若者達と別れて散策を続ける。パガン地域で面白いのは仏教遺跡だけでなく途中途中に村があって地元の人達の生活の場所があるところ。主要な道から一本それればすぐにそういった光景に出くわすのだ。


トイレらしき小屋?道端では子供達が遊んでいるのが定番だ。この村はオールドパガンとニューパガンの間にあるため一番有名だろう村。名前をミィンカバー村という。



お祭りなのか儀式で使うのか鶏の巨大模型を作成中だ。


適当に進んでいたら何やら藪の中の道に迷い込んでしまったようだ。


そんな道なき道を進んでいってもパゴダが当たり前のようにあるのがパガンの凄いところでもある。


ちゃんとした道にでてきた。ミャンマーのローカルなバスはこんな風にトラックの荷台一杯に人が敷き詰まるまで乗せられる。自分がマンダレーで体験したようにこの状態でスコールに襲われると横からの雨でびしょびしょになってしまうのだ。
そしてミャンマーの英雄アウンサン将軍。アウンサンスーチー女史の父親にしてミャンマー独立の志士である。ミャンマーは少数民族問題で騒がれる事も多いが各地の少数民族からミャンマー国家形成の合意を取り付けたのも元はこの人の力によるものだ。(死後にミャンマー政府が約束を破ったりしたため関係がこじれるのだが。)


ニューパガンを通過して内陸側からニャウンウー方向へ進む途中に横道へそれると沢山の村がある。その一つがタテェーカン村である。



東南アジアで縦床式住居を見かける事は決して珍しくない。縦床式住居における床下は家畜がいたり, 主婦達が談笑していたりと有効に使われている事が見ていて多い気がする。タイのように進んでいる国の地方では床下に自動車が置かれている事もある。



手作りの揺り籠で幼子があやされている。こういったところで村人に挨拶すると笑顔で返してくれるのもミャンマーを好きになった理由の一つだ。




村にはやはりパゴダもあるし, 小学校もあった。
次にまた別の村であるミンナントゥ村へ。



良い感じの喫茶店を発見したのでしばし一休憩。観光業に従事する人も多いのか英語が達者な人もいた。


喫茶店の横には絵画が販売されている。



昨晩パガンへ入った時の検問らしきところ。ここで入域料をとられた。
適当にブラブラしていると, 村の奥で何故だか近代的な団地のようなところにきた。人はほとんど住んでいないようだが, まだ工事中の感じだったので, こうした居住区が今建設されているのだろうか。ただし車庫の屋根だけ何故か茅葺きなのが面白い。


色々な側面を見せてくれる国である。
この後はニャウンウーという町にある市場を訪問。



食料品から雑貨やらお土産物まで。市場の床はキンマという嗜好品の噛みたばこを吐いた後で赤く染まる。。。




この地域で造ったタバコを売っているというのでお土産にいくつか購入。



適当に進んでいたら川まで出てきてしまった。ここでも子供や若者が遊んでいる。








村には図書館もあった。残念ながらこの時間は閉館しているようで中は見られなかった。図書館を出ようとしたら子供が通せんぼ。


場所に乗る白人達。こんな村にも少数だが観光客は来ているようだ。



広場では凧揚げをする子供達。あるあるトラブルである電線に凧を引っかけてしまったようだ。



日本も昔は子供が子供(弟・妹)の世話をする国として知られたが, 今のミャンマーもかつての日本さながらに子供達の面倒を見てあげている。


村の働き者。


夕焼けの中でバレーボール。
自分は村を出ていく方向に進んでいくのだが, 昼間は遺跡周辺で働く人達や馬車の馬達が仕事を終えて続々と村へと帰っていくのだが、それらをすれ違いながら自分もホテルに戻る。


首長族の女性が布を織りながら販売している。ただこれについては大変複雑な気分でもある。首長族を輩出する部族は元々ミャンマー・タイ国境付近に居住している。ほかにも国境付近には沢山少数民族がいるのだが, 首長族だけ国際的な知名度が圧倒的に高いため観光資源にもなる存在なのだ。そのためこのパガンやチェンマイなど観光客が集まるような場所では見世物かのごとく働いている様子をしばしば見かける。
