松阪に宿泊した翌日, 伊勢湾フェリーに乗って志摩半島から渥美半島へと渡り, 関東へと戻る。


乗車したままフェリーに乗り込み車を格納する。


船内の写真はあまり撮らなかったのでこちらを参照。

出発。
船旅のカップラーメンは何故だかいつも以上に美味しく感じるのは何故だろうか。西日本で人気の金ちゃんヌードル。


愛知県の渥美半島・伊良子岬に到着してからは下道国道42号で東名高速まで行き, そこから高速道路で東へ移動。
静岡県牧之原で降りて, 相良へ。


やってきたのは相良油田。
非常に古い国産油田であり, 太平洋岸唯一の油田でもある。


この日は二年に一度の桜まつりで試験採取を行う日。
見物客に囲まれながら往年の作業員が腕によりをかけて原油採取を試みる。


油井から地下の原油を採取する。


展示も豊富にあり原油サンプルや歴史・技術資料が建物には展示されている。


こちらは手掘り小屋。
かつては肉体的に非常に過酷な手掘りという人海戦術が用いられていた。


たたら。坑内に入っている作業員のために空気を送るもの。




相良油田の原油は琥珀色の非常に軽く低粘度の特徴的な油。


採取されたばかりの原油をホンダのバイクに給油してみると・・・

なんと精製もしていない原油をつかってエンジンがかかってしまうのだ。
それだけ上質な原油が地下からそのまま採取されてしまう驚き。


祭りには静岡県西部や愛知県など自動車産業の盛んな方面からきたエンジンマニアの方々が集まり, 持ち寄ったエンジンを次々にかけていく。


相良油田では手作業の手掘りと合わせて機械式による綱掘りも併用しており, 日本国内の近代的石油採掘の原点とされる。
先述のように手掘りは油気のある危険な環境下で更に井戸が崩落するリスクもある中の重労働だったので革新的な進歩といえる。


相良油田開発を指揮した石坂周造は日本の石油王とも言われる維新志士。




井戸掘りの作業員はその過酷さ故に高給とりであることは昔も今も変わらないようだ。



往時の人員名簿や証券, 器具などが展示されている。




世界各地の有名どころの原油との性状比較。
相良油田の油は如何にガソリン留分を多く含み, 良質なものかがよく分かる。





相良油田は近代産業化遺産に経産省により認定されていたようだ。
明治の最盛期には手掘り井戸が密集して建ち並ぶ。


往時には静岡刑務所の囚人たちも作業に参加したようだ。
やはり殉職者も多かったよう。
採取された原油は樽に入れて大八車に乗せて運ばれていったそうだ。
ちなみに原油量の国際的単位であるバレルは樽一つ分の意味が語源である。

















おわり