【最終回】インドシナ・マレー半島縦横断その12:マレー半島の先端に到着

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旅に出た理由

普段あまりTVを見ない自分が毎回放送を楽しみにする番組があった。それは2007年から放映していたテレビ東京のローカル路線バス乗り継ぎの旅である。太川陽介・蛭子能収・マドンナ(毎回異なる女性ゲスト)の3人でローカルバスを乗り継いで全国を旅する企画だ。

ある時に同じくTV東京にて東南アジア縦断 長距離バスの旅というのが放映された。たった一度限りの企画ではあったが, カンボジアのシエムリアップからシンガポールまで様々なイベントがありながらも, 海外で街を一つ一つ進んでいく旅の飽きることのない興奮の連続, 飛行機とは異なる現地に溶け込みながら地を這う旅を進めていく様子に自分の好奇心は大いに刺激された。

自身は特段バス旅に拘りがあったわけでも乗り物好きな訳でもない。しかし, これ以来ずっとこの番組が忘れられず, いつかこんな旅をしてみたいとずっと考えていた。

そしてある日アンコールワットのあるシエムリアップへバンコクからバス旅をしてみた。その時に人生で初めてみた陸路国境という存在, そこにある活気文化・文明発展度の差・そして国境という概念の曖昧さはこれまで島国から先入観を持って捉えていた自分に対してカルチャーショックを与えるには十分なものであった。

そして, この国境の面白さ, そしてかつて自分がTVで見た旅の光景を思い浮かべながら, 遂にこの番組より少し長い区間であるベトナムのホーチミンをスタート地点として旅を開始した。縛りは飛行機を使わずに地元の人達が使っているようなローカルバス・船・鉄道を使う事であった。

そんな旅も今回でいよいよ最終回。マレーシアのジョホールバルからシンガポールへと架かる橋を渡り、最後の国境を越えてきた。

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そんなこんなでシンガポールのウッドランズでの入国も何事もなく終わらせ, バスに乗ってMRTブギス駅へと移動。

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流石シンガポール!

駅の注意書きも英語・中国語(簡体字)・マレー語・ヒンドゥー語で記載されている。

マレーシアとは違って, マレー語よりも中国語が上に来るのも興味深い。

第二次世界大戦後にシンガポールはマレーシアの一部となる流れであったが, あまりにも現地のマレー系民族をさしおいて華僑の人口に占める割合が高いために, マレーシアから切り離されてしまった都市国家なのである。

マレー人・華人・インド人が主要な民族構成である。

一方で戦前は日本人街ができるほど日本人も沢山住んでいた。今も日本人駐在者は沢山住んでおり, 駐在サラリーマンが連れてきた家族による奥様会も盛んだと聞いたことがある。

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シンガポールのランドマークと言えるマリーナベイサンズへとやってきた。 マリーナベイサンズは巨大なホテル、ショッピングモール、カジノ、スカイパークからなる複合施設で、特にスカイパークからの眺めは息をのむ美しさとして知られており、シンガポールの近代的な姿を象徴している。

シンガポールはイギリスが開発した街なので, 紅茶文化が発展した。TWGは世界有数のシンガポール発紅茶ブランド。紅茶だけあって, インド系がオーナーだそう。TWGロゴの下には1837と書かれているが, Since 1837の老舗ブランドでも何でもないシンガポールに商工会議所が設立されて公式の紅茶貿易が始まった年なのだ。本当は2008年創業のバリバリのスタートアップ企業である。

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カジノ。

少しの間滞在するも全く勝てず早々に退散。。。

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世界三大がっかりスポットとしても名高いマーライオンを一応見ておいてから、シンガポール国立博物館を訪問。

マーライオンはシンガポールの象徴的な観光スポットであり、ライオンの頭と魚の体を持つユニークな像。観光ガイドや写真などで頻繁に見かけるため、観光客は特別な感動を期待するが、実際の大きさや印象が想像と異なることが多いことや歴史文化よりも商業的要素を感じさせてしまう事からか、がっかりスポットとして見なされてしまっている。

国立博物館には日本人訪問者も多いのだろう。日本語で案内してくれるガイドツアーがあって参加してみた。

しかし, 彼ら日本人博物館員は肩身が狭そうに感じた。

シンガポールは東南アジアの中でもWWIIにおける日本軍の占領を最も否定的に捉えている国である。

他の国では植民地の解放を看板に掲げていたという点からポジティブとは言えないものの, 複合的に考察しているところも多い。

しかし, ここの博物館では国の歴史で最も暗黒の時代として明確に捉えられていた。

これには当時にプラナカンを中心とした華僑を虐殺した事件によるところが大きいだろう。

プラナカン勢力は支配者側の英国人がマレー人を支配するにあたって実働部隊として重用してきた。(分断統治

そしてマレーシア独立時にも華僑があまりにも多いせいで, 一つの国として切り離されてしまったのである。

英雄リークアンユーもプラナカン家系であったが, 彼は立場上主要民族であるマレー人・華人・インド人の統合を叫ぶ必要があり, その出自をある時点まで公にはしなかったと言われている。

しかしながら, シンガポール華僑虐殺の元凶とされ非難されるべき日本軍の辻政信が戦争犯罪者として裁かれる事なく, 戦後ものうのうと生きていたのは歴史の皮肉としか言いようがない。

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戦前・戦中の日本人街の様子が分かる写真も展示されていた。マレーシアと同様でやはりからゆきさんを中心に構成されている。

シンガポールには彼女達の墓も多く残されている。

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そして日本へ

ベトナムのホーチミンを出発して早2週間強。遂に帰国する時間が近くなってきた。

シンガポールもオーチャードなどを中心にいくつか見てきたが, なんというか, つまらない!

あまりにも近代化しすぎてしまっているのだ。行くところ行くところが, 観光客とか買い物客ばかりで地元の文化を感じる事もない。下町的な雰囲気とかカオス感もないのが, 物足りなく感じてしまうのだ。おそらく今までの旅でアジアにどっぷり浸かり過ぎてしまったのであろう。

あぁここには二度と自ら来ることはないだろうなと思いながら帰途につくのであった。

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しかし, 最後に面白い光景が見られた。

空港で席が沢山空いているにも関わらず, 何故か人が床に寝ているのである。

あぁここもアジアの一部なんだな!と思い, 何故かほっと安心して飛行機に乗り込むのであった。。。