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バーレーンのスーパーで買い物したところ公然とスーパーのレジ付近には一般の雑誌と混じって水着やセミヌードのグラビア表紙の雑誌があった。
これは中東圏ではなかなか考えられないことであるため海外の風土をとりいれて, あかぬけたこの国の実状を示しているものである。

冒頭にリンクのある前編の記事では中東湾岸地域で最も早くから石油が見つかり欧米外資(巨大石油資本)が進出してきたためと記載したが, それだけでないのかもしれない。
バーレーンは遥か昔より湾岸地帯の主要産業であった天然真珠採取により水揚げされた真珠の取引拠点があった事からインド等海外の商人との交流も活発にあった事から海外文化を受容する文化的な下地があったからこそなのではないかとも思う。


そんなバーレーンの歴史を巡るため島北東部に位置するムハラクを翌朝訪れた。
この町こそが真珠採取で栄えたかつての首都であり, 1930年代頃まで真珠採取・取引の最大拠点であったのだ。


街中にはラクダのオブジェが。
しかし暑い。夏に中東地域を旅するのは完全に間違いであった。
体がほてって汗が体中をほとばしり, のどがからからなので道端のジュース屋で一服。
まるでサウナの中にいるかのようだ。


ラクダから更に坂を登っていくと図書館があった。
女性教育の重要性を訴えたマララの本も蔵書されている。
流石に地域で最も開明的な国だけの事はある。


そして旧市街ではかつての首長の家や真珠取引により栄えた一家の豪邸が残されている。真珠とり、島の経済を物語るものとして世界遺産にも登録されている。


上の写真が当時の首長の家。下が豪商の家屋とそのモスクのミナレットである。
真珠商人シャディ一族の館は改修中だったようで中に入ることができなかった。
なおその後に真珠産業が衰退したのは世界恐慌と御木本幸吉による日本の真珠養殖業が発展したためである。なのでこの地域の歴史と日本は関係深くもあるのだ。


観光を終えてバスターミナルへ戻る途中何やら美術的空間に迷い込んだ。
昨日訪れた歴史博物館でも見掛けたのだが, この国は現代美術に関心が高いのだろうか。



そんなこんなでバスターミナルからバスに乗って空港へと行きUAEへの帰路を進むのであった。