きな建物が。ミャンマーはかつて黄金の三角地帯ことゴールデントライアングルの一角を形成しアヘン栽培が盛んな国であった。ラオスやタイと共に現在は沈静化はしているものの収入減に乏しい地方の産業からこれを撲滅するのは大変だったであろうことが想像できる。そんなミャンマーの歴史が分かるこの博物館である。ちなみにゴールデントライアングルのへそとも言える三つの国の国境地点は現在観光地化されていて沢山の旅行者を引き付けている。

f:id:snowm-blog:20191101025451j:plain
f:id:snowm-blog:20191101025739j:plain

ちなみに博物館での写真撮影は有料である。

f:id:snowm-blog:20191101025807j:plain
f:id:snowm-blog:20191101025830j:plain

海外でドラッグを吸っていた欧米人によるヒッピー文化の展示もあった。もちろん危険な文化を持ち込んだというネガティブな意味においてである。

f:id:snowm-blog:20191101025919j:plain
f:id:snowm-blog:20191101025942j:plain
f:id:snowm-blog:20191101030206j:plain

博物館を出てダウンタウンへと戻る。

f:id:snowm-blog:20191101030223j:plain
f:id:snowm-blog:20191101030241j:plain
f:id:snowm-blog:20191101030303j:plain
f:id:snowm-blog:20191101030327j:plain
f:id:snowm-blog:20191101030349j:plain

続く

]]>
【ヤンゴンのスラム街ダラを訪問】ビルマ縦断の旅:本編その12:日本の船に乗りスラムへhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%a0%e8%a1%97%e3%83%80%e3%83%a9%e3%82%92%e8%a8%aa%e5%95%8f%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae/Tue, 07 Oct 2025 05:26:38 +0000https://madam-uae.com/?p=10119

待合室で待っていると来た時は船が出たばかりだったからかガラガラにもかかわらず 5分も待っているとすぐに一杯になった。そこに対岸からの船がやってきて大量の乗船客が降りてくる。 乗船客が降りゲートが開くと, 乗船者 ... ]]>

ダラへの渡岸

待合室で待っていると来た時は船が出たばかりだったからかガラガラにもかかわらず 5分も待っているとすぐに一杯になった。そこに対岸からの船がやってきて大量の乗船客が降りてくる。

f:id:snowm-blog:20180930204011j:plain
f:id:snowm-blog:20180930204729j:plain
f:id:snowm-blog:20180930204642j:plain

乗船客が降りゲートが開くと, 乗船者が一斉に乗り込む。思っていたよりもずっと大きな船であった。これなら一気に大量の人数を載せられる。自分は写真を沢山撮りたかったので, 2階の端に陣取る。

出航してからヤンゴン川の景色を必死にとっていると, 隣の人が日本人かと日本語で話しかけてきた。

f:id:snowm-blog:20180930204655j:plain
f:id:snowm-blog:20180930204658j:plain
f:id:snowm-blog:20180930222209j:plain

船からはヤンゴンの港に沿ってタンカーなどが並ぶ様子が見て取れた。どうして日本語が話せるのだと尋ねると, 友達が日本大使館で働いているとの事だった。何で船に乗っているのか, 仕事は何しているのかと聞くと, 普段は向こう岸でシクロドライバーをやっており, 子供の送り迎えでヤンゴンに来ていた帰りであるとの事だった。

本当は今日乗り物に乗るつもりは全くなかったのだが, 落ち着いた語り口調で自分から営業をかけてこない姿勢に好感を覚え, 自分から家を訪問させて貰えないかとお願いした。

1時間9,000kyatsでどうだと言ってきたので, 相場はよくわからなかったが, さっき広場で話したインド系の女は20,000kyatsぐらいじゃないかと言っていたから, 安いもんかと思い, 8,000kyatsにだけまけてもらい合意した。

f:id:snowm-blog:20191102225511j:plain
f:id:snowm-blog:20180930204810j:plain

ダラ散策

日本とミャンマーの国旗マークが記された向こう岸に着くと, 沢山のドライバーから声を掛けてきたが, 彼らを無視して先ほどのドライバーのシクロに乗る。彼自身はビルマ人のようだが, ここのドライバーはムスリムが多いそうだ。 

自転車のサイドカーに乗って, 10分程走ると彼の自宅に到着した。ここまでの道中話に聞いていた通り, この国のどこで見たものとは明らかに異なる圧倒的な貧困地帯が広がっていた。家はボロボロだし, 狭いところに沢山の人が肩を寄せ合って暮らしているようであった。細い道端には狂犬病を心配してしまうような野良犬が沢山寝ていた。とはいえ, ドライバー達は住民一人一人を見知っているようで, 声をかけあっており, その見かけとは裏腹に悲壮的な雰囲気は全く感じられなかったのも印象的であった。

f:id:snowm-blog:20180930221121j:plain
f:id:snowm-blog:20191102225712j:plain
f:id:snowm-blog:20191102225733j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221435j:plain

彼の家に到着した祖母と子供に挨拶をする。椅子に座らしてもらい, よくよく話を聞くと家は海外によくある違法建築かと思いきや, ちゃんと家賃があり, 払って生活しているという。飲料水は井戸水の水質が悪いため飲むことができず, 雨季は雨水を, 乾季はヤンゴンから500チャットで飲料水を購入しなければならず家計を圧迫する原因となっているとの事であった。

f:id:snowm-blog:20180930204958j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221205j:plain

子供はタナカを付けている。男も18歳くらいまではタナカを付けるそうだ。家にはTVは備わっていた。東南アジアの田舎ではクーラーなど他に必要そうに思えるものよりもTVが優先的に備わっている事が多い気がする。

f:id:snowm-blog:20180930221244j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221336j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221342j:plain

またダラでたまに見かけた水田はここの住人のものではなく, 持ち主はヤンゴンに住んでいるという話であった。結局住人の数に対して稼げる仕事が不足しているのが, この町の問題点になっているようだ。

f:id:snowm-blog:20180930221528j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221536j:plain
f:id:snowm-blog:20191102230014j:plain

街中には学校のような建物もちらほら。大きな通りには商店も建ち並ぶ。

f:id:snowm-blog:20180930221641j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221809j:plain

彼らの話を聞いていると, 最も深刻なのは医療関係のように思われた。ダラにも病院があるようで無料で利用できるようだが, 信用されていないそうだ。彼の祖母も病気で視力を失ったそうで, 子供は9か月早く生まれて病院通いだそうなのだが, 高額ではあるものの, ヤンゴンの病院に行っているそうだ。おそらく医療保険に入っていないからだろうか1万円近くかかるそうで月収が非常に低い彼らにはとてつもなく大きな負担である事が察せられた。

f:id:snowm-blog:20180930221812j:plain
f:id:snowm-blog:20191102230303j:plain
f:id:snowm-blog:20191102230329j:plain

自宅訪問の後, 時間がまだ余っていたので, バンブービレッジという津波で大きな被害を受けた村へ寄ったのだが, この村はダラの中でも更に貧困が酷い場所であり, 子供達の多くがサンダルさえ履いておらず裸足で道を歩いていた。00

f:id:snowm-blog:20180930221917j:plain
f:id:snowm-blog:20180930221921j:plain
f:id:snowm-blog:20191102230448j:plain

一通り村を見て回った後, 近くの米屋で自分も米を購入して寄付させてもらった。25,000キャット分で俵に自分の名前を記した。ダラに住むドライバー自身も年に一度子供達のためにサンダルを寄付しているそうだ。貧しい者同士でも助け合いながら生きていこうとする姿勢にはなんとなく昔の日本のイメージとも重なり, 今の日本人も見習わなければならないところも多々あると感じられた。

f:id:snowm-blog:20180930222009j:plain
f:id:snowm-blog:20191102230626j:plain

結局なんだかんだ時間を食ってしまい埠頭に戻る頃には1時間過ぎていたのだが, 寄付をして, もう10,000kyatsしか残っていないから足りないなら歩いて帰るよと伝えたのだが,お前は自分の家に来てくれたんだ, お金の事は気にしなくて良いから, との男前発言。ここまで言わせて遠慮するのも無粋に思えたので, 遠慮なく乗せてもらい, スコールが降り注ぐ中埠頭まで走った。結局着いた頃には1時間半ぐらい経っていたと思うが, 10,000kyatsだけ支払って, 彼らと記念撮影を沢山とった。残念ながら彼らはfacebookなどをやっておらず写真は渡せなかった。

到着した頃には全身ずぶ濡れだったのだが, 不思議とそんな事も全く嫌な気がせず, ほっこりとした気持ちでヤンゴンに戻っていったのであった。印象に残ったのは彼ら自身が貧しい生活をしているにも関わらず, より貧しい住民を助けながら, 声を掛け合い生きていく姿であったと思う。この旅の中でも忘れられない経験であった。

f:id:snowm-blog:20180930201813j:plain
f:id:snowm-blog:20180930201931j:plain
f:id:snowm-blog:20180930201943j:plain

大型フェリー以外にも小舟が庶民の足となっているみたいだ。

f:id:snowm-blog:20191102231037j:plain
f:id:snowm-blog:20191102231111j:plain

ダラ自体にはほとんど仕事がないのであろう, 多くの在住者は対岸のヤンゴンで様々な仕事をしているようだ。

f:id:snowm-blog:20191102231159j:plain
f:id:snowm-blog:20191102231239j:plain

対岸のヤンゴンに戻ると再びの大雨に見舞われたので銀行らしき大きな建物が雨宿り。

f:id:snowm-blog:20191102231513j:plain
f:id:snowm-blog:20191102231440j:plain

そして雨が止んだ頃ガイドブックにも掲載されている近くの有名なティーハウスへと行ってみた。

f:id:snowm-blog:20180930201440j:plain
f:id:snowm-blog:20180930201311j:plain
f:id:snowm-blog:20180930201325j:plain

値段もミャンマーにしては割高で素晴らしいカフェなのだが, ある意味植民地文化の象徴のような場所でもあり, 華麗な上級社会を彷彿とさせる場所とこの日訪れたスラム街の二つの対比があまりに大きくなんだか不思議な感覚であった。

ミャンマーのスラム街ダラ地区には日本としても大型フェリーを寄付するなど歴史的に協力してきた経緯もあり, 今後発展していくミャンマーに取り残されないよう引き続き支援していって欲しいと思っている。

]]>
【ヤンゴンのスラム街への道】ビルマ縦断の旅:本編その11:ヤンゴンの街中歩きからhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%b3%e3%81%ae%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%a0%e8%a1%97%e3%81%b8%e3%81%ae%e9%81%93%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a/Sat, 04 Oct 2025 15:20:29 +0000https://madam-uae.com/?p=10117

ヤンゴンの街中へ お昼過ぎに陽の光で目を覚ました。ヤンゴンのホテルは地方とは違い, どこも値段の高いところばかりであり, 自分の泊まったホテルはヤンゴンの中では格安に近い料金だったので, どんな場所か心配もしていた。しか ... ]]>

ヤンゴンの街中へ

お昼過ぎに陽の光で目を覚ました。ヤンゴンのホテルは地方とは違い, どこも値段の高いところばかりであり, 自分の泊まったホテルはヤンゴンの中では格安に近い料金だったので, どんな場所か心配もしていた。しかし, 思っていたものより, よほど立派な宿泊場所であった。部屋はきちんと掃除が行き届いており, 水回りも綺麗にされていた。広さも十分で廊下やロビーは厳かな雰囲気もあって, 大満足であった。

そのホテルはダウンタウンの中でも北端のヤンゴン中央駅近くにあったので, 少し外をブラブラ歩いてみる事にした。駅に向かう陸橋の歩道はミャンマー風の屋根が特徴だ。特に目指す所もなかったので, ダウンタウンのシンボルでもあるスーレーパゴダに向かっていくこととした。

f:id:snowm-blog:20191031034202j:plain
f:id:snowm-blog:20180930203303j:plain

道中はこの国最大の街のダウンタウンらしく, 今までミャンマーで見た事ないほどの人が行きかっており, 人々の話し声で騒がしかった。騒々しさは以前に通ったタチレクの国境のようでもあったが, 異なるのは街そのものの発展度である。3,4階建て以上の建物が見渡す限りそびえており, それぞれの部屋は幅が狭く, 通りに灯りが十分にないため見かけはスラムのような感じもある。しかし, 危ない雰囲気は一切なく, 頻繁に見かけたのは映画館であり, この国での娯楽施設としては映画館が人気があるのかなと思ったものだ。

f:id:snowm-blog:20180930203356j:plain
f:id:snowm-blog:20180930203237j:plain

またこの国でもタイと同じように宝くじが人気あるのか, 宝くじ商店もしばしば見かけた。

スーレーパゴダ一つ手前の交差点では自動車交通量が多すぎて, 徒歩では渡る事ができない代わりに, 立派な歩道橋が架かっていた。上ると渡る人も多いのだが, 何をしているのか, ただ立っているだけの人も多くいた。また他の街ではあまり見かけなかった物乞いもちらほらいたのだ。 

f:id:snowm-blog:20191031034418j:plain
f:id:snowm-blog:20180930203506j:plain

ダウンタウンで目立つスーレーパゴダ。

消防署の前を通り向かっていく。

f:id:snowm-blog:20180930203549j:plain
f:id:snowm-blog:20180930203619j:plain

パワースポットにあやかっているのか手相占いの店が立ち並ぶ。

f:id:snowm-blog:20191031034533j:plain
f:id:snowm-blog:20191031035218j:plain


入り口には参拝客を相手にした花売りが待つ。 国内最大であり, イギリス統治時代に発展した港街というだけあって, 外国人というだけで特別扱いされる訳でもないのは流石ヤンゴンといったところだ。

スーレーパゴダの写真を外から撮って, 広場に行くと物売りが何人かいた。そういえば朝から何も食べていない事を思い出し, 300キャットのうずらの卵を買って食べた。この国ではうずらの卵やそれをたこ焼きのようなもので揚げたものが人気なのか売られている光景をよく見かけた。

f:id:snowm-blog:20191031035317j:plain
f:id:snowm-blog:20180930203724j:plain

観光名所でもある独立記念塔のある公園にて上手く殻を剥くことができず, 時間をかけて食べていると, 一人の女が話しかけてくる。私が川の対岸にあるダラという町を案内するよとの事。このダラという場所はヤンゴンの最貧困地区として知られ, 自分も今回の旅で行こうと思っていたところの一つであったため, 話を聞いてみる事とする。記念碑の近くに並んで座り, 話を聞くと彼女はダラに住んでいる学生であり, いつも船で川を渡り, バスで学校に通学しているとの事。

f:id:snowm-blog:20180930203738j:plain

川を渡る船賃は現地の人でも有料なのだが, 日本人が寄贈した船と整備した埠頭で運航されているため, 日本人は無料であるとの事。対岸ではトゥクトゥクをチャーターして, BambooVillageやRice field, Snake Pagoda, 陶器の町などを回ると言う。だが, ここで心配なのはお金の面である。ガイド料はとらないというのだが, ネットで調べるとトゥクトゥク料金を巡ってトラブルが続発しているようだった。また外務省の海安全渡航情報でも同様の警告が出ていた。彼女が言うには旅行者が直接交渉すると外国人相手にトラブルが発生するが, 地元の私がいれば大丈夫との事だったが, どこまで信用してよいのか不明だったために, とりあえず今日はやめて, 明日にすると伝え別れた。

f:id:snowm-blog:20191031035422j:plain
f:id:snowm-blog:20180930203829j:plain

ただトゥクトゥクを使わなければ, 船賃も無料だし, 渡るだけ渡って歩いてプラプラして良ければ, また明日来ようと思い, 埠頭に向かってみる事とした。途中にヤンゴン証券取引所があったので5分間ほどついでに立ち寄る。

ダラ行きフェリーに向かう歩道橋や埠頭では対岸住民の人々が激しく行き交っている。彼らの流れに沿って, お金を払うところで日本のパスポートを見せると, あっちの窓口へ行けと言われたので, 行ってみると名前の記帳を求められたので記入する。どうやら外国人はそうしないといけないようだ。またガイドは必要かと問われたが, 今日はブラブラ歩くだけと答えたら, それ以上は何も言われず通して貰えた。事前情報通り日本人は無料であった。

f:id:snowm-blog:20180930204001j:plain
f:id:snowm-blog:20180930204011j:plain
f:id:snowm-blog:20180930204729j:plain

そしてスラム街ダラへと続く。。

]]>
【交通事故とヤンゴン日本人墓地】ビルマ縦断その10:ネーピードーの休憩で別の行き先のバスと間違えて・・https://madam-uae.com/%e3%80%90%e4%ba%a4%e9%80%9a%e4%ba%8b%e6%95%85%e3%81%a8%e3%83%a4%e3%83%b3%e3%82%b4%e3%83%b3%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e5%a2%93%e5%9c%b0%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%9d/Thu, 02 Oct 2025 15:19:44 +0000https://madam-uae.com/?p=10115

バガンで交通事故 陽も沈んだ頃パガンのホテルにバスターミナルへ移動するための迎えのバスが来た。バスといってもトラックの荷台である。このトラックがバスに乗る旅行者を集めるため色々なホテルをしばらく回っていく。 自分は荷台の ... ]]>

バガンで交通事故

陽も沈んだ頃パガンのホテルにバスターミナルへ移動するための迎えのバスが来た。バスといってもトラックの荷台である。このトラックがバスに乗る旅行者を集めるため色々なホテルをしばらく回っていく。

自分は荷台の後方に腰を降ろしていた。そしてニャウンウーの近くで比較的広めの道路にて一時停止していた時, 突然真後ろから強烈なドーンという音とともに衝撃がトラックに響き渡る。乗客全員が後ろを振り向くとそこには二台のバイクが横たわっていた。どうやら一台は観光客のレンタルバイク, もう一台は地元民のバイクで両者が交通事故を起こして片方のバイクがトラックに後方から突っ込んできたようだ。トラックの荷台に乗った我々乗客には怪我はなかったものの, 事故を起こしたバイクのの方にはかなりの衝撃力があったもようで, 何とか周りの助けで本人は立ち上がったものの, バイクの方はフレームが曲がったのかタイヤが回らない状況になっていた。もの凄い音がしたしとても不安であったが, 本人は大丈夫だという素振りなので道路横に休ませて運転手の友人に任せてバスターミナルへと進んでいった。

バガンからヤンゴンへ

小雨が降り注ぐ中でヤンゴンに到着したのは, 朝6時半頃であった。

元々の予定ではバガンからインレー湖方面や首都のネーピードーに立ち寄っていくつもりであったが, 日数が足りなくなってしまったので, 結局どちらも飛ばしてミャンマー最大都市ヤンゴンへ行く事としたのだ。

ミャンマーのバスは意外にも快適であり, 自分が乗ったのは3列シートのVIPバスではなかったのだが, それでもシートは横幅が十分に広く, リクライニングも結構できるし, 軽食も配られ, スマホの充電用USB端子まで付いているなど, 日本の長距離夜行バスよりよほど心地よく移動する事ができた。

f:id:snowm-blog:20191028211503j:plain
f:id:snowm-blog:20180904222045j:plain

利用したのは大手バス会社であるE-lite社のバスである。旅行者にも人気のバス路線のようだ。

一点気を付けなければならないのは, 大手だけあって様々な路線を走らせているため, 深夜二時頃 ネーピードーでトイレ休憩した際に同じ会社のバスが何台もあり, しかも目的地を書いていないため(書いてあるものもあるが間違っていたどのバスに乗ってきたのか分からなくなってしまう事だ。(しかも深夜なので寝ぼけている)

最初全く別路線のバスに乗り込んでしまい, 危うく他の町に連れていかれそうになったので利用する者がいれば気を付けてもらいたい。(バスを覚えない自分が悪いのだが。。)

f:id:snowm-blog:20180904222432j:plain

そのネーピードーの休憩所だが, 高速道路を降りたサービスエリアのような場所になっている。建物やトイレはすごくきれいで, 日本における高速道路のサービスエリアのような近代的な建物であった。

また道路もこれまでとは打って変わって振動もあまり気にならず, ミャンマー最大の都市であるラングーンことヤンゴンと, 首都を結んでいるだけの事はあるなと感じさせられるこの国で最も良い整地状態であった。

f:id:snowm-blog:20180930024059j:plain
f:id:snowm-blog:20180930024131j:plain

噛みタバコのキンマも販売。

ヤンゴンへ到着

さてヤンゴンの北に位置する長距離バスターミナルに到着すると, あらかじめ調べていたある場所へ向かう事とした。そこは地図上で1, 2kmと歩けなくはない距離であったため, バスターミナルに着いたらどっちの方角へ向かったら良いか, 確かめようと思っていると案の定タクシードライバーが沢山集まってきた。

彼らはダウンタウンへ行くのか, とか20,000kyatsでどうだとか話を持ち掛けてくるが, 何となく憶えていた相場より大分高いので, これから近くまで歩いていくんだと何度か繰り返し答えると大方は去っていってしまった。(ちなみにヤンゴンについて2番目に止まるバスターミナルが終点。最初に停車したバスターミナルは規模が小さいので注意)

f:id:snowm-blog:20180904222552j:plain
f:id:snowm-blog:20191028211654j:plain

最後に一人だけ残った人の良さそうなドライバーがその場所へ寄ってからダウンタウンへ向かうなら乗せて行ってやるぞと言うので待機時間料金も含めて15,000kyatsで合意して向かう事とした。

さて, この時に向かった場所だが, それはイエイウェイ墓地という場所であった。

バスターミナルを出て, 大通りを少しだけ走ってから, 人や自転車が行きかう通りに入っていった。どうやら朝市のようなものが開かれていたようだ。時間帯柄か通学中の女学生を多くみかけた。

f:id:snowm-blog:20191028212421j:plain
f:id:snowm-blog:20180904222842j:plain

そこを10分程走っただろうか, 外れの方まで来ると墓地の入り口に来た。入り口には『ヤンゴン日本人墓地』と記されている。

f:id:snowm-blog:20191028212626j:plain

中に入っていくと, 結構広い敷地内に墓石や石碑が沢山並んでいる。石灯籠もある。元々調べてはいたのだが, ガイドブック等に出ているのはいつも一番大きな慰霊碑のみであったので, これほど沢山のものが並んでいるとは思ってもみなかったのだ。

f:id:snowm-blog:20180904223047j:plain

一つ一つ見ていくと実に様々なものがあるという事が分かった。ビルマの竪琴の主人公のモデルとなった人の墓など太平洋戦争に関するものからJICAの飛行機事故犠牲者まで様々な人の物語が感じられた。

途中で雨が小雨から本降りになってきたので, 一番大きな屋根付きの慰霊碑に入り, 雨宿りをしながら, 訪問者ノートに記帳をする。この慰霊碑には供えられた花瓶の他にも千羽鶴が吊られている。

墓地に入った時から何となく人の気配を感じていたが, 彼らはどうやらこの墓地の掃除をしてくれている地元の方だったようで, 気付いたら一緒に雨宿りをしていた。他国の人の墓のために, こんな朝早くから墓地の清掃をしてくれるなんて有難い事である。記帳する所の前方にある桶には彼らに対するお金を寄付する事ができるようで, 自分も10,000kyats置いておいた。記帳ノートを見ると,  結構な数の日本人が訪れているようで毎日平均して7人ぐらい訪れていた。そういえば日本の閣僚もミャンマーのこの場所を訪れていたなと思いだし, 訪問日を調べてみたが, どうやら記帳はしていかなかったようだ。

f:id:snowm-blog:20180904223405j:plain

雨がおさまるまで30分程待ってから, ようやく出る事とした。ホテルを予約していなかったので, 雨宿りしている間に調べておいた評判が良くて部屋の空きがあるヤンゴン中央駅近くのダウンタウンのホテルまで行ってもらう。

朝8時頃の道中は通勤ラッシュの時間だったようで, 沢山の自動車とバスが渋滞の中走っている。この国ではバイクは流行っていないのか, ベトナムやタイほどは多く見かけなかった。その代わり日本の中古車を多く見かけた。そのため, 日本車用の右ハンドルと左ハンドルが混在するというカオスな状態であった。

公共バスもかつては日本の中古車が多かったようだが, 近年に自動車は右側通行に変更されたためであろうか, 左ハンドル仕様である韓国の中古車を多く見かけた。

f:id:snowm-blog:20191028213455j:plain

渋滞を抜けてダウンタウンの大きなパゴダも見えてきて, ようやくホテルに着くと, まだ朝の8時半くらいであったが, 親切にも部屋に入れてもらう事ができたので, シャワーを浴びてから昼まで少し睡眠をとる事とした。

]]>
中東の国々を日本に例えたら後編https://madam-uae.com/%e4%b8%ad%e6%9d%b1%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%80%85%e3%82%92%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e4%be%8b%e3%81%88%e3%81%9f%e3%82%89%e5%be%8c%e7%b7%a8/Thu, 25 Sep 2025 11:30:59 +0000https://madam-uae.com/?p=9405

15.トルコ:愛知県 基本的に中東には含まれないのだが, 中近東というくくりでは中に入るトルコは自動車産業が盛んで何気にGDP世界ランクも結構高い産業国である。トロイの木馬など古代遺跡も多くイスタンブールのブルーモスクな ... ]]>

15.トルコ:愛知県

基本的に中東には含まれないのだが, 中近東というくくりでは中に入るトルコは自動車産業が盛んで何気にGDP世界ランクも結構高い産業国である。トロイの木馬など古代遺跡も多くイスタンブールのブルーモスクなど宗教施設も観光客が必ず訪れるコースの一つである。

愛知県は熱田神宮など神道での重要な宗教施設があり、またいわずとしれた自動車製造業の一大拠点である。また自動車だけでなく航空機を製造する技術力を持っていたりと愛知県は製造産業に強い県。自動車産業・鉄鋼業・航空宇宙産業・防衛産業に強いトルコはトヨタを始めとする自動車産業や三菱重工業が拠点を持つ愛知県のようだ。

保守的な地方の特色とイスタンブールの解明的雰囲気を合わせ持つトルコは三河と名古屋の関係に似ているかもしれない。有名なトルココーヒーはさながらコメダ珈琲をはじめとする名古屋の喫茶店文化だろうか。

世界三大料理との呼び声もある独特なトルコ料理は日本でも異彩を放つ名古屋めし。渥美や知多などリゾート地も多いがトルコの地中海リゾートも欧米人に人気が高い。

三英傑と呼ばれた戦国武将は京の都を脅かし天下をもとったが、トルコもまた中世に欧州を脅かした軍事強国である。

かつての東海道では八里の渡しのルートを持ち、現在でも東名・名神高速道路のハブであり、また東京・大阪を結ぶ日本の大動脈である東海道新幹線を運営するJR東海が本社を置く。トルコもまた古くはシルクロードの時代から今もアジア・ヨーロッパをつなぐ交通の要衝だ。中東・ロシア・コーカサスからエネルギーを欧州に運ぶ役割も持つ。

イスラム教を多数派としながらも世俗主義を是としてスポーツくじなどはオッケーとされているのはグレーなギャンブルであるパチンコ企業を多く生み出した愛知県のようだ。

保守的な地方の特色とイスタンブールの解明的雰囲気を合わせ持つトルコは三河と名古屋の関係に似ているかもしれない。都市化された近代的な部分と三河気質とも称される地方の頑固さを兼ね備える県民性はヨーロッパ化されたイスタンブールと地方の保守的なイスラム教徒を持つトルコだ。

16.ギリシャ:三重県

ヨーロッパにとって神話の里でありパルテノン神殿が丘に聳えるギリシャは日本神道の最高峰である伊勢神宮をかかえる三重県。どちらも今でも多くの巡礼観光客を受け入れている。

幼少より忍びとして鍛えられた忍者の里でもある三重はギリシャのスパルタと重なる。九鬼水軍など海戦でも知られるがギリシャもまたペルシャ帝国と陸に海に闘った国である。

17.キプロス:岡山県

地中海の島国であり、穏やかな気候で観光客を集める島キプロスは、日本で最も天災が少ないと言われ瀬戸内海沿いの穏やかな気候で知られる岡山県だろうか。

吉備の国である岡山県は備前や備中をその領域とする一方で福山市など間に天然障壁を持たない備後の国は広島県の領域とされてしまった。その事により戦後一部地域で市町村の越境合併騒動が起きるなど県境に関する問題が発生したが、キプロスもまた親ギリシャ側と親トルコ側で領域が分断され、首都ニコシアには今でも繁華街の真ん中に国境線(紛争停止ライン)が引かれているのも少し似ている。

18.マルタ:佐賀県

騎士団の国であるマルタは武士道を書物にまとめ、また維新の志士を多く輩出した佐賀県か。戦国時代にも猛将を輩出した武士と騎士の国としての共通点がある。マルタ国内にある首都バレッタの世界遺産は県庁所在地佐賀市から程近い場所にある吉野ケ里遺跡とかぶる。

19.アンダルシア(スペイン):徳島県・高知県

情熱的なフラメンコで有名なスペイン南部のアンダルシア地方もまたかつてもイスラム帝国勢力圏である。陽気な南国のイメージともあいまって阿波踊りとソーラン節という日本で最も有名な踊りの総本山である徳島県・高知県とイメージがかぶる。

カツオなど海鮮料理の美味しさやバルと酒好きの文化も共通する特徴だ。祖谷渓や四万十川など自然豊かな土地だがアンダルシアもまた山がちな自然豊かな土地だ。

地理的には四国と関西を結ぶ鳴門海峡および鳴門大橋という重要な部分を有している一方でアンダルシアもまた地中海とアフリカをわかつジブラルタル海峡があり地中海と大西洋を結ぶ地理的要衝である。

20.モロッコ:石川県

比較的治安の悪いアフリカにあって女性にも人気の観光先であるモロッコは小京都と言われお洒落な文化財や街並みが楽しめる金沢を県庁所在地とする石川県だろうか。辺境な場所に立地しながらも雅な文化を築き上げて、旅行者を魅了しているという点で共通しているように思う。

温泉地や温泉宿でも有名な石川県だがトルコもハマームと言われる大衆浴場文化が存在する。

21.チュニジア:山口県

ローマ帝国時代にハンニバルという名将を生み出したチュニジアは、幕末の維新志士を多く生み出して、創設された日本陸軍の主力を構成した山口県か、日本陸軍伝統の勇猛果敢な銃剣突撃による攻撃はハンニバルの象部隊によるアルプス山脈越えという不可能を可能とした豪胆な戦略と相通じるものがある。

山口県には萩や津和野・岩国の歴史的町並みが残るが、チュニジアもまたチュニスやカルタゴなどに歴史的遺産とともに古い町並みが残る場所だ。

22.スーダン:和歌山県

エジプトと国境を接し、ナイル川上流の国、スーダンはエジプトこと大坂に経済的にも文化的にも強く影響を受ける和歌山県としたい。

近年まで紛争を抱えていたがアラブ圏から外れる南スーダンが分離する形で落ち着くこととなった。そういえば和歌山県の枠組みとなった紀伊の国もその東岸側北部が分かれて三重県に含まれる形となってしまった。

23.エチオピア:熊本県

アフリカ連合の本部があり、アフリカ大陸で唯一最終局面まで国の独立を守ったエチオピアは、明治維新で侍たちが最後まで政府軍に抵抗した熊本県。

阿蘇山に代表されるように大自然のある熊本県だがエチオピアもまたアフリカにあるだけに自然・動物が豊かな土地。

またアフリカでは珍しくキリスト教が主流の国であるが、熊本もまた天草のカトリックで有名な土地である。

24.ザンジバル(タンザニア)・モルディブ・セイシェル・モーリシャス:沖縄県

ビーチリゾートで有名なタンザニアのザンジバルもかつてはオマーン海洋帝国の勢力圏でありアラブ世界の一部を形成してきた経緯にある。

ザンジバルに劣らず新婚旅行先として有名なモルディブ・セイシェル・モーリシャスなど、リゾートステイでの目的地として人気なこれらの国々は気候温暖で海が楽しめる沖縄県。

ザンジバルはクイーンのボーカルであるフレディマーキュリーを輩出したが、沖縄もまたSPEEDや安室奈美恵などなど著名な音楽家を何十人も輩出した県である。

25.アルメニア:山梨県

シナイ山を故郷の地としてあがめるアルメニアは富士山の登山口となり、富士山を中心に観光開発されている山梨県か。

交通系企業を中心に甲州商人・甲州財閥として出身起業家達が強い力を持っていた時代もあるが、アルメニアもまたアメリカにおいてユダヤ系ロビーの次に強い力を持つロビー勢力といわれるほど。小国ながら国外移民者ネットワークによる力は決して無視できない影響力を保持するのだ。

26.ジョージア:長野県

アルメニアとも隣接してコーカサス山脈南麓の標高の高い国であるジョージアは日本アルプスが聳える長野県か。

山岳国でありレスリングや格闘技の世界で多くの名選手を輩出するジョージアだが長野県もまた雷伝という伝説の力士を輩出した場所であり、戦国時代には真田家が北部の上田市に本拠を構え、天下分け目の戦いの戦況を左右した。

ジョージア国内にはソ連時代からの経緯によりアブハジアなど国内分裂の火種を多く抱えるのだが、長野県もまた長野市を中心とする県北部、松本を中心とする県央部や県南部で交通の便の悪さからいまいちまとまりのない地域という部分で共通する。

27.アゼルバイジャン:秋田県

アメリカと並んで世界で最も古くから油田開発の歴史があるアゼルバイジャンは、日本の戦前の一大石油産出地帯であり日本のエネルギーを支えた秋田県。アゼルバイジャンもかつて世界で最も多く産出する地帯であり第二次世界大戦ではナチスドイツにも狙われた国。両者にとって街中の石油を汲み上げるポンプ機器は見慣れた光景だ。

またバクーなどアゼルバイジャンの街自体もシルクロードの隊商宿キャラバンサライの名残をとどめる歴史ある街として世界遺産となっているが、秋田の角館も古くからの武家屋敷町の雰囲気を強く残す町並みとなっている。

アゼルバイジャンは美人が多いことも特徴的だが秋田県も言わずと知れた美人どころだ。濃い白色の乳頭温泉郷はアゼルバイジャンの石油に入る黒色の石油風呂文化と対照的だ。トルコ同様にアゼルバイジャンにもハマームと言われる大衆浴場文化がある。

28.トルクメニスタン:青森県

カスピ海を挟んでアゼルバイジャン対岸の国トルクメニスタン。あまり知名度がないが独裁国家で実際あまり詳しい情報はみつけにくい国でビザもとりにくい他者をよせつけない雰囲気は本州最北端の青森県ではないだろうか。

独特の津軽弁は余所者にとっては非常に難しい上に、下北半島の恐山やイタコ文化は余所者にとってはなかなかハードルが高い。恐山には三途の川にかかる橋というのもあるが、一方でトルクメニスタンもまた地獄の門という地下から湧き出る天然ガスにより永遠と燃え続ける巨大な穴があり、地獄の雰囲気を醸し出している点で共通するポイント。

29.ウズベキスタン:栃木県

中央アジア屈指の観光大国。

飛行機によるアクセスはあまりよいとはいえないが、青の都こと世界遺産のシルクロード都市サマルカンドなど旅行先として人気の高いウズベキスタンは世界遺産日光があり首都圏の学校の社会科見学や修学旅行先として定番の栃木県だろうか。

歴史的にもかつてユーラシア一帯の覇者となり帝国を築いたティムール帝国の拠点地域であり、彼の墓も存在するのだが、日光もまたかつて日本の覇者となった徳川家康の墓がある。

栃木は新幹線の通る都道府県だが、ウズベキスタンもまた意外にも新幹線の稼働している国だ。

30.カザフスタン:新潟県

鉱物や石油天然ガスが豊富で資源大国のカザフスタンはガス田や発電所が多くあり日本のエネルギーを支えている新潟県。

カザフスタンは中央アジアでも最も北に位置するだけあって天候はかなり寒冷で厳しいが新潟もまた豪雪地帯として知られている地域だ。

31.タジキスタン・キルギス:山形県

日本人と似た顔立ちの人も多い両国はシルクロード沿いの山国。小国でアクセスもよくないのであまり知られていない辺境国の一つ。ヒマラヤ山脈の連なりの中にあって標高も高い両国は出羽三山や山寺など山に宗教的意味合いがある山形県。

中国・カザフスタン・ウズベキスタン・アフガンと良くも悪くも存在感のある国に囲まれた結果、なかなか奥深い国であるにも関わらず、いまいち存在感を発揮できない国である。

]]>
中東の国々を日本に例えたら前編https://madam-uae.com/%e4%b8%ad%e6%9d%b1%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%80%85%e3%82%92%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ab%e4%be%8b%e3%81%88%e3%81%9f%e3%82%89%e5%89%8d%e7%b7%a8/Thu, 25 Sep 2025 11:22:35 +0000https://madam-uae.com/?p=9400

近年のISの台頭と壊滅作戦、クルド民族問題、シリアのアサド政権や化学兵器、ドローンによるサウジアラビア製油所爆撃、ホルムズ海峡タンカー襲撃、イラン革命防衛隊精鋭部隊の司令官暗殺、アフガン駐留米軍の撤退とタリバン支配、ガザ ... ]]>

近年のISの台頭と壊滅作戦、クルド民族問題、シリアのアサド政権や化学兵器、ドローンによるサウジアラビア製油所爆撃ホルムズ海峡タンカー襲撃イラン革命防衛隊精鋭部隊の司令官暗殺アフガン駐留米軍の撤退タリバン支配、ガザ紛争、イスラエル・米軍イラン核施設攻撃とイラン・イスラエルによるカタール攻撃などますます混迷を深める中東情勢

エネルギー安全保障ともからむだけに日本とも密接な関係があるが, 中東地域の国々には馴染みがないし, 何が何だかという人もいるかと思う。

そこで今回は多数の個人的な偏見を含みつつも中東各国のキャラクターを日本の都道府県に例えて紹介してみたい。

f:id:snowm-blog:20210913015236j:plain

1.UAE:東京都

武家社会で質素な首都のアブダビは東京の霞ヶ関・永田町・日比谷・赤坂

高級ショッピングモールやナイトスポットの多い開放的なドバイの新市街は東京の銀座・新宿・渋谷・表参道だろうか。

歴史的経緯から各首長国の独自性が強いのが特徴のUAEではドバイ・アブダビ以外の首長国に出かけると一転してのどかな昔ながらの様子も見られることができ, 一つの都道府県ながら西の八王子や離島を抱えて様々な側面のある東京都のイメージ。

またドバイの旧市街である下町地区は入り組んだ路地で構成され上野・御徒町・浅草・池袋・秋葉原のような活気ある商店街地区である。

そして博物館・美術館のあつまる上野公園は昔ながらの街並みをお洒落に整えたバスタキヤ地区

中東三大航空会社のうちエミレーツ航空エティハド航空という二つの世界的航空会社を持つ交通拠点でもあり、頻繁に多数の新幹線・飛行機が発着する東京駅・羽田空港のようだ。

京や大阪と比べると新しい街になる江戸だが, UAEも近年独立した比較的新しい国である。

東京の下町にそびえるスカイツリーはドバイのダウンタウンにあるブルジュハリファだ。

2.イラン:京都府

古くから都として栄えた歴史ある京都。イランは古代のペルシャ帝国をはじめとして伝統文化が多彩な国。この地域での文化の覇者であったが、京都も日本の伝統文化をリードする町だ。

今の湾岸アラブ国家はイランと対立しているが例えばUAEが誇るグランドモスクでは世界最大のペルシャ絨毯をかつては売りにしていたことからもわかる通り本来文化的には深い繋がりがあるのだ。

ペルシャ文学は古くから栄えたが京都も平安時代などの古典文学を代表する場所だ。

またアメリカをはじめとする世界最強級国家にナチュラルに喧嘩を売りに行くスタイルは東京や大阪など日本最強クラスの都道府県さえナチュラルに見下してしまう京都人さながら。

京都府は宇治や福知山や天橋立など地方も面白いが, テヘランだけでなくイスファハーンなど首都以外にも見どころの沢山あるイランのようだ。

京都市は山に囲まれた盆地として有名だが、イランの首都テヘランもまたザグロス山脈などに囲まれた盆地である。

3.バーレーン:神奈川

保守的なアラブ圏にありながら非常に開放的な雰囲気の国。ガルフで最も早くから石油が採掘されていただけあり, 欧米文化に対して寛容的。日本に例えたらかつてペリーの来航により開かれた港で栄えた神奈川だろうか。

湾岸諸国にも関わらずお酒を飲むことができるなどナイトライフが充実しているため週末ともなればサウジアラビアから首都のマナーマ周辺に夜遊びに来る不良アラブ人で溢れるのは横浜や川崎の繁華街といったところ。

平日にはサウジアラビア東岸の石油産出地帯で働く外国人労働者が週末に大挙として両国を結ぶ橋に押し寄せて渋滞を作るのはさながら首都圏の通勤ラッシュだ。

また米海軍の中東地域を管轄する第五艦隊の母港があるのはさながら第七艦隊の母港のある横須賀だ。

かつては世界的な真珠取引の拠点でもあったバーレーンだが, 横浜も外資系企業が多く立地しており横浜港は国際的な貿易拠点である。

真珠商人の集まった世界遺産地区ムハッラクは神奈川の古都鎌倉か。エデンの園とも言われるほどこの地域では豊かな土地であるバーレーンだが箱根や横浜・鎌倉など遊興先として人気なのも共通。

元々は東京と同じ武蔵の国である神奈川県。日本では東京大阪に次ぐ第三の県と呼ばれつつも所詮東京の首都圏に過ぎないと言われるが地元民の自尊心は高い。一方でバーレーンも過去にはUAEと一緒の国として建国しそうになったが寸前のところで離脱して一人立ちとなった経緯がある。

4.イスラエル:兵庫県

外資系企業が多く立地している近代的雰囲気はさながら神戸のよう。イスラエルもまたハイテクノロジーを売りとする企業ベンチャーの盛んな国だ。かつては杉原千畝ビザによるユダヤ人難民たちが一時的に滞在していた場所でもある。

また瀬戸内海側と日本海側で異なる顔を見せるのもパレスチナ自治区という異なる顔のあるイスラエルだ。

そして情報機関やマフィアが有名で不安定要素を抱えながらもセキュリティが厳しすぎて中途半端な悪ははびこらないのは、日本最大の暴力団を抱える兵庫県か。

拠点を置く三菱重工に代表されるように軍需産業に強いのも共通するポイント。

5.エジプト:大阪府

ピラミッドを求めて観光客が多く訪れるエジプトはコロナ前の数年インバウンドで訪問客急上昇していた大阪。ほかのアラブ国の民とは違って単に商売上手なだけでなく人付き合いがうまいこてこてスタイルは大阪のミナミ風だ。

都市のすぐ近くにテーマパークのようなピラミッドがあるのはUSJというディズニーリゾートとも競合するほどのテーマパークを持つ大阪だ。

洗練されたアレクサンドリアの港は堺であり、ナイル川スエズ運河をもつ水の国でもあるが, かつて水路が縦横に走り水の都とも称された大坂のようだ。

アラブ諸国では最も早くに兵庫県ことイスラエルを国家として承認した国はお隣の存在だ。

かつてはアラブ世界における政治・経済のリーダーであったエジプトは世界で最も早く先物取引市場が発達しかつて日本の経済活動の中心地だった大阪のようだ。

6.サウジアラビア:鹿児島県

アラブを代表する国家であり超保守的な国。日本で言ったら著名な維新志士戦国の猛将を沢山輩出した鹿児島だろうか。火山灰など過酷な気象環境を生き抜く根性も備えるのは灼熱の砂漠にいきぬくベドウィンだ。

保守的でありながらアメリカと仲良いのは薩英戦争を経て欧米から学ぼうとした薩摩を思い起こさせる。共通する気質は我慢強さや、無骨さ、頑固さといったところだろうか。

西郷隆盛など、近代日本の政治や軍事の礎となった鹿児島はイブンサウドやオサマビンラディンを排出し現在のアラブ世界で名の知られた人物を特に輩出したサウジアラビアだ。

7.クウェート:長崎県

湾岸戦争でイラクの侵攻により国が一度は廃墟と化したとは思えない発展ぶりのこの国は奇跡的ともいえる原爆からの復興の道を歩んだ長崎県。

かつてダウ船の造船所がそこら中にあり槌の音が国中に鳴り響いて栄えたこの国だが長崎もやはりまた三菱グループの源流ともいえる三菱重工の造船所をはじめとして様々な企業の造船所を持つ。

長崎の出島は鎖国していた江戸時代に海外との交易窓口であったが、クウェートもまたスエズ運河ができるまでは地中海とインド洋を繋ぐ重要な交易拠点であった。

中東ではバーレーンに次いで米軍の駐留が多いこの国は佐世保のようだ。

8.イラク:福岡県

かつて古代文明が栄えた神話の国は邪馬台国の存在も噂される福岡県。

大宰府をはじめとする古代文化でも有名だが、イラクではチグリス・ユーフラテスと二つの大河を抱える恵まれた立地条件からメソポタミア文明が栄えた。

数々の戦争当事者となったこの国は多数の指定暴力団が本拠を置き修羅の国とも啓容される福岡県。イラクでは世界各国から一攫千金を夢見た出稼ぎ労働者が命の危険に晒されながらも米軍基地などの軍事施設で働いている。

治安はすこぶる悪いが、同じく治安の悪い国として有名なアフガンと異なるのはその豊富な地下資源である。中東湾岸諸国同様に巨大な石油資源を抱えるこの国だが、福岡県もかつては炭鉱の地下資源開発が盛んな地域であった。

 9.カタール:埼玉県

世界一つまらない町として有名なドーハ。

本当は遺跡とか色々あるのだけれども, 他の国と比べて超保守的でもなければ超革新的でもない。外国人移民が高いのもアラブ諸国の代表的な特徴であり, アラブ国家の平均的な国といえる。そんなカタールは日本の平均値とも言われる埼玉県。

実は歴史的古墳とかありつつも観光面では人気のない埼玉はまさに日本のカタール。空気を読むのに長けて温和でサポートが得意な埼玉県民らしくアラブとその他の利害対立国との橋渡し的存在として一目置かれる存在でありながら、時には両方から仲間外れにされてしまう事もある悲哀の国だ。

何気にアルジャジーラという中東一有名なメディアを抱えるこの国はNACK5という人気ラジオで関東全域に影響力を持つ埼玉県か。埼玉ではプロサッカーが人気だが, ワールドカップ初出場を逃したドーハの悲劇の舞台もここ。また2022年のワールドカップ開催国でもある。

中東三大航空会社の一つであるカタール航空を持つ国だが, 交通博物館があり東日本全域に向かう新幹線路線網の一大拠点である埼玉県。

10.アフガニスタン:広島県

南アジアに分類される事もあるので中東に含めるかどうかは賛否あるが, もし例えるとしたら広島県ではないか。

帝国の墓場とも言われるこの国はその時代その時代の覇権国が侵攻した結果頑強な抵抗により落ちぶれる原因を作った国

国内最大の暴力団である山口組の進出さえ退けた広島ヤクザのようである。国内には地元の民兵組織や地方軍閥などが群雄割拠している結果、ソ連やアメリカすらよせつけない状況と化している。多数の民族を抱えて様々な武装集団(かつたいてい一枚岩ではない)を抱えてドラッグの産地でもあるこの国は気軽に手を出してはいけない地帯となっている。

11.パキスタン:岐阜県

イギリス統治時代にはインドと同じ国扱いであったが, 一つの独立国である。山に囲まれて風の谷とも言われ、ナウシカのモデルと言われる村もあるほど安全だった時代に旅したシニアのバックパッカーには人気だった場所である。一時期は君の名は聖地巡礼でも話題となった。

そんなパキスタンは奥飛騨の山々を抱え、白川郷・飛騨高山など伝統の残る街も多くある岐阜県ではないだろうか。パキスタン人はまだまだ民族衣装を着る人が多く伝統を大切にする気質。

山々を超えていくトラック運送業では派手に着飾ったデコトラが非常に有名だ。岐阜県も西濃運輸をはじめトラック運送業が強い県。

またアフガンからソ連を追い出す主役となったムジャヒディンと呼ばれるイスラム戦士たちを育てた国でもある。岐阜県も天下分け目の関ヶ原の戦いの舞台となり、また斎藤道三織田信長など戦国時代において中心となった土地でもある。

12.ヨルダン:島根県

世界的な観光地であるペトラ遺跡を持つ。戦争の多い中東の中ではイスラエルが隣接しながらも比較的まったりした空気。

中東屈指の観光国。ドバイやクウェート・カタールなどが作られた観光国家であるのに対して元来の伝統的遺産を利用するタイプ。都道府県に例えるなら出雲大社など伝統的な建築物を持ちながらもいまいち存在感のない島根県だろうか。

13.レバノン:静岡県

かつて地中海をわがものとした海の民であるフェニキア。開放的な雰囲気のある港町でもありながら後背地には山脈がそびえ立っている。山と海を抱える国でレバノン杉が特産であった。

伊豆下田を持ち海沿いの開放的な気質でありながらも、富士山南アルプスを抱えて大井川鉄道など山の側面もある静岡県はレバノンのようである。

中東のパリとも称され過ごしやすい気候のレバノンはサーフィンなども楽しめるリゾート地として静岡県がしっくりくる。

レバノンはカルロス・ゴーンをはじめとする著名な経営者を輩出したが、静岡県もまたトヨタの初代となった豊田家をはじめホンダスズキヤマハなど世界的に有名な起業家・企業を輩出した。

レバニーズレストランは中東で幅を利かせるアラブ料理の元祖的な存在でもある。

14.オマーン:奈良県

古くからの文化を大切にする国。

性格は攻撃的・保守的・開明的でもない自然と調和した生き方をしている気がする。アラブ圏では文化遺産も非常に多く観光に訪れる価値は十二分にあるのだが, サウジアラビアやUAEの陰にいつも隠れがちなのは京都や大阪に隠れがちな奈良県のよう。

実は東アフリカなども含めてかつてインド洋にかなりの規模を誇った海洋覇権国家だったのも、かつては平城京で日本の都として栄えた奈良県と共通している。

]]>
【ビルマの村と少数民族】ビルマ縦断の旅:本編その9:パガンで村巡りhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e3%81%ae%e6%9d%91%e3%81%a8%e5%b0%91%e6%95%b0%e6%b0%91%e6%97%8f%e3%80%91%e3%83%93%e3%83%ab%e3%83%9e%e7%b8%a6%e6%96%ad%e3%81%ae%e6%97%85%ef%bc%9a%e6%9c%ac%e7%b7%a8/Thu, 25 Sep 2025 11:07:26 +0000https://madam-uae.com/?p=10113

若者達と別れて散策を続ける。パガン地域で面白いのは仏教遺跡だけでなく途中途中に村があって地元の人達の生活の場所があるところ。主要な道から一本それればすぐにそういった光景に出くわすのだ。 トイレらしき小屋?道端では子供達が ... ]]>

ミィンカバー村

若者達と別れて散策を続ける。パガン地域で面白いのは仏教遺跡だけでなく途中途中に村があって地元の人達の生活の場所があるところ。主要な道から一本それればすぐにそういった光景に出くわすのだ。

f:id:snowm-blog:20191026024224j:plain
f:id:snowm-blog:20191026024235j:plain

トイレらしき小屋?道端では子供達が遊んでいるのが定番だ。この村はオールドパガンとニューパガンの間にあるため一番有名だろう村。名前をミィンカバー村という。

f:id:snowm-blog:20191026024245j:plain
f:id:snowm-blog:20191026024257j:plain
f:id:snowm-blog:20191026024641j:plain

お祭りなのか儀式で使うのか鶏の巨大模型を作成中だ。

f:id:snowm-blog:20191026024652j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025118j:plain

適当に進んでいたら何やら藪の中の道に迷い込んでしまったようだ。

f:id:snowm-blog:20191026025128j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025140j:plain

そんな道なき道を進んでいってもパゴダが当たり前のようにあるのがパガンの凄いところでもある。

f:id:snowm-blog:20191026025151j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025202j:plain

ちゃんとした道にでてきた。ミャンマーのローカルなバスはこんな風にトラックの荷台一杯に人が敷き詰まるまで乗せられる。自分がマンダレーで体験したようにこの状態でスコールに襲われると横からの雨でびしょびしょになってしまうのだ。

そしてミャンマーの英雄アウンサン将軍アウンサンスーチー女史の父親にしてミャンマー独立の志士である。ミャンマーは少数民族問題で騒がれる事も多いが各地の少数民族からミャンマー国家形成の合意を取り付けたのも元はこの人の力によるものだ。(死後にミャンマー政府が約束を破ったりしたため関係がこじれるのだが。)

f:id:snowm-blog:20191026025211j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025411j:plain

タテェーカン村

ニューパガンを通過して内陸側からニャウンウー方向へ進む途中に横道へそれると沢山の村がある。その一つがタテェーカン村である。

f:id:snowm-blog:20191026025422j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025436j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025742j:plain

東南アジアで縦床式住居を見かける事は決して珍しくない。縦床式住居における床下は家畜がいたり, 主婦達が談笑していたりと有効に使われている事が見ていて多い気がする。タイのように進んでいる国の地方では床下に自動車が置かれている事もある。

f:id:snowm-blog:20191026025755j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025806j:plain
f:id:snowm-blog:20191026025826j:plain

手作りの揺り籠で幼子があやされている。こういったところで村人に挨拶すると笑顔で返してくれるのもミャンマーを好きになった理由の一つだ。

f:id:snowm-blog:20191026025843j:plain
f:id:snowm-blog:20191026030208j:plain
f:id:snowm-blog:20191026030236j:plain
f:id:snowm-blog:20191026030252j:plain

村にはやはりパゴダもあるし, 小学校もあった。

ミンナントゥ村

次にまた別の村であるミンナントゥ村へ。

f:id:snowm-blog:20191026031325j:plain
f:id:snowm-blog:20191026031338j:plain
f:id:snowm-blog:20191026031352j:plain

良い感じの喫茶店を発見したのでしばし一休憩。観光業に従事する人も多いのか英語が達者な人もいた。

f:id:snowm-blog:20191026031515j:plain
f:id:snowm-blog:20191026031525j:plain

喫茶店の横には絵画が販売されている。

f:id:snowm-blog:20191026032503j:plain
f:id:snowm-blog:20191026032512j:plain
f:id:snowm-blog:20191026032522j:plain

昨晩パガンへ入った時の検問らしきところ。ここで入域料をとられた。

適当にブラブラしていると, 村の奥で何故だか近代的な団地のようなところにきた。人はほとんど住んでいないようだが, まだ工事中の感じだったので, こうした居住区が今建設されているのだろうか。ただし車庫の屋根だけ何故か茅葺きなのが面白い。

f:id:snowm-blog:20191026032531j:plain
f:id:snowm-blog:20191026032541j:plain

色々な側面を見せてくれる国である。

ニャウンウー

この後はニャウンウーという町にある市場を訪問。

f:id:snowm-blog:20191026033422j:plain
f:id:snowm-blog:20191026033434j:plain
f:id:snowm-blog:20191026033659j:plain

食料品から雑貨やらお土産物まで。市場の床はキンマという嗜好品の噛みたばこを吐いた後で赤く染まる。。。

f:id:snowm-blog:20191026033649j:plain
f:id:snowm-blog:20191026033707j:plain
f:id:snowm-blog:20191026033931j:plain
f:id:snowm-blog:20191026034002j:plain

この地域で造ったタバコを売っているというのでお土産にいくつか購入。

f:id:snowm-blog:20191026034055j:plain
f:id:snowm-blog:20191026034103j:plain
f:id:snowm-blog:20191026034113j:plain

適当に進んでいたら川まで出てきてしまった。ここでも子供や若者が遊んでいる。

f:id:snowm-blog:20191026034134j:plain
f:id:snowm-blog:20191026034257j:plain
f:id:snowm-blog:20191026034324j:plain
f:id:snowm-blog:20191026035640j:plain
f:id:snowm-blog:20191026035649j:plain
f:id:snowm-blog:20191026034419j:plain
f:id:snowm-blog:20191026035820j:plain
f:id:snowm-blog:20191026035927j:plain

村には図書館もあった。残念ながらこの時間は閉館しているようで中は見られなかった。図書館を出ようとしたら子供が通せんぼ。

f:id:snowm-blog:20191026035936j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040029j:plain

場所に乗る白人達。こんな村にも少数だが観光客は来ているようだ。

f:id:snowm-blog:20191026040018j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040149j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040347j:plain

広場では凧揚げをする子供達。あるあるトラブルである電線に凧を引っかけてしまったようだ。

f:id:snowm-blog:20191026040356j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040405j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040459j:plain

日本も昔は子供が子供(弟・妹)の世話をする国として知られたが, 今のミャンマーもかつての日本さながらに子供達の面倒を見てあげている。

f:id:snowm-blog:20191026040515j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040536j:plain

村の働き者。

f:id:snowm-blog:20191026040546j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040700j:plain

夕焼けの中でバレーボール。

自分は村を出ていく方向に進んでいくのだが, 昼間は遺跡周辺で働く人達や馬車の馬達が仕事を終えて続々と村へと帰っていくのだが、それらをすれ違いながら自分もホテルに戻る。

f:id:snowm-blog:20191026040710j:plain
f:id:snowm-blog:20191026040742j:plain

首長族の女性が布を織りながら販売している。ただこれについては大変複雑な気分でもある。首長族を輩出する部族は元々ミャンマー・タイ国境付近に居住している。ほかにも国境付近には沢山少数民族がいるのだが, 首長族だけ国際的な知名度が圧倒的に高いため観光資源にもなる存在なのだ。そのためこのパガンチェンマイなど観光客が集まるような場所では見世物かのごとく働いている様子をしばしば見かける。

f:id:snowm-blog:20191026040752j:plain

]]>