バクーから郊外の工業都市スムガイトへ向かう。
出発は 28 May駅。駅名はアゼルバイジャンの独立宣言がなされた日にちなむ。ここは地下鉄のハブであると同時に国際鉄道のターミナル駅でもある。アゼルバイジャンからジョージアを通過してトルコのイスタンブール, あるいは更に先にあるブルガリア行きなども発着している。
スムガイト行きの電車もあるが, 通勤列車で朝と夕方しか発着していないので今回の移動は乗り合いタクシーだ。駅員に聞いたところ20 Yanvar駅からタクシーが出ているそうなので地下鉄で移動する。



地下鉄で20 YANVAR駅へと移動。ここの駅名は黒い一月事件というソ連末期にソ連軍がバクーへ侵攻してきたことにより発生した武力衝突に由来する。100名以上の死者を出す惨事となった。
地下鉄駅から地上へと出るとタクシーの運転手たちが行き先を叫んでいる。彼らはみんな乗り合いタクシーを運営していてタクシーが乗客で満員になると出発するシステムなので早く人を集めたいのだ。スムガイト行きと叫んでいる人に恐る恐るついていってタクシーに乗り込む。


バクーからスムガイトへと出発。
スムガイトは首都バクー郊外の工業中心地だけあって途中の道路は整備が行き届いており快適であった。ただスピードはかなり出すので安全には注意。



スムガイトへと到着。
降ろされたのは街の中心部ではなく街の入り口であったためそこから更にバスで中心部へと移動する。



街の中心部へと到着。
流石に人は多い。


店員が声を掛けてきた花屋。
国際都市のバクーはともかく少し首都から外れれば東洋人はまだまだ珍しいのだろう。


下町の路地裏へと入り込む。
スラムというほどではないものの街中に, というか道路上に洗濯物が干してあって生活感の漂う空間である。



路地裏はどっちを向いても洗濯物が干してあるのが印象的だ。でも庶民の日常といった感じで何か絵になる光景に感じる。



小さな遊園地も。


地元の人達は写真を撮れとせがんできて人懐っこい一面も垣間見えた。



公園で写真を撮っていたら子供達が集まってきた。
人懐っこい下町の空気は世界共通だ。




大通りに出て海沿いへと向かう。


松並木。



墓地。
アゼルバイジャンの歴史はソ連末期以来ソ連や隣国アルメニアと戦争を続けてきた歴史でもあり殉職した者も多い。英雄墓地である。




更に言えば民間の住民群衆による戦争中の隣国アルメニア系住民への襲撃が発生したのもこの街のリアルな過去である。
そうした暗い歴史を栄光と共に両面背負っているのがこの街だ。




海岸沿いの廃墟。




写真では分かりにくいが, この欧州や中近東地域では珍しい猿回し。


市場のあたりに戻ってきた。


市場の中は入り組んだ狭い通路の両脇に店が立ち並ぶ。


ケバブ屋で昼食。
地元の人曰く, トルコケバブよりもアゼルバイジャンケバブの方が上手いそうだが, 自分にはその違いがよく分からない。


大きな建物の中には野菜や肉製品なども売られている。
また生活雑貨も帽子売り場に帽子と混じって, スカーフが売られているのがこの地域ならでは。
中東のイスラム教スンニ派地域では服装と一帯になっているものが多いので専用の店舗で販売されている事が多いが, シーア派が多数のこの国では宗教上の理由で頭を隠す人でもスカーフが一般的だ。
色も単なる黒ではなく様々なお洒落な色から選択できる。



夕方になりスムガイトからバクーへと戻る事とする。
街の中心部から街の入り口まで移動しようとバスに乗ったのだが, どうやら自分の思っていた行き先と違ったようで全く関係ない場所に来てしまった。


街の一角ではおじいちゃん達がボードゲームに興じている。
逆方向のバスに乗ってさっき通過した少し大きめの広場みたいなところで降りるとそこからバクー行きの乗り合いタクシーが出ていた。



バクーの28 Yanavr駅へと戻ってきた。
あまり色気のないスムガイトと異なりバクーの繁華街はやはりお洒落。


ストリート系の靴屋ではちょっと風変わりな人達の集まりも。
落ち着いた雰囲気で保守的な地方の街もあれば, 先鋭的な首都の若者もいるのがこの国の面白さかもしれない。

