名古屋に杉原千畝の記念公園ができたと聞いて訪問した。
杉原千畝その人自体の物語は映画化もされており, ナチスが欧州を席捲する時代に多くのユダヤ人難民を救済した人として知られている。
記念公園の場所は杉原千畝の母校である旧制愛知県立第五中学,
すなわち現在の愛知県立瑞陵高校だ。
係の誘導で高校の中に入る。


今や説明する必要もない知られた人物となっているが, かつては広くその名前を知られていなかった。
リトアニアの日本領事館に領事代理として赴任していた杉原はビザの発給で東京の日本政府からの指示に背いていたため戦後に冷遇されたのだ。
そして暫くは外務省の歴史から消され, その功績が発掘されて評価が一般に知られるまで時間がかかったのだ。
公式に名誉回復がなされたのも2000年とごく最近になってからの事である。
今では彼を尊敬して彼のような外交官を目指す若手官僚も多いと聞く。


感喜堂という名前の学校の講堂では特別展も開催されていた。
中を覗くと杉原千畝と一緒に江戸川乱歩に関する記述も多くみられた。彼もこの学校出身という事だ。
とはいえ江戸川乱歩はこの学校の停学第一号という不名誉な伝説を残しているらしい。





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ケースの中には当時の貴重な資料の数々が展示されており多数の人が来館。
外も同じく沢山の人が見にきていた。




当時の様子を再現する像や彼の紹介をする展示が4つの壁に。
彼の功績を称える記念のオリーブの木も植えられていた。
この場所の他にも同じく東海地方では杉原千畝の出身地, 岐阜県八百津村には記念館が元々あって, ここと同じ岐阜県の飛騨高山(+石川県の金沢)を訪れるのが来日したユダヤ人観光客の定番コースとなっている。
故に飛騨高山ではここ数年でイスラエル人来訪者が急増しており話題になっているのだ。
これからはこういった場所ができた名古屋もこのコースの一つとなっていくのかもしれない。