まだ旅行会社のツアーや家族旅行でしか海外に行った事がなかった20代前半頃、初めて自分達だけでホテルや移動手段などを手配するベトナム縦断旅行に出た。
今でこそバスや鉄道・船を使って移動するのも好きなのだが, まだまだ旅の経験もなかったこの頃, ベトナムを回る航空券を手に持って, 友達と一緒に北部から中部、南部へと飛ぶ旅程で旅をした。
手配したフライトチケットは日本からハノイでベトナムに入国し, ハノイからフエ, ダナンからホーチミン, そしてホーチミンから出国するルートの航空券だ。
確かゴールデンウィークの頃だっただろうか, ベトナム航空の機体で日本から北部の首都ハノイに渡った。

ホーチミンがベトナム経済の中心地とすればハノイは格式ある首都として文化の中心地といったところだろうか。
街の様子はまだまだ下町らしさをかなり残していて, 先進性はあまり感じられないが, その代わりにベトナムらしさをよく残していて旅行者としては居心地が良い街だ。
泊ったホテルも問屋街地区に立地していて庶民的な場所であった。
この頃は海外にいる事自体に真新しさを感じていて, まだまだツアー旅行や観光地旅行への興味が旺盛。
翌日ハロン湾へ行くために街角の旅行代理店でツアーの予約をする。
そして街中をブラブラ・・・





ハノイ名物料理のブンチャー。
日本でいうところのつけ麺だが米粉でできた麺は細くてもちもち。
つけ汁も合わせの葉っぱも野菜盛りだくさん。
春巻きもサイドメニューで足して食したがめちゃめちゃ美味しいかった。
レストランは地元人が集まっているような小さな空間に沢山の人が肩を並べるスタイルだが地元で愛されるだけある美味しさ。


ベトナムの路地裏では過剰な数の電線とノンラーと呼ばれるベトナム式傘の物売りが良い味を出していて, これぞ亜細亜の路地裏といったところだ。

バイクが所狭しと並んでいるのもベトナムらしい光景。
通勤時間帯には雨合羽やマスクをしながら走っている人達で溢れる。
こういった路地は生活感に溢れていて知的好奇心がくすぐられる場所だ。
思えばこの旅以降から自分が本格的に旅に夢中となった転換点であったと思う。






ハノイはホーチミンのような繁華街の雰囲気はないものの若者が多い国だけあって中心部のレストランでは路上にまで席と机が並べられて非常に活気のある街だった。
夜ごはんはベトナムの代表料理フォー。
暖かいし栄養ありそうなヘルシー食が嬉しい。


翌日はおそらくこの街で最も定番であろうツアーバスでハロン湾ツアーに参加。
バスは観光用だけあってガイド付きの快適なものであった。
行く途中にはトイレ休憩があるのだが, そこで障がい者が製作する絵を購入する事ができた。こういった工房で観光客から収入を得ながら雇用を創出しているようだ。


郊外まで行くとベトナムの景色は日本によく似た田園風景であることが分かる。


ハロンに到着。
ほとんどが観光用の客船と思われる沢山の船が停泊している。


船の中で昼食をとった。



乗船すると最初はお昼ご飯であった。
それからしばらくして気付くと眼前には壮大な光景が。



裾野がほとんどない崖を四方に配する岩山の数々
無数の奇岩による独特の地形は額縁に入れたくなるような雄大な景色だ。
快晴だったこの日の天気によく合っている。
周遊していると浮き桟橋に到着して降ろされた。
どうやらここでは自分で漕ぐ小型の船に乗れるようだ。


追加料金を払って小型ボートに乗船。
大型船が入れないような洞窟を通って入り江へ自分の手で漕いでいく。





洞窟を抜けると四方を崖に囲まれた場所に出た。
本当にここの地形は様々で面白い。










ベトナムは鍾乳洞王国だ。中部には世界最大の洞窟もある。
その大きさは50階建てのビルがすっぽり入ってしまうほどだそうな。
ここハロン湾も石灰岩台地の一角なのだ。
中国の名勝として有名な桂林ともつながっているし, だから石灰岩でできた鍾乳洞も多い。


いずれにせよインドシナ北部は洞窟がやたらめったら多い。
ラオス北部で川を旅した時もよくそういうような場所を見かけた。
クレイジージャーニーにも出演した洞窟探検家の吉田勝次はベトナム南部でアジア最大級の火山洞窟を発見したが, ラオス北部でも重点的に探検活動を実施していたそうだ。
そういえばタイで洞窟に閉じ込められたサッカークラブの少年達もこの辺りのエリアである。大理石の語源となった中国の大理も中国南西部に位置しているため近いのだ。
以降の旅ではあまり自然風景をわざわざ見に行く事が少なくなったため, この日のツアーはインドシナの自然の奥深さを感じて満足できるものであった。