【中国版ディズニー】実写版ムーランを真面目に考察

最初に

2020年にディズニーより実写版ムーランが公開された。

不思議の国のアリス, 美女と野獣アラジンなどなど近年におけるCGをふんだんに活用してのディズニーアニメーション実写化の流れを受けた人気映画ムーランの実写版である。

今回この映画を鑑賞したうえでの考察を記す。このブログでは前回中東移住記念のアラジン考察に続く二度目の映画感想記事となる。 

ディズニー史

先にディズニーの歴史を大まかに辿ると, 戦前の草創期に白雪姫, ピノキオ, バンビなど初期作品を製作。後に漫画の神様と呼ばれる手塚治虫にも多大な影響を与え、世界のアニメーション・漫画史に残るような作品となった。

1950年代にシンデレラ, ピーターパン, 眠れる森の美女などを製作して黄金期を迎える。初のテーマパークであるカリフォルニアディズニーの開業もこの頃だ。

しかし,  1960年代ウォルトディズニーの逝去および1970年代にかけての初期アニメーター達の世代交代により, 人気は下落。米国内でも終わったコンテンツとみなされるようになっていった。特に1970年代のプーさん以降1980年代にかけてヒットを飛ばすことなくディズニーの財務状況は危機的状況に陥っていたと言われる。

(この暗黒期における目立った功績と言えば, 初の海外テーマパークである東京ディズニーランドの開業と成功だろう。ただ, 京成電鉄系日本企業であるオリエンタルランドへのライセンス方式にしたことは直接資本関係のないディズニーにとって大成功した割にはリターンの小さい失策だったともいえる。)

完全に過去の遺物とされていたのだが, この低迷したディズニーを復興させたのが1990年代のディズニー・ルネッサンス期。CEOに就任したマイケル・アイズナーの剛腕によりリトルマーメイドアラジンライオンキングなどの名作を製作し, かつての栄光を一旦は取り戻した。

しかしながらその栄光も長くは続かなかった。その理由は世界的なテクノロジーの進歩である。ドリームワークスピクサーなど新興企業がCGアニメで台頭してくる一方, 出遅れたディズニーは2000年代に入り再び低迷。

CEOマイケル・アイズナーは責任をとって辞職することになったのだが, 次のCEOとなったのはTV局のADから叩き上げで上り詰めたボブ・アイガー。気難し屋で知られるスティーブ・ジョブズとの交渉を手掛けて2005年ピクサー買収に成功した。ピクサーでトイ・ストーリーシリーズなどの製作を手掛けていたジョン・ラセターにはディズニー本体での映画製作も監督してもらうことで作品のCG化を推し進め, アナと雪の女王など大ヒット作を製作し, 再度のディズニー復興を推進した。

特にかつてヒットしたアニメーション作品をテクノロジーによる実写化は確実にヒットを飛ばせるためか, 既定路線になっている。例えばライオンキング・クルエラ(101匹わんちゃん)・ジャングルクルーズ・ピーターパン・ダンボ・リトルマーメイド・白雪姫などであり、製作中のものも含めるとかなり数多い。

ボブアイガーは2020年に一旦辞任することとなったが, (任期より早かったためアメリカ大統領選出馬の噂も流れた)コロナで危機的状況に陥ったディズニーを助けるため現在2026年までと期限を定めて復帰している。

またディズニーは香港ディズニーランドが既にある中で巨額のマネーをつぎこみ上海ディズニーランドをも中国大陸に開業しており確実に巨大な中国市場を意識して企業活動を行っている。

あらすじ

さて当のムーランだが, 欧米系のおとぎ話を元とした作品が多いディズニーでは珍しく東アジアの中国を舞台とした映画となる。

主人公ムーランは男子のいない家庭で育つのだが, 外国からの侵略者に対抗しようとした国が各家庭から男兵士を一人ずつ徴兵する令を出す。家庭では唯一男性の父親も足腰が悪いため, ムーランが男のふりをしながら兵士として戦う物語だ。

伝統的なディズニーのキャラクター像としては定番であった白人王子様に助けられるか弱きプリンセス像を打破し, 更にアメリカではマイナーな人種である主人公の強い意志を持って闘う女性像を描いた近年の方向転換を象徴する作品である。

とはいえ, 元のアニメが上映された頃はまだまだ人種問題に敏感ではなかったのか, 細い目のつりあがったいかにも欧米人がイメージしそうな黄色人種として描かれ批判も当時かなりあったのだとか。

世界観・場面

冒頭の場面では, この時代の中国がペルシャなどと品物を売買をしていた様子が描かれる。つまりシルクロード交易の様子が描かれている訳だ。砂漠が出てくるため, シルクロード沿いの砂漠となるとゴビ砂漠ということになるだろう。

そしてムーラン一家が登場する場面では福建土楼に家がある様子が出てくる。しかし, この時点で違和感が凄い。福建土楼は福建省の客家の文化であり, ムーランの時代設定での国となる北魏の勢力圏ではない。そのためムーランが守ろうとした国って何のこと?という感じになってしまうのである。ムーランは客家人なのだろうか。

客家は商売のために国外へと移住するものが多いことでも有名であり現在台湾や東南アジアなどに多く華僑として居住している。2021年にディズニーが初めて東南アジア系の主人公による映画、ラーヤと龍の王国を公開したので, もしかして繋がっているのだろうか。

この辺りどうもディズニーが中国のインパクトのある景色を集めたという感じがしてならない。近年色彩豊かな山として有名インスタ映えスポットとなった七彩山もムーランが女だと明かして, 追放されたときの場面で出てきており, とりあえず中国文化の見栄えがするものを集めたという感じがしてならないのだ。

ムーランの古代中国方式の化粧や纏足をイメージさせる場面, 軍事教練の際の太極拳少林寺拳法をイメージさせる様子も同様である。

それから場面の話で言えば, 途中地表面が黄色くなった山で魔女と対峙するのだが, あの黄色さは硫黄のとれる山で実際に見られる光景である。インドネシアでブルーファイアが見られるとして有名なイジェン山が代表的な例である。ただ映画でも実物と同様に大量のガスが出ているのだが, 本来あのガスは有毒の硫化水素であるため魔女はともかく人間のムーランは死んでしまうだろうと思ってしまった。硫黄の山を場面に出したのは硫黄を原料として後に中国で発明される火薬をイメージしているのかもしれない。

そして雪山が出てくるのだが, 遊牧民との争いに何故雪山が?という疑問が沸き上がってならない。シルクロード沿いという事は天山山脈なのか。ここを避けてウルムチからトルファン辺りに入っていくルートもあっただろうに, 遊牧民がわざわざ不得意な雪山という地形を通ってくるのは何だかなぁと思ってしまう。それなら中国のシンボルでもある万里の長城を出せば良いのにと思うのだった。

対立構図

実写版ムーランは香港の民主化問題で主役が中国政府寄りの発言をしたことや, エンドロールにウィグル弾圧問題の原因を作っている政府系団体が感謝されたりしたため政治的に批判を受けた。観る前は文化的な単なる映像作品が政治問題に巻き込まれて同情的な気持ちもあったのだが, 実際に映画を見て考えが変わった。

この映画では明らかに中国 vs. イスラム勢力を意識させる作りとなっている。そもそも遊牧民との戦いなのにこの時代に既にあった万里の長城が出てこず, 先述したシルクロードや雪山の描写などから判断すると, 明らかに中国では定番のモンゴルあたりの北方騎馬民族というよりも西方からの武装勢力との戦いとなっている。

中国の西側となると中央アジア・中東文化圏である。敵役が黒いターバンを巻いていたり, 中東によくみられるシャムシールという曲刀に似たものを武器として持っていることからも現在のイスラム文化圏を意識させる描写となっている。(そういえばイスラム教の始祖であるムハンマドが生きたのも似たような時代である)敵役が忍者的アクションをみせるシーンがあるのだが, この考察を踏まえると忍者というよりもアサシンの語源となり, 中東に実在した暗殺教団をイメージしているのか。

これらの描写は制作されていたであろう過去数年間, 中東をはじめとする世界中でISが跳梁跋扈していたのも関係あるのかもしれない。ISは世界中の政府から目の敵とされていたため敵役イメージとして設定しやすかったのだろうと思うのは考えすぎだろうか。

ともかくこの映画では中国 vs. イスラム世界を意識させるような作りになっているとしか思えず, 武装蜂起するウィグル自治区に対して戦う中国政府という構図が自然と頭に浮かび上がってくる。政治問題に発展したのもディズニーが自ら首を突っ込んでいったとしか思えてならないのだ。

彼らをかばう点をあえて述べるとしたら今回新たに出てきた魔女役。あえて魔女という架空の存在を敵側として出してきたのも, この構図を際立たせ過ぎないよう配慮したのかもしれない。

美意識

そして何とも残念だったのが, 美的価値観。アジア的な繊細な表現に乏しく, アジアを舞台としながらもその美意識は欧米の価値観の域を出ないものであったと思う。

後でオリジナルのアニメ版を一部見たところこちらでは色んなところに複雑な心境を淡い色で表現する描写があるのとは対象的であった。これが実写版を劣化させてしまった最も大きな要因になってしまっていると思う。

福建土楼での住民の衣服の色どりも雲南省からゴールデントライアングルあたりの少数民族が好みそうなビビッドな色あいばかりでわびさびの美しさは全くない。

映画の要所要所でムーランを見守る鳳凰もアニメ版のキャラクターのようにデフォルメ化されたネタキャラとして登場するわけでもなく, 真面目にフェニックスとして出てくるのだが, あまりにも直接的に描かれていて違和感しかない。

たしかに纏足をイメージさせる描写や古代中国の化粧などムーランが着飾るシーンに中国の美的価値観を反映したつもりなのかもしれないが, あくまで欧米人に対しても分かりやすい見た目のインパクトがあるものを表現したに過ぎないのではないかと思った。 外国人にとって分かりやすくて興味をひきやすいものが強調され, 繊細さや奥ゆかしい美しさの表現がなく中国文化への理解が表層的としか思えてならないのだ。 

同時期に発売されたpsゲームであるゴーストオブツシマに現実の対馬と異なる五重塔や豪雪地帯や茅葺き屋根の民家が描かれているにも関わらず黒澤映画に見られるようなアジア的, 日本的な繊細な美しさを描くことで非常に高い評価を受けているのとは対象的である。

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結論として実写版ムーランはこけるべくしてこけたのだと思うのであった。香港民主化のシンボルとして有名な周庭氏が罰ゲームでムーランコスプレさせられている様子の方がよほど面白いし, 彼女こそ現代のムーランかもしれない。

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