夜中のマニラで彷徨った翌日, 買っておいたフェリーチケットを握りしめて早朝サンクルーズというフェリー会社の船着き場に向かう。場所はSMモールアジアの近く。



ここからマニラ湾に浮かぶコレヒドール島へと船で向かう。
フェリー乗り場は観光客が沢山訪れるからか意外にも近代的な雰囲気だ。
少し離れてマニラの街並みを見渡すと騒音と人ごみの中で見るマニラとは異なる落ち着いた首都の雰囲気。



出発して一時間程経ってコレヒドール島に到着。
このトラムで島内を巡る。



対岸に見えるのは死の行進で知られるバタン半島。
マニラ湾の狭くなっている部分に島が位置するためスペインが統治していた時代には検問所が置かれ入って来る船の検査を行い, アメリカ統治時代にはマニラ防衛のための軍の基地が置かれた要衝。
巨大大砲・高射砲が置かれ, 海上要塞と化した。 それゆえに太平洋戦争では日本軍の攻撃目標となり激戦が繰り広げられた。



防空壕跡。
コレヒドール島に残る戦争の遺構を巡る。



島を巡るためのバスとガイドはある程度数が集まると日本人専用になるらしくこの時も専門ガイドが日本語で解説してくれた。しかもガイドのエドさんはアメリカ嫌いの大の日本びいき。
こういうのも面白いのだが, 反対にアメリカ人ばかりのグループではどういう反応なのかも気になるところだ。



日本人による慰霊碑もあった。



感慨深いのは戦没者の名前が刻まれたこのプレート。
年齢を見ると皆若者で10代で亡くなったものもいる。




島の中心的スポットであるトンネルに向かう。



トンネル内では光と音のショーというのをやっているらしくてチケットを購入。



マリンタトンネルに入っていく。



当時の様子が人形によって再現されている。
日本語音声での会話も流れてくる。



往時は野戦病院や兵器庫として使用されていた。



コレヒドール島は一度は日本軍が占領するのだが, 形勢が悪くなった頃に再び米軍により奪い返された。日本軍は必死の抵抗をするも最後はトンネルを爆破して玉砕したそうだ。
トンネルの奥には星条旗でも日の丸でもなくフィリピン国旗がはためく。


かつて島内を走っていた路面電車の路線跡も残る。



トラムで島めぐりを再開すると日本でも有名なマッカーサーの銅像が立っていた。マッカーサーが日本との戦いに負けて残したI shall returnという言葉とともに。
ローカドックという場所でマッカーサーが魚雷艇でこの島を脱出する際に使用された波止場だそうだ。




この建物はアメリカ軍の兵舎として使われた。
島内には数々の建造物があるが日本の浅野セメント製だそうだ。まだ建設当時は日本とアメリカが険悪な仲ではなかったという事を示唆する。






こちらの建物には戦闘時の銃痕が残る。







やってきたスペイン統治時代に建てられた灯台の横が昼食会場となっていた。



僻地だし期待していなかったのだが, 意外にも昼食はバイキング形式でなかなかいける味であった。

灯台の建物内には往時の写真展示も。
元の灯台は戦闘で破壊されたために戦後再建されたのだそうだ。


灯台を登ったところから島を眺めると燃料タンクらしきものがあった。



昼休みを終えてツアー再開。





こちらの建物は米軍の娯楽施設として使用され映画が上映されていたそうだ。




太平洋戦争記念館。



博物館には米軍兵や日本兵の写真や手紙・国旗の寄せ書きなどが展示されている。
































元来た波止場へと戻る。




帰りのフェリーに乗船。




日帰りツアーではあるものの島を訪れてからマニラに戻ると急速に発展していく都市のエネルギーを感じる。


そして着いた頃にはちょうど夕日の時間帯。
太陽が水平線に沈んでゆく。
