マダムUAEライフhttps://madam-uae.comUAE(アラブ首長国連邦)の情報をのんびり更新中!Sun, 29 Jun 2025 18:12:35 +0000jahourly1https://madam-uae.com/wp-content/uploads/2023/09/cropped-IMG_5908のコピー-32x32.pngマダムUAEライフhttps://madam-uae.com3232 【紅茶のダージリン】ヒマラヤ南麓横断旅8:山岳鉄道を横目にジープ登山https://madam-uae.com/%e3%80%90%e7%b4%85%e8%8c%b6%e3%81%ae%e3%83%80%e3%83%bc%e3%82%b8%e3%83%aa%e3%83%b3%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%98%ef%bc%9a%e5%b1%b1/Sun, 29 Jun 2025 18:12:33 +0000https://madam-uae.com/?p=9290

シリグリから更に北部に位置するダージリンへと向かう。   駅前付近にはそこかしこにダージリンやシッキムのガントク行きのジープが待機している。 交差点の反対側へと渡るのも大変だし前夜に相場は確認しておい ... ]]>

シリグリから更に北部に位置するダージリンへと向かう。  

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駅前付近にはそこかしこにダージリンシッキムガントク行きのジープが待機している。

交差点の反対側へと渡るのも大変だし前夜に相場は確認しておいたので一番最初に話しかけたドライバーのジープにて待機。アジアではよくみかける席が埋まったら出発する方式だ。

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30分程待機して朝9時頃出発。値段は150ルピー。

道路沿いには横にダージリン山岳鉄道の線路が敷かれている。しかし線路幅が異常に小さい。それ故機関車も小型で速度は非常に遅いトイ・トレインと呼ばれるゆえんである。

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途中途中で人を拾ったり, ガソリンスタンドで給油したり, インド軍の敷地らしきところを通過したりしながら山を目指す。

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後半は山の斜面を登っていく。標高が上がるにつれ徐々に霧が出てくる。

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ダージリン山岳鉄道の軌道は完全に地元の人達の生活空間に紛れている。

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途中にあったチベット仏教の寺院。インドでも中国に隣接するこの北部地域はチベット系が多いのだろうか。

時折地元の人達が線路の土木工事をしている。

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ダージリンに到着。インドらしい古びた数階建ての建物が山の斜面に沿って多数あり狭い路地の多い街だ。

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適当に見つけて予約しておいたホテルに荷物を置いてから散策を開始。

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先ずは腹ごしらえ。やってきたのはGLENARY’Sというダージリンで有名なレストラン。

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店の中にはイギリスのような赤い電話ボックスやパイやパンを売るベーカリーの店舗が入っている。

そして地下にはパブもある。イギリス植民地時代からのコロニアル文化という事だろうか。

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レストラン店内も機関車の模型が天井からつるされていたり昔のダージリンの白黒写真や昔のレジの機械があったりとレトロ感満載だ。

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お店がダージリンの街の山側に位置するためテラス席からは街並みがみえる。

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せっかくここまで来たのでパイと一緒にダージリン紅茶でアフタヌーンティー。300ルピーなのでインドの物価から考えると高価な食事だ。

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食事の後に街の高台にある広場までいくと霧は更に濃くなってくる。

広場にはインドの修行僧であるサドゥーの姿も。

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本屋があったので中を覗いてみた。名前からしてオックスフォードだし, 完全にイギリス式だ。欧米系の人が多いからなのか。

ダージリンは避暑地でもあるし, 外国人にもインド人にも人気の観光地だ。特に訪れた夏の時期はインドの暑さや喧騒を避けて快適に過ごすことのできる場所。避暑地に欧米系文化が栄えるのは日本の軽井沢のように世界共通なのだろうか

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霧は濃くなっていくばかり。広場横には屋台の通りも。

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広場から更に上へと登ってみたらチベット仏教寺院を発見。

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ブータンに引き続き, チベット仏教の五色旗でいっぱいだ。

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そしてその近くには教会も。狭いエリアにインドの主要な宗教であるヒンドゥー教寺院, チベット仏教寺院, キリスト教会, イスラム教モスクが存在するようだ。

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次にダージリンの谷側まで降りてくると標高が下がり霧も晴れてきた。ダージリンは細い路地が沢山ある街だ。売店の売り物は食べ物だけでなく雑貨も多い。

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谷間には学校もあって学生達が学校から家に帰るところであった。

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ジープの溜まり場付近には肉市場も。

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更に下っていくと住宅地。

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ダージリン鉄道の終着駅へとやってきた。

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ちゃんとした駅のようになっている。

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しばらくこの駅周辺でブラブラしていると, 機関車が発着する。

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線路の上は完全に学生の通学路となっているようだ。

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機関車から出る蒸気が良い感じ。

ただ, この鉄道でシリグリからダージリンまで登ってくるには10時間以上かかるため実用的とはいえない。それでも世界の鉄道ファンがこの機関車に乗りに来るそうだ。

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偶然見つけたショッピングモール。

建物は結構大きいのだが, 人があまりおらず閑散としている。

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夜はケンタッキーで食事。久々のファストフード200ルピー。

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この先で移動するネパールでは到着ビザを国境で取得可能だが米ドルが必要なので, 途中両替所でかえようとするも米ドルが足りないといわれ, 結局両替できなかった。

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この日の夜は10ルピーのダージリン紅茶で締めくくった。

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【ブータン・インド国境を抜けて】ヒマラヤ南麓横断旅7:インドの鉄道に乗車してシリグリへhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%96%e3%83%bc%e3%82%bf%e3%83%b3%e3%83%bb%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e5%9b%bd%e5%a2%83%e3%82%92%e6%8a%9c%e3%81%91%e3%81%a6%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93/Sat, 28 Jun 2025 04:10:14 +0000https://madam-uae.com/?p=9282

  インドの国境管理所へと連れて行って貰う。係員が昼休みなのか, 不在で少し待ち時間はあったが, あらかじめ観光ビザをとっておいたので入国審査自体はスムーズに通過。 最後にブータンから一緒に来たガイド ... ]]>

 

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インドの国境管理所へと連れて行って貰う。係員が昼休みなのか, 不在で少し待ち時間はあったが, あらかじめ観光ビザをとっておいたので入国審査自体はスムーズに通過

最後にブータンから一緒に来たガイドがバスターミナルまで行くためのリキシャーをドライバーと交渉。

100ルピーとぼったくり価格を提示されてガイドが激しく交渉してくれていたのだが, ブータンのおおらかな雰囲気で慣れきってしまっていた自分は耐え切れずに途中で価格を受け入れてしまう失態。

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しかもそのオート三輪者を一人で独占できるわけでもなく, 途中で人を拾われる。この時に乗ってきたのが, ブータン人とインド人の組み合わせ。

彼らに値段いくらだったと聞いたら自分の十分の一の10ルピー。ブータン人にインド人は隙あらばだましてくるんだから, とめちゃめちゃ怒られてしまった。

彼らがドライバーと再交渉してくれたが, 流石に一度合意した価格は覆らない。 しかも自分がインド紙幣を持ち合わせていなかったため, 彼らが立て替えまでしてくれたのだった。いやもうほんと隣国なのに国民性が違いすぎるでしょと思う。

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バスターミナルまで着いてから, ハシムラ行きのバスに乗車。

そこでしばらく待っていたのだが, どうやら発車にはしばらく時間がかかるようだ。三人で一台チャーターすれば, 安く済むからそれで駅まで行かないかと提案を受けて, 値段も一人40と安かったので快諾。そして結局リキシャーで鉄道駅のあるハシムラまで移動した。

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同行したブータン人とインド人。先ほどリキシャの代金を立て替えて貰っていたのでここで清算。 

このブータンの服装でインドにいるのは不思議な感じである。

駅にはサドゥーや物乞いの子供達もいてインドらしいブータンでは見られなかった光景だ。

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駅にて鉄道の発車時刻を確認。窓口が閉まっていたのだが, 周りの人に聞いてくれたところによると一時間後くらいの模様。

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列車を待っている間は近くの売店へ。何故か飲み物やタバコを同行の彼らがくれた。

二人はレストランで食事しに行ったのだが, 自分は暑さで食欲が湧かず, 売店や駅舎でブラブラして時間を潰す。

ここからシリグリまでバスがでているようなのでその手段も考えたが, 値段が鉄道のほうが30ルピーと遥かに安く結局バスも時間通りに来る気配がなかったため鉄道で行くことに。

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しばらくして食事から戻ってきた彼らと駅で合流。

適当に周りの紳士そうな人にシリグリで降りるから着いたときに彼に教えてあげてくれと頼んでくれた。ブータンの人には最後まで助けられる

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列車の中にはインド人がいっぱい。シリグリまでは2時間半ほどかかるようだ。インドの鉄道というと人でギュウギュウのイメージもあるが, 何とか一席空いていたのでボックス席に座ることができた。

そして車窓の風景はいつの間にか茶畑に。流石インド北部はダージリンアッサムで知られる茶の栽培地帯である。

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途中のジャングルで列車が徐行運転に。周りの乗客に聞いてみると, この区間は象が列車に突進してくるため徐行運転になるらしい。えぇー、そんな事あるのかと驚く。

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そしてシリグリに到着。到着の頃には陽もすっかり沈んだ7時頃。1時間ほど到着が遅れただろうか。

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鉄道に乗車している間に予約しておいたホテルへと移動。距離がそんなにないので駅前に溜まっているリキシャーはスルーしてホテルまで徒歩で向かうことを試みる。

が、ダメ!

ホテルは見える場所にあるのだが, 交差点を渡ることがとてもじゃないが不可能。信号がなくて延々と車列が続き反対側へといけない。ただ鉄道で席が一緒になった人が, 同じ方向だからという理由でリキシャーを捕まえてくれた。地元値段で交渉してくれたので安く10ルピー。

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ホテルへと到着。宿泊したのは最近急成長しているホテルチェーンであるOYO。世界的に注目されているスタートアップ企業でもあり, ドバイにも沢山あるホテルだ。

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明朝はダージリンへと向かう日。

ホテルに荷物を置いた後, 念のため行き方を今日のうちに確認しておく。

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地理が分かってきたので自力で何とか駅前のバスターミナルへとやってきた。

沢山のバスが並んでいる。だが, どうにもダージリン行きバスが見当たらない。どうやらシリグリからダージリンまでの移動はバスではなく乗り合いジープが一般的のようだ。

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駅まで戻ってきた。

流石インドで駅の構内には地べたに寝そべる人々が沢山。

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駅前ロータリーには機関車が展示。世界文化遺産にもなっている世界最古の山岳鉄道であるダージリン・ヒマラヤ鉄道の機関車だ。本来ならこれに乗ってダージリンまで行きたいところなのだが, とてつもなく遅いため移動するためにこれを使うのは一般的ではない。

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駅近くでダージリン行きのジープを確認。ただ翌朝気が付くのだが, 別に心配する必要ないほど朝の駅付近にダージリン行きのジープが大量に溜まっていた

この辺は旅行会社が沢山あって他にもニューデリーカルカッタなど大都市行きのツーリストバスもある。

ちなみに旅行会社のブースでジープではなく, ダージリンまでのバスの値段を念のため聞くと十倍以上のぼったくり価格を提示されたので交渉すらせず無視。

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帰りに夕飯用に焼きとうもろこしを購入。20ルピー。

その場でとうもろこしを選んで焼いてくれ, かなりの塩が振りかけられた焼きたては美味しかった。

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ホテルの無料のティーバッグも当然ダージリン紅茶

いよいよ明日はダージリンへ向け出発だ。

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【天国から地獄へ】ヒマラヤ南麓横断旅6:霧の山道を抜けてブータンとインド国境へhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%a4%a9%e5%9b%bd%e3%81%8b%e3%82%89%e5%9c%b0%e7%8d%84%e3%81%b8%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%96%ef%bc%9a%e9%9c%a7%e3%81%ae/Fri, 27 Jun 2025 11:18:02 +0000https://madam-uae.com/?p=9276

さてこの日はブータンからインドへの陸路移動日。朝起床して荷物をまとめ, ホテルをチェックアウト。 初日にパロへと到着し, そこからティンプー・プナカ・パロと移動してきたが, この日は南のブータン・インド国境プンツォリンへ ... ]]>

さてこの日はブータンからインドへの陸路移動日。朝起床して荷物をまとめ, ホテルをチェックアウト。

初日にパロへと到着し, そこからティンプー・プナカ・パロと移動してきたが, この日は南のブータン・インド国境プンツォリンへと向かう。

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快適なリゾートヴィラともお別れ。

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さて朝8時頃に出発。インドまでへの道のりを行く。

先ず気付いたのが路面状態。パロからティンプーやプナカの三大市街地を繋ぐ道路は路面がよく整備されており, 全く不快感はなかったが, パロからインド方面へはコンクリートで整備されてはいるものの前者程にはメンテされていないようで時折路面状態の悪い箇所が存在した。前者はやはり海外からのVIPや政府要人も使用するルートだけあって最もよく整備されている箇所なのだろう。

そして気付くのが検問の多さ。どうやら街の出入り口毎にチェックポイントがあるようだ。

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途中で一度トイレ休憩。

場所は山のかなり標高の高いところにあるレストハウスだった。

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ブータンの道のりはやはりほとんどが山道である。

確か5時間以上走ったと思うが, その分景色は全く飽きさせない。

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時折崖崩れが発生している箇所に遭遇して徐行運転する事もある。雨季は壊れる事が多いそうだ。ただ, 全体的には首尾よく進んだ。

このブータンとインドを結ぶ道自体は産業道路のようになっていて一般乗用車はほとんど見かけないのだが, インドナンバーの大型トラックとはしばしばすれ違う。両国が経済的に深い結びつきがある証だろう。また道路へのダメージがパロからティンプー方向より目立つのは重量大型車が中心だからでもあるだろう。

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途中には大きな町はほとんどないが, 一つだけ国内で有名なブータン王立大学のキャンパスがあり学生が沢山いたGeduという街があった。(下の動画に空撮映像あり)ブータンでは高校までは無料だが, 大学は国内に多くないそうで, 学費の安いインドに留学する大学生が多いそうだ。

https://youtube.com/watch?v=RYLrNtq-s8A%3Ffeature%3Doembedwww.youtube.com

 そして最後の難関が, その街を過ぎたあたりからプンツォリンへと抜ける最後の峠のあるのだが, ここが霧に覆われていて視界が悪い。ガイドによるとここの峠はしょっちゅう霧に包まれるそうだ。徐行運転の前方のトラックの後ろについてしばらく走ることとなった。

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そして峠を越え視界も良くなるとプンツォリンの街へと入るための検問を通過

外国人を載せているため, こうした検問では毎回ストップしてパスポートなどを提示しガイドが通過許可をもらっている

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プンツォリンの街へと到着。さっきまで涼しいくらいだったのだが, 標高が下がったせいで温度も大分高くなってきた。ブータンの他の街と比べるとゴミゴミ感が強めの国境沿いらしい街だ。

ただ感想はどっち側から来るかにもよるだろう。インド側からこの街へと入ってくれば, 静かで雰囲気の良い街という感想を持つかもしれない。

国境のゲートが見えてきた、

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正午頃に国境のゲート手前のガソリンスタンドでストップ。ここまで4時間程かかった。

ガイドにパスポートを渡し気付いたら出国手続きを済ませてくれていた。ガソリンスタンドとゲートの間にあった建物が出入国管理所であった。

ちなみにブータンは水資源およびそれに伴う電力は豊富であるものの石油資源はないためガソリンスタンドはインド系企業のもののようだ。

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ブータンらしいゲート。

今回はちゃんと管理所で手続きを済ませたが, 実際には別にこの門のところで誰かが立ってチェックしているわけでもなく, 物理的には自由に行き来ができる状態だ。

実際インド人は手続き不要のためわざわざ立ち止まって手続きをするのは自分の車ぐらいである。

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ゲート隣の広場。完全にブータン側とインド側は繋がっていて国境管理も何もない。

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そして国境ゲートをくぐった瞬間。

ゲートの反対側にはブータンらしい龍

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国境を越えて目に飛び込んでくるのはまさしくザ・インド無数の人影。大量の排気ガス。けたたましいエンジンとクラクションの騒音

実はこの国境を通り超えたというブログ記事はインターネット上で結構確認できるのだが, そのほぼ全てがインド滞在バックパッカーが国境管理がなされていないのを良い事にブータンに入ってみたという記事

インド側から見たブータンの感想を書いているのだが, 自分の場合は逆ルート。しかも自分にとってはこれが初インドである。この時点でインドを知らず, ブータンを知っているというおそらく珍しいタイプの旅行者だ。

しかし, 初めてインドを知った瞬間の最初の感想としては気温の変化もあいまって, さっきまでいた素朴で穏やかな人々が静かに暮らす天国のような場所から, 人の熱気と騒音と動物だらけの地獄へと急に叩き落されたかのような感覚が正直なところであった。続く。

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【マリファナ生えてる?】ヒマラヤ南麓横断旅5:パロでアーチェリーhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%9e%e3%83%aa%e3%83%95%e3%82%a1%e3%83%8a%e7%94%9f%e3%81%88%e3%81%a6%e3%82%8b%ef%bc%9f%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%95/Mon, 23 Jun 2025 18:06:06 +0000https://madam-uae.com/?p=9271

山からパロの市街へと戻る途中。ガイドがアレはガンジャ・大麻だという。  え?まじでそんな事あるの??と思うのだが, 普通の道端に普通にマリファナが自生している。 あまりに当たり前に生えているため周りの風景にも完 ... ]]>

山からパロの市街へと戻る途中。ガイドがアレはガンジャ・大麻だという。 

え?まじでそんな事あるの??と思うのだが, 普通の道端に普通にマリファナが自生している。

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あまりに当たり前に生えているため周りの風景にも完全になじんでいる。ガイドの話ではブータンでは国内そこら中で生えているとの事。ただし, 伐採するのは違法。見つかったら重刑で9年ほど刑務所に入るそうだ。

とはいえ灯りも完全にはないブータンでは夜中に採ろうと思えばいくらでも採れる気がする。確かに過去ニュースでもブータンのドラッグ問題がフォーカスされたことがあった。一部若者の間には流行っているそうだ。こういったドラッグはインドから来るそうでテレビやインターネットの影響もあるそうだ。

そして昼食。例によってバイキング形式。流石に一山上り下りしてきたばかりのグロッキー状態であまり食べられなかった。

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パロの街中心部。ブータン風家屋が通り沿いに建ち並ぶ。

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お土産屋も多いため勿論例のアレも売っている。

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町の中心部から程近い場所に市場があった。

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市場は大人の仕事場でもあり子供の遊び場でもある。

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唐辛子や野菜など食料品以外にもパロのお土産屋などで売られているであろう特産品も並べられている。おそらく街中で買うよりここの方がはるかに安く購入できるだろう。とはいえ自分の場合はこれからまだまだ旅が続くため土産物の購入は我慢。

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さて, やってきたのはアーチェリー場。

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両脇の11人のチームが二矢ずつ放つ。ブータンのアーチェリー場では競技者の他にも横で見学する人が多数。しかし矢の軌道のすぐ横でのんびり見ているが, どうみても危ない。

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ブータンでのアーチェリーはダツェと呼ばれる。驚きなのが的までの距離。国際的なアーチェリー競技では中学生で18-30m程度, 大人でも70m程度だが, ブータンでは130m程度と圧倒的に長い。しかもスコープなしの肉眼で的のどこに当たったのか見えているようで視力も半端じゃない

 的の板にあたると2点, 真ん中の円にあたると3点, いたから外れても近くなら1点入る。そしてブータン流では矢が2点以上に入ると参加者が小さな円を作って伝統ダンスが始まる。

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11人チームの各人が二矢ずつ放つが, 両方とも板にあたると派手目な特別なダンスになる。ダンスがあるので見てて飽きずに一時間程過ごしてしまった。

皆のんびり過ごしているが日本国内でのアーチェリーといえば矢が明後日の方向に飛んで行っても人に当たらないよう配慮されているのだが, 明らかにここは危ないのがずっと気がかり。おちおちゆっくりとは見ていられない。

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弦を引くときに背中を大きく反らせる人がいる。そして狙いを定めるのに, 弦を西洋式アーチェリーのような鼻先ではなく弓道のように頬横に構えるのがブータン流のようだ。的に当てた時の踊りは日本でいうところの田楽踊りみたいなもので, ここでも祭りの時だけでなく田植えや家造りをする際に唄う。

一時間程登山の休憩がてら見学して次の場所へと出発する。

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次にやってきたのが外国人にして初めてダショーの称号をブータン国王から授かったダショー西岡が記念されている西岡チョルテン

ダショー西岡の説明文。

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ダショー西岡は農業学者でブータンの農業振興に多大な功績を遺した人物。国立農業機械化センター内に記念碑がある。

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ダショー西岡はリンゴと桃を掛け合わせたり, 違うリンゴを組み合わせたりして品種改良に取り組んだそうだ。

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施設の出入りゲート。なんか工事していると思ったら, この作業は近々秋篠宮家ご訪問予定がありその準備作業をしている最中であった。

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景勝地。

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街の学校が山中にあった。

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生徒の通学も坂道。

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【山登りの果てに寺院】ヒマラヤ南麓横断旅4:パロの山岳寺院https://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%b1%b1%e7%99%bb%e3%82%8a%e3%81%ae%e6%9e%9c%e3%81%a6%e3%81%ab%e5%af%ba%e9%99%a2%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%94%ef%bc%9a/Sun, 22 Jun 2025 10:20:03 +0000https://madam-uae.com/?p=9265

プナカ市街から離れた山の中腹に市場があり訪問。 どこの国でも売られているものからその国が見えてくるので市場の散策は面白い。ロベサ市場というらしい。 木造の小屋に並べられた商品。唐辛子が目立つ。 何か買おうかとも思ったが, ... ]]>

プナカ市街から離れた山の中腹に市場があり訪問。

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どこの国でも売られているものからその国が見えてくるので市場の散策は面白い。ロベサ市場というらしい。

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木造の小屋に並べられた商品。唐辛子が目立つ。

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何か買おうかとも思ったが, 観光客に向けた軽くつまめるようなものを売っていない。商売の相手は完全に地元の人達だ。

しかし, プナカの街中ではなくて山中にあるのが興味深い特徴であった。 こんな場所にあって不便じゃないのかとも思うのだが, ブータンは都市化や都市部への一極集中が進んでおらず山村に住む人が多いからかもしれない。

ぶらさがっているのはチーズだそう。

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再びドチェラ峠を越えてパロを目指す。パロはブータン到着初日で空港に降り立った場所だが, VIP対応で道路がじきに封鎖されるということで全く観られていなかったので, 実質今回が初めてだ。

道中は牛が道端で交尾をしていたりとのどかな空気。

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ドチェラ峠からの景色。往路で止まったときは霧におおわれて景色どころではなかったが, 今度は晴れ。

木々の合間から見える景色はどこまでも続く山並み

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ティンプーの砦。

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パロに到着。

宿泊先として案内されたのは川沿いのリゾートペンションのようなところで部屋毎にロッジが割り当てられる。普段こんなリゾートのような場所に泊まらないので不思議な気分だ。

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近くの丘に登ると空港が見渡せる。

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街を一望できるためか人も沢山。アクセスが割と良いためかインド人観光客が結構目につく。

陽が落ちるまでぼーっとして過ごす。

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ティンプーはまだ夜中でも人の出入りがあったが, パロではもはや人影が見当たらず犬の遠吠えだけが谷に響く。

明日は山登りで早く起床することもあり, 早々にホテルへ戻ることとした。

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夕食はホテルバイキング。

プナカのゾンで出会ったガイドの友達と偶然一緒になった。本当に世間の狭い国だ, ブータンは。

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翌朝ホテルで7時半にピックアップして貰い, パロの山へと移動。

途中通過するパロ市街でガイドをピックアップ。昨晩はパロの友達の家に泊まっていたとの事。

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若者の通学風景馬の通勤風景を横目に目的の山の出発拠点へと移動。

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ここが本日の山登りの出発地点。

目指す山岳寺院はブータン観光のハイライトであるため入国するほとんどの旅行客が訪れていることだろう。

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奥に見える大きな山の斜面によく見ると小さく寺院が視認できる。あんな離れた場所にあるのかとビックり。

8時頃に登山開始。最初の区間は馬でも登ることができるが, 当然自分の足で進む。

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最初一時間程歩くと休憩所が出現。

ここで一服するのだが, 目指す寺院が近づいている気はしない。

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それから数時間, 結構なペースで登っていき朝のうちに寺が目の前に見える位置まで来た。

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最後の区間は滝の流れ落ちる谷間を通り超えていく。

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最後の階段を登りきると遂に寺院へ到着。

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ここはタクツァン僧院という場所で別名が虎の巣を意味するタイガーネスト

建物内部は残念ながら撮影はできないのでここまで。

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寺院内部はブータンの人達が沢山参拝に訪れていた。

身体を投げだす五体投地でお参りするのが正式な参拝方法のよう。

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寺院は過去1998年に一度火事で焼失したそうだが, この国を代表する寺院でもあり, 国をあげて再建したそうだ。

その際には物資運搬のためケーブルカーまで建設されたのだそう。しかし, せっかくケーブルカーを作ったのならそのまま残しておけば良いものをと思ってしまうのだが, そこは自然の形に戻すことにこだわるのがブータン流だ。

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下山していくと自分のガイドがよくすれ違うツアーガイドと話を交わす。狭い世界だから皆友達なのかもしれない。

ガイドの人達は口笛吹いて歩きスマホしながら登り降りする人もいて余裕の様子。

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途中の休憩所まで戻ってきた。ここまで来れば後はもうすぐ。

休憩所で話したインド人家族の女の子に日本から来たというとしんのすけと言うではないか。どこのしんのすけだ?と思っていたらクレヨンしんちゃんの事だった。まさお君, ねねちゃん達も知っていてびっくりした。インドでは有名なアニメらしい。

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最後の区間を降りていく。

ここは馬が人を載せて登ってくる区間なのでしばしばすれ違う。

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結局正午過ぎには出発点まで戻ってこれた。

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早朝着いた時は何だろうと思っていた木造の空間はお土産屋だったようだ。

ガイドに聞いたところ今までの旅行客で一番ペースが速かったとの事。往復で合計4時間程度。ブータン人でも片道1時間半程度だそうなので休憩・見学を除けば地元の人と変わらないペースだ。観光客は遅い人だと日没まで丸一日12時間程かかるとの事であった。ブータン旅行するのは年齢層が高めだからなのかもしれない。

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【雄大な山岳国に聳える城】ヒマラヤ南麓横断旅3:古都プナカhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e9%9b%84%e5%a4%a7%e3%81%aa%e5%b1%b1%e5%b2%b3%e5%9b%bd%e3%81%ab%e8%81%b3%e3%81%88%e3%82%8b%e5%9f%8e%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85/Sat, 21 Jun 2025 18:51:35 +0000https://madam-uae.com/?p=9257

ブータン名物バター茶を飲みながらホテルで朝食。 このバター茶を一口飲むと体に衝撃が走る。塩分濃度が高すぎて身体が拒否しているのが分かる。とても水なしでは飲めなさそうだ。 ブータンやチベットでは国民的に人気なバター茶だが, ... ]]>

ブータン名物バター茶を飲みながらホテルで朝食。

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https://hatenablog-parts.com/embed?url=http%3A%2F%2Fwww.tibethouse.jp%2Fabout%2Fculture%2Fbutter_tea%2F

このバター茶を一口飲むと体に衝撃が走る。塩分濃度が高すぎて身体が拒否しているのが分かる。とても水なしでは飲めなさそうだ。

ブータンやチベットでは国民的に人気なバター茶だが, 健康被害が出ている側面もあるようだ。最近ではインドの影響もありチャイのような普通の紅茶も飲まれているそう。

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ガイドと待ち合わせて車に乗り込む。この日は首都ティンプーを離れて, 古都プナカへと移動。

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道のりのほとんどはやはり峠道。如何にこの国が山中にあるかがよく分かる。

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有名なドチュラ峠へと到着。

天気が晴れていればここから雄大な景色が見られるそうなのだが, あいにくの濃霧で視界がかなり悪い。

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峠にはチベット仏教の寺院的な施設。沢山の小さな仏塔が建ち並ぶ。これは108もあるそうだ。

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社会科見学のような高校生集団とも遭遇。

かつての二首都を結ぶ道沿いにある峠なので有名な場所である。

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隣にレストランがありトイレ休憩。日本なら利用もしないのにトイレを借りれば何か言われそうなものだが, そこはおおらかなブータン流で誰も気にする様子はなかった。

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プナカに向けて移動再開。

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道中には時折カラフルな五色旗がある。これはチベット仏教の祈祷の旗でタルチョーと呼ばれるもの。よくみると一つ一つにチベット語が書かれている。ブータンのみならずチベットやヒマラヤ地域・ネパールのバックパッカー街タメル地区の象徴にもなっているものだ。

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山がちなブータンでは川釣りも禁止されており魚はインドから輸入してくるそうだ。ただ密漁する人は結構いるのだとか。

山中の道路では掃除している人達を結構みかけた。プナカにも程近い途中の村に到着。

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ここは有名なチミラカンという寺院へと続く道。入るときにはマニ車という寺の鐘のようなものを回していく。これを一度回すとお経を一度唱えるのと同じ効果があるそうだ。

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やはり外国人は多くなくて地元の人が多い。しかし, ブータンの人達の見た目は日本人そっくり。しかも服装が昔の日本のようなので明治頃の日本ってこんな感じなのかなと思ってしまう。

寺院の建物の中は撮影禁止であった。

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入る時や出る時はこのマニ車を回してから。

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参詣道には土産物屋の露店。ブータン名物の男根も売っている。このお寺は女性が参拝すると子宝に恵まれるご利益があるため, この寺院周辺にはこうしたグッズが特に売られている。

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ガイドいわくブータンでは結婚式の文化がないそうだ。また夜這い文化がより田舎の東部ではまだ残っているのだとか。

寺院前の集落。壁のペイントが面白い。男根のペイントは豊穣多産や魔除けの意味合いがあるそうだ。

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プナカのゾンへと向かう。

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直前で昼食。そしてすぐに見えてきたのが雄大な自然の中に映える巨大な城。ブータンでは各地にゾンと呼ばれる城があるのだが, ここのプナカ・ゾンはひときわ美しい。

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プナカはかつて冬の首都。夏は涼しいティンプーで, 冬は温暖なプナカにて国王が政治を摂り行ってきた。

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入城には橋を渡って入る。

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僧侶の格好も絵になるが, 一般のブータン人もここに入るときは正装しなければならないのだそうでガイドも通常の服に加えて白い布を肩にかける。

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木製の橋を渡り城へと入る。

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伝統衣装と木製の伝統建築の橋と城。

現在でも国王のセレモニーはこのプナカゾンで執り行われ, 訪問中の秋篠宮家も宿泊予定なのだそうだ。

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他の建物も統一感があって観光には良い国だ。

確かに日本のインバウンドのように観光客がどっと押し寄せると, その弊害はゴミ問題やマナー, 交通機関のパンクなど随所に表れてしまうので, 最低料金を設定して客数を一定程度抑える政策は日本も参考にすべきかもしれない。

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建物は目の前で見ると巨大。こんな山奥の辺鄙な国によくぞ建てられたと思うくらいだ。しかも城が建っているので川のすぐそば, 物資の搬入も容易とは思えない。

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ブータンは小国ながら戦争経験は結構ある国。こんな昔ながらの生活を守る国にも関わらず大英帝国の侵入を手こずらせたりと, その武勇でも知られた国なのだ。

その中心となるのがゾンと呼ばれる各地の町にある城。険しい立地に建てられたゾンを拠点とした山岳戦は多くの外敵を苦しめた。ネパールのグルカ兵といい, このヒマラヤ地域は険しい環境故にそういう性質が育まれる土壌があるのだろうか。

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川は他の大きな町とはつながっていないため船による水運は使われていないそうだ。ただ最近ではレジャー用に使われることがあるそう。

さて数キロ離れたところにある新市街へと移動。ここには一般市民が住んでいるようで3-4階建ての建物がずらりと並ぶ。

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かつて首都だったとは思えない程のどかな街。

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パロへと続く。

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【VIPだらけの首都ティンプー観光】ヒマラヤ南麓横断旅2:信号機のない国に唯一ある信号とは?https://madam-uae.com/%e3%80%90vip%e3%81%a0%e3%82%89%e3%81%91%e3%81%ae%e9%a6%96%e9%83%bd%e3%83%86%e3%82%a3%e3%83%b3%e3%83%97%e3%83%bc%e8%a6%b3%e5%85%89%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97%e9%ba%93/Tue, 17 Jun 2025 18:12:32 +0000https://madam-uae.com/?p=9242

さてこれから秋篠宮家とインドのモディ首相が空港から首都まで移動するという事なので道路が封鎖される前に首都ティンプーへと移動。  谷間を走る道路は景色が最高だ。 移動中に何度か橋を渡るのだが, しばしばインドの支 ... ]]>

さてこれから秋篠宮家インドのモディ首相が空港から首都まで移動するという事なので道路が封鎖される前に首都ティンプーへと移動。 

谷間を走る道路は景色が最高だ。

移動中に何度か橋を渡るのだが, しばしばインドの支援で建設されたという英語の看板を見かける。両国の経済的な結びつきの強さがよく分かる。反対側の中国とはヒマラヤ山脈がそびえており整備された道路も特にない。経済的にはインドにかなり依存しているだろう。

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移動中にすれ違った警察関係の車列。これからVIPの移動があるのでその警護のためだろうか。

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首都ティンプーに到着。

先ずはお昼ご飯の時間。あまりにも多くて実質バイキングのよう。

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レストランにはチベットらしき風景の絵やブータン王室の絵が飾ってある。この二種類の絵はこの後の旅でもしばしば見かける写真だ。

食事後にようやく観光開始。あんまり自動車の走っていないブータンだが, この日はVIPが来ていて交通規制があるため街中は渋滞気味であった。

ティンプー周りの行き先はガイドにお任せにしてみたところ最初に連れてこられたのが山の中腹にある巨大な仏陀像がある寺院。

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とてつもなく大きいためインパクトはあるのだが, どうやら最近建てられたものらしく観光ガイドブックなどにも記載されていない。

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その後訪れたのが博物館。

ブータンでは必ずガイドを付けて観光しなければならず旅程表もビザ取得時に提出するのだが, 自分の場合はざっくり街の場所を指定しておいたぐらいで具体的な訪問施設は当日にガイドと相談して決定していった。

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博物館の建物もブータン風。

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ブータンの家庭での伝統的な暮らしぶりが展示。

ちなみに現代ではテレビでボリウッドが人気で文化的にもインドの影響が強いようだ。それから何故か日本アニメのGENJI, CROW (多分クローズの事?) が少し前に流行していたのだそうだ。

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お米やワイン。ブータンは米食だ。アルコールはアラという米からつくる米焼酎のような地酒が主流であるもののワインなど様々なものを作っているそうだ。しかも家庭で醸造することも多いのだとか。自家製なので当然各家庭で味が少し違うのだろう。

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トウガラシや織物。

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建物内の展示は撮影禁止だったので途中省略。

次までの移動中に王宮があった。中には入れないようだ。

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見つけた注意喚起の看板。 ドラッグはまだしもアルコール・タバコまでもが禁止されている。しかしながら今回担当してくれたガイドはタバコはこっそり吸っているんだとか。

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やってきたのはこの国の名物であるターキンという国獣。

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なんかアルパカのようなゆるキャラ属性がある気がする。

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まったりした気分に浸ったら, また次の場所へと移動。

訪れたのは紙漉き工場。

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ここでは昔ながらの技法で紙を作っているようだ。製紙作業における独特のにおいが立ち込める。

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自分以外にも欧米人のツアー客が訪問していた。働いているのが皆女性だが, そういえばブータンは世界的にも珍しい女系社会。しかも結婚を式として祝う文化がなく, 特により田舎な東部において夜這い文化があるのだ。ただガイド曰く最近では近代化の影響で変わってきてはいるそうだ。

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ここまででガイドによる本日のツアーは終わり。

他にも国立図書館など行ってみたいところが多々あったのだが, VIP訪問のため閉まっている施設が多く断念

一旦ホテルで一休憩してから街ブラに出かける。

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ホテルの前が大きな時計台広場になっているのだが, ホテル下の階段のところが野犬の溜まり場と化していて外出するにも一苦労だ。

お昼前に両替したところ。この国にはどうも両替所のような場所がないらしくレジすらない普通の雑貨屋みたいなところでおばちゃんが両替してくれる謎システム

ブータン以外の国の感覚だと怪しすぎて偽札なんじゃないかと疑ってしまうが, どうもこの国では日本の田舎の村のような住人全員知り合いだから騙される事ないという感覚でやり繰りされているようだ。

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ブータンには信号機が存在しない。その代わりに唯一存在しているのがここ。手旗信号で運営されていて国中で唯一信号のある交差点なのだ。なんという辺境の国だろうか。

しかもこの交差点は奥が王宮になっていてVIPが通る場所なのだそうだ。秋篠宮家の夏休みとインドのモディ首相訪問に偶然かぶってしまっため, この日も通るんじゃないかと薄々期待していたら本当にVIPの車列が通りがかった。

基本的に車の通行量が少ないため, 道路を横切る歩行者がひっきりなしにいるのだが, この時ばかりは大量の警察官により歩行者がちゃんと両側にある歩行者通路に押しやられていた。そしてこの時通ったのはインドのモディ首相であった。最初ありがちな黒い車が沢山通ったかと思いきや後ろからトラックが後から付いてきていてその上にスナイパーの警察官(もしくは軍人)数人が銃を構えながら襲撃してくるやつがいないか常時両側の人達に対し警戒している。いくらVIPとはいえそこまでするのかと驚くあまり, その時の写真は撮りそびれてしまった。

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でもよくよく考えればブータンは対立するインドと中国に挟まれた国。しかも近年でも中国との領土紛争で軍事衝突が起きた場所だ。

この感じだとおそらく国境管理もきっちりとはやっていないだろうから変な奴が潜り込んでくるリスクは当然あるだろう。(この後に国境を通ったが, 実質やろうとさえ思えば自由に通行できる状況だった)しかも中国の内政的には非常に不安定なチベット地域とも接するだけにそれだけセンシティブにならなければいけないのかもしれない。なにせチベット仏教が多数派の唯一の国なのである。

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バスターミナル。

そしてそこ面するペットショップのかわいらしい子供。

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適当にブラブラ歩いていたところ見つけたのがアーチェリー場。ブータンでは国技ともいえる国民的スポーツである。

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ただ防護壁とか十分なスペースもなく非常に危険な環境ではある。そして伝統的な暮らしを守るブータンの人達が西洋製のアーチェリーの弓矢を使いこなすのは違和感もあるが, 皆アーチェリーを楽しんでいる。

ちなみにブータンでは弓矢だけでなく地方の名家では帯刀している人もいるらしい。

アーチェリーについては後日しっかり見学する機会があったので後程そちらの記事でも記載する。

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この後やってきたのはアーチェリー場の隣にあったサッカー場。どうやらブータンにも国内リーグがあるようでその試合があるようだ。しかもなんと入場は無料

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一旦ホテルで晩御飯。

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夜中の信号の交差点。地元の人は気にしていないようだが, 野犬がめちゃめちゃうろついている。

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多くはないがよくよく探すと国際的なチェーン店も存在。

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一本それると電灯などなく真っ暗。ただブータンの人達の気質もあるからか治安の悪さは感じられない。

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市場を発見。夜なので人はあまりいなかった。

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大きな建物がでてきた・・と思ったらこれがまさかの橋。

どうやらブータンの伝統的な建築様式で橋が架けられているようだ。木造でとても立派な橋。

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しかし, 向こう岸へと渡っても特段何もなくひたすらシャッター街が続く。どうやら時間帯によってはここも市場として開いているようだ。

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怪しい建物に潜入してみたが, 特に何もなかった。

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ビリヤードができる場所も

夜中は子供が道路の真ん中でサッカーをしているが, 特に誰も注意する事なくそれが当たり前であるかのように振舞っている。

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続く

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【秋篠宮家と同行する皇室の夏休み】ヒマラヤ南麓横断旅1:幸せの国ブータンに敷かれたレッドカーペットhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e7%a7%8b%e7%af%a0%e5%ae%ae%e5%ae%b6%e3%81%a8%e5%90%8c%e8%a1%8c%e3%81%99%e3%82%8b%e7%9a%87%e5%ae%a4%e3%81%ae%e5%a4%8f%e4%bc%91%e3%81%bf%e3%80%91%e3%83%92%e3%83%9e%e3%83%a9%e3%83%a4%e5%8d%97/Sun, 15 Jun 2025 15:55:59 +0000https://madam-uae.com/?p=9231

2019年夏。ある旅を思い付く。それがヒマラヤ山脈南麓地域であるブータン・インド北部・ネパールの陸路旅だ。 航空機代や時間の制約によりこれまでどうしても東南アジアの多かった自分にとっては本格的にそれ以外の地域に進出した旅 ... ]]>

2019年夏。ある旅を思い付く。それがヒマラヤ山脈南麓地域であるブータン・インド北部・ネパールの陸路旅だ。

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航空機代や時間の制約によりこれまでどうしても東南アジアの多かった自分にとっては本格的にそれ以外の地域に進出した旅となった。そして最初に訪れるのが旅人に人気のインドでもネパールでもなく, ブータンである。

ブータンは国の規定によりバックパッカーのような格安旅行ができないため, ある程度の予算が必要だが, 幸せの国として2011年東日本大震災後に訪れた国王の国会での演説が日本人にとって印象的だった興味深い国である。

そんな神秘の国へと旅立つ。ただブータンへは航空路線が限られていてバンコク・シンガポール・インドからの飛行機となるが日本からだと位置関係から遠回りを避ければバンコクから入るのが一般的。

バンコクを経由してスワンナプームにて搭乗する。チェックインの際には僧衣を纏った僧侶が列に並んでいたのが既にブータンらしい。しかも一般人とは別扱いでタイと同様に僧侶の社会的地位は高いようだ。

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飛行機の出発は早朝で, 乗客は皆ぼーっとしながら待つ。

搭乗が始まっても並ばずに, 係員に呼びかけられてやっと皆動き始めていてとてもマイペースだ。

航空会社はロイヤルブータン航空。別名龍を意味するドゥルックエアーともいう。

普段はあまりない一番前の席を指定もしていないのに割り当てられて、しかも隣にはスーツ姿の日本人女性が乗ってきた。こんな日本から訪れにくい辺境の国で珍しい事もあるのだなとその時は思ったが、この理由は到着時に判明する。

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飛行機はブータンへ直接向かうのではなく, 一旦インドのバッグドグラ空港で着陸して更に客を乗せてから再出発。 バッグドグラは空港の敷地で働いている人が自転車をこいでいてのんびりした雰囲気だった。

そしてブータンへ向かった飛行機はこれまで乗ってきた飛行機路線のどこよりもダイナミック。圧巻はブータンのパロ空港への着陸である。

雲に突き刺さるように聳える山々の間を縫うようにして曲がりながら飛行するのだ。空を飛行するというより谷間を飛行しているという感覚である。客席に座ってみていると, 飛行機の翼が山肌にぶつかってしまいそうで心配な感覚に襲われるのだが, 見られる景色は絶景そのもの。

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上空からは煌々と灯りに照らされる大都会は見当たらない。冒険心がくすぐられるような見渡す限りの大秘境である。

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ブータンのパロ空港へと到着。空港の建物は思いっきりブータンらしさ全快の建物だ。

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しかし, 駐機場で停止しても乗降が全く始まる気配がない。

不思議に思っていると, 自分の座る機内右側とは逆サイドの人達がざわざわ騒ぎ出す。どうしたのだろうか?と自分も左側によって窓から見るとそこには飛行機のタラップ, そしてその先へと延びるレッドカーペットが。

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更にしばらく待つと出てきたのはまさかの秋篠宮ファミリー。そういえば来る直前にも日本のニュースで夏休みにブータンを訪問されるという報道をみていたがまさか同じ飛行機になるとは思わなかった。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48621580W9A810C1CR8000

でも思い返すと座っていた機内前方で周りにやたらとスーツ着用の日本人が多かった。ブータンには日本大使館もなく経済交流も活発とはいえない。訪れる日本人のほとんどが観光客のはずなのに何故スーツ姿?と思っていた。

しかも隣に座った女性は何か段取りを確認するかのごとく前方のビジネスクラスの人と頻繁にやりとりをしている。便の時間が朝早かったので深く考えず早々に寝てしまったが今考えるとあれは宮内庁の人達だったのだと気付く。

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傍にいたヨーロッパ人があの人達は誰だろうというので日本のロイヤルファミリー, エンペラーの義妹とプリンスだと伝えると周りの人達がWOW!と驚いていた。

パロ空港には谷間を縫うように飛行しながら時間をかけてゆっくりと降下していったが, やはりリスクがあるようで今回の訪問でも秋篠宮文仁親王は別便で訪問して現地合流する形となっていた。

さてセレモニーも終わりレッドカーペットが片付けられると, 一般客も降りていく。タラップの階段を下って徒歩で空港の建物へと向かう。

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建物入り口にはブータン国王家族の写真。

建物内部にもブータンらしさがよく出ていて面白い。空港の建物というと近代的な建物というイメージだが, こういったお国柄を前面に出す建物の方がツーリストには喜ばれるだろう。

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さて空港を出ると待ち合わせていた旅行会社のスタッフと合流。先ほど日本からVIPが来ていたことも知っていた。

空港近くに行きたかった場所があるのでまずはそこへ行ってくれないかと伝えると今日はこれからインドのモディ首相も来る予定でこれから首都と空港を結ぶ道路が封鎖されるとの事。

なので先ずは道路封鎖前に首都ティンプーへと向かうとする。一日に何人ものVIPを迎えるすごいタイミングと重なったがこの旅は幸運に恵まれているのだろうか。

続く

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【海に浮かぶ砂漠の古代兵器】砂漠の国に住む中東駐在者がワンピースのアラバスタ王国編を徹底考察https://madam-uae.com/%e3%80%90%e6%b5%b7%e3%81%ab%e6%b5%ae%e3%81%8b%e3%81%b6%e7%a0%82%e6%bc%a0%e3%81%ae%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e5%85%b5%e5%99%a8%e3%80%91%e7%a0%82%e6%bc%a0%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%81%ab%e4%bd%8f%e3%82%80%e4%b8%ad/Thu, 12 Jun 2025 18:05:48 +0000https://madam-uae.com/?p=9150

前回のナルト考察に続いて舞台設定考察記事の第四弾。 今回は世界で最も売れる漫画ONEPIECE。海外でも知られている海賊漫画である。 主人公の麦わらのルフィ率いる海賊団が出身の東の海ことイーストブルーから偉大なる航路と呼 ... ]]>

前回のナルト考察に続いて舞台設定考察記事の第四弾。

今回は世界で最も売れる漫画ONEPIECE。海外でも知られている海賊漫画である。

主人公の麦わらのルフィ率いる海賊団が出身の東の海ことイーストブルーから偉大なる航路と呼ばれるグランドラインに入り秘密結社バロックワークスと対立する事となる。その決戦の地こそが砂漠の国であるアラバスタ王国だ。

王女ネフェルタリ・ビビを仲間として秘密結社の黒幕にしてスナスナの実の能力者である王下七武海クロコダイルとこの地で決戦する。世界観は作品にでてくる強い香水ベリーダンスを彷彿させる踊り子の衣装、スカーフなどで頭を隠した女性の衣装土壁の住居や丸屋根の大きな建物と尖塔が多数あり所々にヤシの木が生えるのは、モスクが沢山あるアラビアの街そのものだ。

アラバスタ王国にでてくるナノハナやアルバーナなどの町はアラビア半島にせよ, エジプトなど北アフリカにせよアラビア圏の世界観の特徴と一致する。

作中いくつか町が出てくる中での例外はカジノの街レインベース, 街も比較的ヨーロッパ風のようで行き交う人は洋服を着ている人もいる。イスラム教徒が多数のアラビア地域ではギャンブルはタブー行為。またクロコダイルが拠点とするこの街には水も沢山あるようだ。

あえて当てはめれば、ドバイやクウェートシティ, カタールのドーハなど砂上の楼閣とも啓容される近年の近代化された中東の街のイメージなのだろうか。ドバイにはラッフルズホテルというシンガポール発の有名伝統ホテルがあるのだが, カジノのあるレインディナーズのようにピラミッドの形状をしているのでモデルとなっているのかもしれない。このホテルの本家のシンガポールはギャンブルで有名な街でもある。

また水が貴重だった時代の記憶が残るこういった街では水がたくさある事を富の象徴として見せつけるかのような施設も数多い。超高級ホテルが街の象徴でもあるドバイを代表するアトランティスという7つ星ホテルでは地下のレストランや客室が水族館のようになっており、レインディナーズの地下のイメージと被る。

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ワンピース19巻より引用

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Booking.comより

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また緑の街エルマルはドバイ近郊にあるアルマダムがモデルではないだろうか。この町は近代化により町の中心部が高速道路沿いに移動したことで旧市街が砂漠に埋もれた町である。

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ワンピース18巻より引用

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ドバイ首長国郊外にあるアルマダムの様子。ワンピースに出てくるエルマルも水不足により街が枯れ果てている様子が描かれた。

ちなみに新世界編で出てくるモコモ公国も中東地域がモチーフとなっているようだ。遺跡の雰囲気は世界遺産にもなっているイエメンのサヌアの街並みにそっくりである。

クロコダイル率いるバロックワークスはこの国に裏工作を仕掛けており, 王都アルバーナを除く国中の街は水不足に悩まされている。そしてこの水不足による国民の不満は国の反乱に繋がる。アラバスタ王国は古代エジプトをイメージとした舞台設定ということだが, この水不足に苦しむ砂漠の王国という世界観には非常に違和感があるため考察していくこととしたい。

179話 決戦はアルバーナ (砂漠の戦い-3) - ワンピースまんがぱうち(レビュー・ネタバレ)

ワンピース20巻より引用 

ここで大きなポイントとして出てくるのがサンドラ河の存在である。そもそもアラビア半島の乾燥地帯において川という存在がそもそもなく, 代わりにあるのがワディという枯れ川なのである。 

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近年ではトレッキングコースとしても注目されるワディだがガチで雨が降らない地域だとそもそも川が流れないのである。一方でワンピースのアラバスタ王国ではサンドラ河という大河が流れている。これはエジプトをモデルとしているためナイル川を想起させるものだ。あるいはメソポタミア文明を育んだチグリス川・ユーフラテス川といっても良いかもしれない。淡水が豊富な水量で流れる大河は人々の生活・文化をつくっていく

一見すると中東のこういった歴史とよく似たものでもあるのだが, 明らかな違和感が一つ。それは川の両岸に沿って町が作られていないという事である。ナイル川でいえば南スーダンのジュバ、スーダンのハルツーム、エジプトのカイロアレクサンドリアなど首都や大きな町は乾燥地帯において、みんな川沿いに作られるものだ。それはチグリスユーフラテス川にとってのバグダッドバスラも同じである。

そもそも国に雨が降らないのであれば上流から水が供給されることもないわけで川が干からびない訳がないのである。ワンピースのサンドラ河は流れは穏やかであるようだが、ものすごく幅が広く豊富な水をたたえる川だ。

実際にカイロを訪れたことのある者ならばわかると思うが, 世界一長い川として知られるナイル川でさえ意外にもその川幅は広くない。日本でみかける大きな川程度である。

では何故ワンピースのアラバスタ王国では巨大な水量を持つサンドラ河があり, そして人々が水不足に苦しむのか, 導ける答えは一つしかない。それはサンドラ河が淡水ではなく海水だからである。海水であれば飲み水として使いようがないため川岸に町を作る意味はなく, 地下から井戸で水を汲み上げるしかない。ルフィ達もユバという町で出会った老人トトが地面を掘り進めながら地下水を見つける作業を目にしている。

更にこの仮説を裏付ける証拠がある。それは麦わらの一味がサンドラ河を渡るシーン。川の西側にあるクロコダイルの拠点レインベースから首都アルバーナを目指して移動する場面だが, レインベースからの移動に使った引っ越しクラブという動物で河を渡り切れずに溺れそうになりサンドラマレナマズに襲われそうになるピンチのシーンで一味を助けたのがクンフージュゴン

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ワンピース20巻より引用。

彼らが最初に登場したのは麦わらの一味がエルマルに上陸したときのシーンで, ルフィが決闘に勝つことで弟子入りした彼らが助けたのである。だが, このクンフージュゴンが登場した時の会話を覚えているだろうか。

サンジ『しかしこの国のジュゴンは変わってんなァ ビビちゃん河に住んでた』

ビビ『・・・ううん 海よ』

と答えるのである。この時出てくる図には海水が河口に入り込んで来てしまっている図が描かれるのだが, 人々の生活が水不足で脅かされ, 反乱がおきてしまうほどの国にして海の浸食は甘いように思える。海水に住むジュゴンがレインベースとアルバーナを繋ぐほどの上流エリアにいたことから考えても、筆者はサンドラ河自体が上流まで海水になってしまっていると考えられる。

では何故海水になっているのか?一つは河の標高差がないというのはあるだろう。そして先に出てきた説明の通り雨が降らない水不足によって海水があがってきてしまったと考える見方もあるかもしれない。

だがこうも言えないだろうか。このサンドラ河はもともと海であったからという事だ。

つまりアラバスタ王国を形成するサンディ島の中央部に川が流れるのではなく, 元々別々の島がなんらかのの理由で上流の北側でくっついてアラバスタ王国が形成されているという見方もできるのである。

そして雨が降る事で島と島の間の部分に水が溜まり流れて川になったという事だ。このように考えれば王都アルバーナを始め各街が水の豊富な川沿いではなく内陸部に作られた理由も納得できる。水を利用するメリットがない以上は島の端っこの海沿いという外敵からの攻撃に晒される場所を避けるためだ。

ところで防衛といえばアルバーナは外から絶壁で守られている。砂漠の中にこんな地形があるのは漫画の世界だからで片付けてしまいそうなところだが, 実際の砂漠においてもこんな地形は意外と存在する。サウジアラビアにあるedge of the worldだ。

世界の果て

以下リンクより引用。

https://hatenablog-parts.com/embed?url=https%3A%2F%2Fwww.visitsaudi.com%2Fja%2Fdo%2Fadventure-activities%2Fstanding-on-the-edge-of-the-worldwww.visitsaudi.com

サウジアラビアはメッカを巡礼するための信徒には寛容だが, 欧米や日本からの観光ビザを取得するのは非常に難しい国として知られていた。2019年に観光ビザが解禁されたのだが, それも結局コロナのパンデミックによってあまり盛り上がらずうやむやになってしまっている。

そんなこんなで全然観光情報が出回らないため, アラビアの大国の観光ポテンシャルは知られていないままなのだが, サウジアラビアはメッカとかメディナのような宗教的聖地やリヤドのような煌びやかな街だけでなく砂漠に独特な地形を持っている国なのだ。

リヤドから数10kmいった砂漠にあるEdge of the Worldはその代表格。日本語訳で地球の端っこという名の通り砂漠に突然の絶壁が出現するのである。まるでアルバーナの城壁のようだ。

Standing on the Edge of the World - Visit Saudi Official Website

Visitsaudiより引用。

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【砂獏の我愛羅】砂漠の国に住む中東在住者がナルト忍界対戦の歴代影との砂漠戦闘シーンを徹底考察https://madam-uae.com/%e3%80%90%e7%a0%82%e7%8d%8f%e3%81%ae%e6%88%91%e6%84%9b%e7%be%85%e3%80%91%e7%a0%82%e6%bc%a0%e3%81%ae%e5%9b%bd%e3%81%ab%e4%bd%8f%e3%82%80%e4%b8%ad%e6%9d%b1%e5%9c%a8%e4%bd%8f%e8%80%85%e3%81%8c%e3%83%8a/Mon, 09 Jun 2025 17:29:20 +0000https://madam-uae.com/?p=9147

これまでディズニー映画の舞台設定を考察する記事をいくつか書いてきたのだが, 結構人気があったので, 少し手を広げて漫画の考察に挑戦してみたい。 題材はナルト。著者が住む中東やアジア地域広範をはじめ海外では最も人気の日本漫 ... ]]>

これまでディズニー映画の舞台設定を考察する記事をいくつか書いてきたのだが, 結構人気があったので, 少し手を広げて漫画の考察に挑戦してみたい。

題材はナルト。著者が住む中東やアジア地域広範をはじめ海外では最も人気の日本漫画作品である。

この物語の終盤で第四次忍界大戦という各国を巻き込む戦争が勃発するのだが, 穢土転生の術により蘇った各国のかつての忍びの里長である歴代影たちと砂漠を戦場とした戦いがある。この舞台設定について砂漠の国に住む著者が考察してみたい。 

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ナルト56巻の冒頭より。地面は結構固そうで土漠のようにも見えるが, この後に出てくる戦闘シーンでは砂が地面を覆っていて明らかに砂漠である。そして特徴的なのが自然にできた柱が何本もそびえる地形。

このような地形は中東でも似たようなものが散見される。例えばエジプトの白砂漠。首都カイロより南西にいった辺りにある地形なのだが白い砂と奇岩の数々がある。 

Morning at Fossil Dunes Abu Dhabi Abu Dhabi United Arab Emirates Souvik Banerjee #natureblog24 #sky #desert #morning #sand #travel #sunrise #uae #fossil #abu…

またUAEにも似たような地形が存在する。アラブ首長国連邦の首都アブダビ近郊にあるFossil Duneだ。こちらも人が乗れる大きさの石灰岩による奇岩が並ぶ神秘的な光景が見られる。いずれにせよ中東アラブ世界をイメージした地形設定である。

この舞台での敵役として出てくるのが二代目水影、二代目土影、四代目風影、三代目雷影の四人。

このうち三代目雷影は砂漠や中東地域との関連性はなさそうなのでこれを抜かし, 四代目風影から考察していきたい。

四代目風影

四代目風影である羅砂はその子供である五代目風影我愛羅が迎え撃つ。両者とも砂を操る忍術を用いた親子対決。砂と砂の戦いは砂漠を舞台とする戦いそのものであり我愛羅の過去の真実が明らかにもなる作品の中でも重要なシーンである。三代目の羅砂は磁遁により砂金を混ぜた砂を扱うことにより我愛羅の砂の動きを鈍らせるが, 結局は我愛羅の母親であるカルラの包み込む砂により我愛羅が勝利した。

技に使われた金は特にドバイにおいて貿易取引額が非常に大きく香港などと並び世界トップクラスである。ドバイのゴールドスークは国の歴史よりも長く営業を続ける老舗店も含め多数の店舗が軒を連ねており海外旅行客の主要な観光スポットとなっている。

二代目水影

二代目水影が使うのは口寄せの術で呼び出した大蛤。大蛤ことは日本では蜃気楼を作り出す妖怪としてみなされてきた伝説上の生き物である。水影は溶遁忍術を使う五代目の照美メイしかり, 名前の通り水系の忍術を使う忍びである。そして二代目水影は水といってものような液体を扱うことができる。これも石油が大量に埋蔵・産出される中東をモチーフとした舞台設定によくあう技だ。油により我愛羅の繰り出す砂の術がきかなくなるという描写があるが, 砂に溜まる油という油田が形成される構造をも彷彿とさせる。そして最後に捕らえられた時の四角錐の砂に埋まって封印されるシーンはピラミッドをモチーフとしている。

二代目土影

二代目水影のライバルとして登場するのが二代目土影の無。そのキャラクター描写からしてミイラそのものであり, アラブ世界をイメージさせる本舞台に似合うキャラクターだ。三代目土影である両天秤のオオノキの師匠にあたる人物であり, 希少な血継淘汰の持ち主でもある。血継淘汰による風遁・土遁・火遁の組み合わせにより繰り出される原界剥離の術などの塵遁は強烈。あらゆる物体が塵と化してしまう。これもエジプトなどで触れれば塵となってしまうようなミイラが考古学者などにより発見されることをイメージさせる

これらのように砂漠や中東をイメージさせる舞台からそこに関連させた要素をキャラクター像に加味させているようだ。

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【ディズニー考察】ラーヤと龍の王国https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%ba%e3%83%8b%e3%83%bc%e8%80%83%e5%af%9f%e3%80%91%e3%83%a9%e3%83%bc%e3%83%a4%e3%81%a8%e9%be%8d%e3%81%ae%e7%8e%8b%e5%9b%bd/Sun, 08 Jun 2025 18:38:24 +0000https://madam-uae.com/?p=9144

ディズニー映画のラーヤと龍の王国。ディズニー初の東南アジア地域を舞台とした映画である。 冒頭には物語の中の古代神話がでてくるのだが, この時の影絵のような表現方法はインドネシアの伝統芸能であるワヤン・クリという影絵からイ ... ]]>

ディズニー映画のラーヤと龍の王国。ディズニー初の東南アジア地域を舞台とした映画である。

冒頭には物語の中の古代神話がでてくるのだが, この時の影絵のような表現方法はインドネシアの伝統芸能であるワヤン・クリという影絵からインスパイアされたものではないかと考えられる。ユネスコ無形文化遺産にも登録されたものだ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA

また同じく冒頭にでてくる石の扉のような遺跡はバリ島の寺院に必ずある割れ門のイメージだろう。

さて物語の主人公ラーヤだが, 顔立ちはアジア的な平面さがあるものの, かといって日本や中国など東アジア系の薄目の顔とも異なる。それも東南アジアを舞台とした世界観故のものだろうか。ラーヤのかぶるトレードマークの編み笠はベトナムのノンラー

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA

幼少期のエピソードでは神聖な場所へ上がる際に靴を脱ぐ動作があるが, これも東南アジアの上座仏教やイスラム教などの宗教施設で靴を脱ぐ慣習を意識してのことだろう。

ラーヤが父親と闘うシーンでは迫力あるアクションが見られるのだが, この動作はフィリピンの伝統格闘技であるエスクリマ, あるいはインドネシアのシラットに似たもののようだ。これらは合わせてカリ・シラットとも呼ばれており, 格闘技といっても道具を使った動作もあるので映画のアクションとよく似ている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%9E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88

そして何より飼いアルマジロのトゥクトゥクはタイ名物三輪カーのトゥクトゥクそのものだ。時を経て大人になったラーヤがトゥクトゥクを自らの乗り物としてしまうのも面白いコンセプトだ。

幼少期時代に他の4つの国を招いて集まった場面で用意していたスープはトムヤムクンのようでこちらもタイ名物だ。赤い唐辛子をスープに散りばめていた。

カリシラットを使いこなすラーヤにとってライバルとなるナマーリの戦闘はボクシングスタイルのようなもの。これはタイのムエタイ, あるいはミャンマーのダウェイやカンボジアのプラダル・セレイを意識したものか。これらは素手素足を基本とする脚技を含む立ち技格闘技だ。幼少期に父親が用い, 大人になったラーヤが使いこなす蛇行剣はインドネシアのクリス刀。

さてここからはこの世界に出てくる5つの国の舞台設定を考察する。

ラーヤの出身地はハート。

ジャングル奥深いこの国は雨が沢山降る東南アジアの気候そのものだ。そして同じく東南アジアを想起させるのがタロン。5つの国が交差する立地によって栄えた水上マーケットが名物で, このような水上集落はブルネイカンボジアのトンレサップ湖, フィリピンのバジャウ族の集落などなど東南アジア各地に存在する。屋台にランタンが沢山つられているのはベトナムのホイアンのイメージだろうか。編み笠を被って歩くラーヤは街の背景によく溶け込んでいるが, それもそのはず編み笠の名産であるベトナムの古都フエはホイアンのすぐ近くの街である。

ディズニーでランタンといえば塔の上のラプンツェル。ラーヤでも川に華を浮かべるシーンがあった。ラプンツェルのクライマックスのランタンを沢山飛ばすシーンはタイ北部チェンマイのコムローイという祭りでみられるものだ。

ハートやタロンが東南アジア感全快の一方で他の国は全く別のテイストだ。 テイルは砂漠の国だし, スパインは日本のようなイメージ, ファングはギリシャのような雰囲気だ。

ファングではペルシャ猫やギリシャ神殿のようなオリエント世界が描かれており一見すると中東・南欧からインスピレーションを受けているようにも思える。ただこの左右に大きく伸びる特徴的な屋根の形はインドネシアのスラウェシ島のトラジャ族の伝統建築であるトンコナンとよく似ている。建物で言えば他にも東南アジアでしばしばみられる高床式や高い屋根の建物が作中ででてくるのだ。

スパインは東北や日本海側での狩猟、雪、竹、紅葉、合掌作りの文化をイメージしているような気がする。ただでてくる山の形はマレーシアにあるキナバル山に似ているようだ。

いずれにせよどこの国の舞台設定にも東南アジアの要素が加えられているように感じられた。

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【中国版ディズニー】実写版ムーランを真面目に考察https://madam-uae.com/%e3%80%90%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e7%89%88%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%ba%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%80%91%e5%ae%9f%e5%86%99%e7%89%88%e3%83%a0%e3%83%bc%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%92%e7%9c%9f%e9%9d%a2%e7%9b%ae%e3%81%ab/Fri, 06 Jun 2025 07:31:55 +0000https://madam-uae.com/?p=9141

最初に 2020年にディズニーより実写版ムーランが公開された。 不思議の国のアリス, 美女と野獣, アラジンなどなど近年におけるCGをふんだんに活用してのディズニーアニメーション実写化の流れを受けた人気映画ムー ... ]]>

最初に

2020年にディズニーより実写版ムーランが公開された。

不思議の国のアリス, 美女と野獣アラジンなどなど近年におけるCGをふんだんに活用してのディズニーアニメーション実写化の流れを受けた人気映画ムーランの実写版である。

今回この映画を鑑賞したうえでの考察を記す。このブログでは前回中東移住記念のアラジン考察に続く二度目の映画感想記事となる。 

ディズニー史

先にディズニーの歴史を大まかに辿ると, 戦前の草創期に白雪姫, ピノキオ, バンビなど初期作品を製作。後に漫画の神様と呼ばれる手塚治虫にも多大な影響を与え、世界のアニメーション・漫画史に残るような作品となった。

1950年代にシンデレラ, ピーターパン, 眠れる森の美女などを製作して黄金期を迎える。初のテーマパークであるカリフォルニアディズニーの開業もこの頃だ。

しかし,  1960年代ウォルトディズニーの逝去および1970年代にかけての初期アニメーター達の世代交代により, 人気は下落。米国内でも終わったコンテンツとみなされるようになっていった。特に1970年代のプーさん以降1980年代にかけてヒットを飛ばすことなくディズニーの財務状況は危機的状況に陥っていたと言われる。

(この暗黒期における目立った功績と言えば, 初の海外テーマパークである東京ディズニーランドの開業と成功だろう。ただ, 京成電鉄系日本企業であるオリエンタルランドへのライセンス方式にしたことは直接資本関係のないディズニーにとって大成功した割にはリターンの小さい失策だったともいえる。)

完全に過去の遺物とされていたのだが, この低迷したディズニーを復興させたのが1990年代のディズニー・ルネッサンス期。CEOに就任したマイケル・アイズナーの剛腕によりリトルマーメイドアラジンライオンキングなどの名作を製作し, かつての栄光を一旦は取り戻した。

しかしながらその栄光も長くは続かなかった。その理由は世界的なテクノロジーの進歩である。ドリームワークスピクサーなど新興企業がCGアニメで台頭してくる一方, 出遅れたディズニーは2000年代に入り再び低迷。

CEOマイケル・アイズナーは責任をとって辞職することになったのだが, 次のCEOとなったのはTV局のADから叩き上げで上り詰めたボブ・アイガー。気難し屋で知られるスティーブ・ジョブズとの交渉を手掛けて2005年ピクサー買収に成功した。ピクサーでトイ・ストーリーシリーズなどの製作を手掛けていたジョン・ラセターにはディズニー本体での映画製作も監督してもらうことで作品のCG化を推し進め, アナと雪の女王など大ヒット作を製作し, 再度のディズニー復興を推進した。

特にかつてヒットしたアニメーション作品をテクノロジーによる実写化は確実にヒットを飛ばせるためか, 既定路線になっている。例えばライオンキング・クルエラ(101匹わんちゃん)・ジャングルクルーズ・ピーターパン・ダンボ・リトルマーメイド・白雪姫などであり、製作中のものも含めるとかなり数多い。

ボブアイガーは2020年に一旦辞任することとなったが, (任期より早かったためアメリカ大統領選出馬の噂も流れた)コロナで危機的状況に陥ったディズニーを助けるため現在2026年までと期限を定めて復帰している。

またディズニーは香港ディズニーランドが既にある中で巨額のマネーをつぎこみ上海ディズニーランドをも中国大陸に開業しており確実に巨大な中国市場を意識して企業活動を行っている。

あらすじ

さて当のムーランだが, 欧米系のおとぎ話を元とした作品が多いディズニーでは珍しく東アジアの中国を舞台とした映画となる。

主人公ムーランは男子のいない家庭で育つのだが, 外国からの侵略者に対抗しようとした国が各家庭から男兵士を一人ずつ徴兵する令を出す。家庭では唯一男性の父親も足腰が悪いため, ムーランが男のふりをしながら兵士として戦う物語だ。

伝統的なディズニーのキャラクター像としては定番であった白人王子様に助けられるか弱きプリンセス像を打破し, 更にアメリカではマイナーな人種である主人公の強い意志を持って闘う女性像を描いた近年の方向転換を象徴する作品である。

とはいえ, 元のアニメが上映された頃はまだまだ人種問題に敏感ではなかったのか, 細い目のつりあがったいかにも欧米人がイメージしそうな黄色人種として描かれ批判も当時かなりあったのだとか。

世界観・場面

冒頭の場面では, この時代の中国がペルシャなどと品物を売買をしていた様子が描かれる。つまりシルクロード交易の様子が描かれている訳だ。砂漠が出てくるため, シルクロード沿いの砂漠となるとゴビ砂漠ということになるだろう。

そしてムーラン一家が登場する場面では福建土楼に家がある様子が出てくる。しかし, この時点で違和感が凄い。福建土楼は福建省の客家の文化であり, ムーランの時代設定での国となる北魏の勢力圏ではない。そのためムーランが守ろうとした国って何のこと?という感じになってしまうのである。ムーランは客家人なのだろうか。

客家は商売のために国外へと移住するものが多いことでも有名であり現在台湾や東南アジアなどに多く華僑として居住している。2021年にディズニーが初めて東南アジア系の主人公による映画、ラーヤと龍の王国を公開したので, もしかして繋がっているのだろうか。

この辺りどうもディズニーが中国のインパクトのある景色を集めたという感じがしてならない。近年色彩豊かな山として有名インスタ映えスポットとなった七彩山もムーランが女だと明かして, 追放されたときの場面で出てきており, とりあえず中国文化の見栄えがするものを集めたという感じがしてならないのだ。

ムーランの古代中国方式の化粧や纏足をイメージさせる場面, 軍事教練の際の太極拳少林寺拳法をイメージさせる様子も同様である。

それから場面の話で言えば, 途中地表面が黄色くなった山で魔女と対峙するのだが, あの黄色さは硫黄のとれる山で実際に見られる光景である。インドネシアでブルーファイアが見られるとして有名なイジェン山が代表的な例である。ただ映画でも実物と同様に大量のガスが出ているのだが, 本来あのガスは有毒の硫化水素であるため魔女はともかく人間のムーランは死んでしまうだろうと思ってしまった。硫黄の山を場面に出したのは硫黄を原料として後に中国で発明される火薬をイメージしているのかもしれない。

そして雪山が出てくるのだが, 遊牧民との争いに何故雪山が?という疑問が沸き上がってならない。シルクロード沿いという事は天山山脈なのか。ここを避けてウルムチからトルファン辺りに入っていくルートもあっただろうに, 遊牧民がわざわざ不得意な雪山という地形を通ってくるのは何だかなぁと思ってしまう。それなら中国のシンボルでもある万里の長城を出せば良いのにと思うのだった。

対立構図

実写版ムーランは香港の民主化問題で主役が中国政府寄りの発言をしたことや, エンドロールにウィグル弾圧問題の原因を作っている政府系団体が感謝されたりしたため政治的に批判を受けた。観る前は文化的な単なる映像作品が政治問題に巻き込まれて同情的な気持ちもあったのだが, 実際に映画を見て考えが変わった。

この映画では明らかに中国 vs. イスラム勢力を意識させる作りとなっている。そもそも遊牧民との戦いなのにこの時代に既にあった万里の長城が出てこず, 先述したシルクロードや雪山の描写などから判断すると, 明らかに中国では定番のモンゴルあたりの北方騎馬民族というよりも西方からの武装勢力との戦いとなっている。

中国の西側となると中央アジア・中東文化圏である。敵役が黒いターバンを巻いていたり, 中東によくみられるシャムシールという曲刀に似たものを武器として持っていることからも現在のイスラム文化圏を意識させる描写となっている。(そういえばイスラム教の始祖であるムハンマドが生きたのも似たような時代である)敵役が忍者的アクションをみせるシーンがあるのだが, この考察を踏まえると忍者というよりもアサシンの語源となり, 中東に実在した暗殺教団をイメージしているのか。

これらの描写は制作されていたであろう過去数年間, 中東をはじめとする世界中でISが跳梁跋扈していたのも関係あるのかもしれない。ISは世界中の政府から目の敵とされていたため敵役イメージとして設定しやすかったのだろうと思うのは考えすぎだろうか。

ともかくこの映画では中国 vs. イスラム世界を意識させるような作りになっているとしか思えず, 武装蜂起するウィグル自治区に対して戦う中国政府という構図が自然と頭に浮かび上がってくる。政治問題に発展したのもディズニーが自ら首を突っ込んでいったとしか思えてならないのだ。

彼らをかばう点をあえて述べるとしたら今回新たに出てきた魔女役。あえて魔女という架空の存在を敵側として出してきたのも, この構図を際立たせ過ぎないよう配慮したのかもしれない。

美意識

そして何とも残念だったのが, 美的価値観。アジア的な繊細な表現に乏しく, アジアを舞台としながらもその美意識は欧米の価値観の域を出ないものであったと思う。

後でオリジナルのアニメ版を一部見たところこちらでは色んなところに複雑な心境を淡い色で表現する描写があるのとは対象的であった。これが実写版を劣化させてしまった最も大きな要因になってしまっていると思う。

福建土楼での住民の衣服の色どりも雲南省からゴールデントライアングルあたりの少数民族が好みそうなビビッドな色あいばかりでわびさびの美しさは全くない。

映画の要所要所でムーランを見守る鳳凰もアニメ版のキャラクターのようにデフォルメ化されたネタキャラとして登場するわけでもなく, 真面目にフェニックスとして出てくるのだが, あまりにも直接的に描かれていて違和感しかない。

たしかに纏足をイメージさせる描写や古代中国の化粧などムーランが着飾るシーンに中国の美的価値観を反映したつもりなのかもしれないが, あくまで欧米人に対しても分かりやすい見た目のインパクトがあるものを表現したに過ぎないのではないかと思った。 外国人にとって分かりやすくて興味をひきやすいものが強調され, 繊細さや奥ゆかしい美しさの表現がなく中国文化への理解が表層的としか思えてならないのだ。 

同時期に発売されたpsゲームであるゴーストオブツシマに現実の対馬と異なる五重塔や豪雪地帯や茅葺き屋根の民家が描かれているにも関わらず黒澤映画に見られるようなアジア的, 日本的な繊細な美しさを描くことで非常に高い評価を受けているのとは対象的である。

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結論として実写版ムーランはこけるべくしてこけたのだと思うのであった。香港民主化のシンボルとして有名な周庭氏が罰ゲームでムーランコスプレさせられている様子の方がよほど面白いし, 彼女こそ現代のムーランかもしれない。

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