ハノイからベトナム中部のフエへ飛行機で移動。
この場所はベトナムの古都として旧王宮を構える言わば日本でいうところの京都のような場所だ。そういった土地だけに寺院も沢山ある。
腹ごしらえをしてから観光に出かける。
ここではフエ料理と呼ばれる上品で独特の食文化が育まれている。
今回はバインベオという一口サイズの小皿に米粉とタピオカ粉で出来た生地の蒸し餅にエビを包んで食べる。


一皿一皿が一口サイズとなっている。食事というよりもおやつ感覚に近いと思ったが、期待を裏切らずの美味。
小皿を載せる大皿が竹製なのもベトナムらしくて嬉しいところだ。


フエの王宮へ行く前に寺院へと訪れた。


中国っぽさと東南アジアっぽさが混じったような雰囲気の建築でベトナムらしい。
王宮へと移動。










フエは1945年8月に大戦終結直後のベトナム8月革命でフエの皇帝が退位するまで政治の中心地であったベトナム史において重要な場所であり世界遺産にも登録されている。
昼間は王宮や寺院など歴史的地区を見て回り, 夜はナイトマーケットなど街の中心部をブラブラする。
古都と言っても町の規模は小さく歩いて見て回れる手軽さ。


翌日はフエからダナンを超えてホイアンへバス移動する。
ツーリストバスを使用したためローカルバスより値が張ったものの, 途中途中にある見物スポットに寄ってくれるのは嬉しいところ。


途中で寄った田舎の村の古い橋。ベトナムらしい雰囲気の可愛さがある。




何よりフエとダナンの間には難所として有名なハイヴァン峠が横たわっている。北ベトナムと南ベトナムの境界とも言われ, かつては大越とチャンパ王国の境界となった軍事戦略的に重要な峠なのである。

ゆえにかつての軍事拠点として軍事施設の遺構も残されていた。
その当時は特段の説明もなかったため後から知ったのであるが,
大戦中には日本軍の監視所として利用され, ベトナム8月革命後にはフランスを相手とした独立戦争の激戦地となった。そしてベトナム戦争では米軍のトーチカとなったのである。
この峠はいかにこの国が激戦の中を生き抜いてきたかを物語る場所でもあると思えた。
今ではハイヴァントンネルが出来ているため難なく通過する事ができる。トンネル工事には資金面などで日本も協力をしたそうだ。
そのため, かつては旅人や軍人達に立ちはだかった難所も今では軽々と越えられる。
とはいえ, こうして旧道を走っていると海とダナンを見下ろす絶景を見られることにも気付かされる。かつての難所も今では観光スポットとして訪れる価値のある場所としてみなされ多くの観光客を集める場所になっているようだ。


中部地方で最も大きいダナンの街中心部は通り過ぎて、町郊外にある五行山に立ち寄り。


ちょっとしたハイキングどころか、結構大変なトレッキングになったが、小さな山の中に仏像や洞窟や寺院などが沢山ある。


山からの眺め。
洞窟の中の空間はかなり広くなっている。




ホイアンに到着。この街はフエの外港として栄え, 鎖国が始まるまでは日本人街も形成されていたと伝えられる。
徳川政権が鎖国を完成させるまでは日本の大航海時代(朱印船貿易)を支えた拠点となっていたのだ。
何より有名なのが日本橋との異名を持つ遠来橋だ。




まぁ日本橋と言いつつ, 中国の建築様式がかなり入っている気はするが・・・
ホイアンは日本人街と同時に中国人街としても有名な街なのだ。
この街の名物グルメにカオラウというものがあるが, これは角屋七郎兵衛という松阪(伊勢)出身の日本人が持ち込んだ伊勢うどんが原型という説もある。
この橋を通って街へ入ろうとすると入場料をとられるのだが, 他の細い路地から入ろうとすると必要なかったり, その辺りルールが徹底されずなぁなぁで運用されているのが何ともアジアらしい!
(日本人にとっては公平性の観点から滅茶滅茶気になってしまう運用形態だ)


夕暮れ時から日没までホイアンの街で様子が変わっていく姿が美しい。
どんどんと提灯に光が灯っていく。





ナイトマーケットは多くの観光客で賑わっていた。
そんな中で目立っていたのはベトナム人カップルだ。
結婚式に使うブライダルフォトを撮影しているのだ。
この後に行くホーチミンで聞いたところ地元の女の子にとってホイアンは憧れの街だそうで結婚式写真を撮りに行く場所としても有名だそう。




夜には日本橋も幻想的にライトアップされていた。
何か少し色がどぎつい気もするが・・・

