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チェンライの時計台近くの宿より歩いて15分, バスターミナルへ向かう。
今日も托鉢と遭遇。ほっこりする朝の日常だ。


チェンセーンまでのバスに乗車して向かう。
途中はやはり昔ながらの高床式家屋もしばしば見かけた。
街中心部の手前にてバスが特段何もない交差点で止まると, 運転手に国境へ行くのかと尋ねられた。そうだと答えると, それならここで降りろとの事。
こんな何もないところで降りるのかと一瞬怪訝な顔をしたが, 地図上は確かにここから国境へ道が出ている場所だ。
バスを降りると, 閑静な雰囲気の中でバス停近くに1台のトゥクトゥクが。


国境までは60バーツとの事。値下げを試みるが, ここではdiscountしないという事であった。
確かに看板の表示に値段が表示されており, 固定料金のようだ。
国境は閑散としていた。
今日は日曜日でラオス側のイミグレーションの正規営業時間外だったからかもしれない。
土日は無料ではなく, 一定料金を支払う必要がある。


国境ではメコン川に架かる友好橋を渡らなければならない。
昔はチェンセーンの街から小舟で国境を越えていたそうで今でも両国民はこのルートで出入国できるのだが, 外国人は橋から入国しなければならない事となっている。
人が閑散としているため, 出国審査を通過してから, 35バーツの橋を渡るバスが出るまで結構待たなければならなかった。
30分ほど待っただろうか, それでもバスの中は半分以上座席が空いていた。
料金のかかる土日は地元の人は通らないのかもしれない。


橋を渡るだけなのでラオス側にはすぐに到着した。
途中の池で謎のオブジェも。
入国審査の前に両替所があったため, そこで少し両替を済ませてから, 入国審査を受ける。
お金を要求されなかったため, 無料で済むのかと思ったら, あの窓口で支払えと指示された。
確かにそこではお金を徴収する窓口があったのだが, あまりに簡素な作りであったため, 払わずに無言で通過しようと思えばどうにかなるのではないかとも思われた。
でも結局自分から窓口のお姉さんに話しかけて, 支払いを済ませた。
よく見ると料金については大きな文字で壁に掲載されていた。
かつて東南アジアの陸路国境では賄賂を徴収される事も多かったそうなので, 賄賂と勘違いされないよう, きちんと価格表示をしているのだろうか。

入国審査を抜けるとそこには一台のソンテウと地元の人が数人だべりながらたまっているくらいでなんとものどかな雰囲気。
せわしなく人や物資が行き来しているのが国境の典型的光景で昨日通過したミャンマーとの国境はまさにそれであった。
そしてこの国境はそれとは隔絶の感がある。
あらゆるものの流れがゆっくりしていて時間の進みも遅くなにもないがあると呼ばれるラオスの雰囲気そのもの。
村上春樹がラオスにいったいなにがあるっていうんですかという本を著したのも頷ける。

ソンテウが人が集まったら街へ出発するというのでのんびりと待機していたら全然人が集まって来る様子がない。
唯一欧米人カップルが加わったがそれきりでこのままでは日が暮れてしまいそうだ。
乗り込もうとしているパクベン行きスローボートの時間を尋ねたところ聞いていた情報より早く出発するらしく今から出発してギリギリであった。
逃したら明日まで待たねばならないので泣く泣く数人分となる千数百円支払って出発してもらうこととした。


のどかな道のりを通って途中のファイサーイの町のバスターミナルで欧米人カップルを降ろしてから街を抜けて船着き場に到着。
船には既にエンジンがかかっており今にも出発するところだった。
桟橋まで手を挙げながら坂道を下っていくと船長らしき人物が降りて待っててくれた。
パクベンまでのチケット代である180,000キープを支払って船へ乗り込む。



中は欧米人バックパッカーだらけ。旅人には人気のコースなのだろう。
とにかく無事に乗り込むことができ良かった。
国境を通過する際に渡ってきた友好橋は川から眺めるとなかなか立派な建築物である。


船の中は他にラオス人の船長や機関士, そして少数の地元乗船客もいた。
といっても地元の家族は途中の村まで行くようだ。
このファイサーイからパクベンやその先にあるルアンパバーンへ行くメコン川のスローボートは最もメジャーな手段である。
他にもバスや高速ボートが利用可能なのだが, 道路は遠回りのルートでかつ夜中に山賊が出るし, 高速ボートは時折沈むことがあるらしい。
道路自体もおそらく舗装が不十分なのだろう。
船の出たラオスの町ファイサーイで見かけた自動車がほとんどピックアップトラックだったことが何より物語っている。
なのでラオスらしくスローボートでまったり向かうのが人気なのだ。
しかもメコン川を進む船旅はしばらくタイで入手したシムカードが繋がった。
メコン川が国境となっていて隣接しているからだろう。


途中途中の村々で停泊するのだが, ここでは周囲と隔絶された村の子供たちを眺められる。
村の人が帰ってくるのを村の子供達が総出で出迎える。
よく見ると川沿いに道路も敷設されているようだが時折トラックを見かける程度で自動車はほとんどみかけない。
道路工事中でまだ本格的には使用されていないのだろうか。

途中エンジントラブルも発生。
エンジンが回らなくなり船は自由浮遊状態。
こんなんでメコン川を下っていけるのかと心配になる。
機関士が修理をするので見ていると川崎製のものであった。
15分経っても直らずあきらめムードも漂ってきたが配線を直して1時間弱いつの間にやらエンジンがかかるようになった。
こういった中古エンジンの修理技術は日本よりもこういった途上国の方が上かもしれない。

船旅は時間はたっぷりあるがラオス人と白人の子供が船上国際交流したり, 途中の村の子供達が川岸で船と並走したり, 読書したり, 昼寝したりと意外に飽きることもく時間は過ぎた。


そして夕方薄暗くなる前に船はパクベンの町に到着。
降りるとゲストハウスの客引きが呼び込みをしている。
小さな女の子がうちに来てくれというので値段を聞くと一泊300円くらいというではないか。
安くてびっくりだが中を覗いてみてから決める事にしてピックアップトラックの荷台に乗り込みゲストハウスまで行く。
どうやらゲストハウスが並ぶ通りの一番奥に立地しているから安いのだよう。
設備も値段を考えれば悪くないのでここに泊まる事とした。


この町は船着場前にゲストハウスが並び, その山側へ歩いていくと地元のラオス人達が家が並んでいる。
街灯が全くないので日没後に歩くのは結構大変。
皆家に鍵をかけないどころかクーラーもないのであろう扉を開け放しているので部屋の中のライトやテレビの明かりが頼りだ。


真っ暗の中で出店している屋台にて夕食をとりこの日は就寝した。

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