近頃虎狼の血やこの世界の片隅にの舞台となり近年話題になった広島県呉市。
ここはかつては戦艦大和の造船所であった海軍工廠のあった地として知られた。
またお隣の江田島にもかつての海軍兵学校がありイギリスやアメリカのものと並んで世界三大海軍兵学校と称された。



広島球場を横目に新幹線で広島駅へ到着。
駅のホームでは海外からの観光客らしき人達が一斉に新幹線の写真を撮影する。
Hiroshimaは世界的に知名度も高く原爆関連施設や日本三景の宮島があるため訪れる外国人が多いのだろう。
在来線の呉線に乗り換えて呉駅へ向かう。


呉までは広島湾沿いに走るため景色の良い区間が多い。
呉に近づくと造船所群も臨める。
かつて戦艦大和を建造していた頃は電車内から見られないよう車窓が板で覆われていたのだそうだ。
当時はそれだけの国家機密だったということだろう。
造船の島だけあって呉駅前にはスクリューのモニュメント。


標識に従って大和ミュージアムへ向かうと何故かショッピングモールの中を通過する事になる。
店の中にも標識があるのでどうやらこれが正式なルートのようだ。
店を出ると目の前には大きな博物館の建物が道路に面して二つあり, 一方の前には巨大な潜水艦が展示されている。
左が大和ミュージアム(海事博物館)であり右が海上自衛隊呉史料館である。


チケットを購入して博物館に入るといきなり戦艦大和の1/10模型が。
この博物館の象徴である。
建物内にはこの巨大な模型を中心に建造当時の時代背景が理解できる展示がされている。
例えば下記の展示は第二次世界大戦より更に昔の石炭焚きの様子。
かつては蒸気機関車のように船も石炭を燃料にして海上を移動していたが, 固体燃料の取扱いや効率性の問題から第二次世界大戦の頃には重油焚きに変更された。
国内で沢山産出していた石炭ではなくなったため日本を燃料を海外に求めざるを得なくなったのだ。
これは欧米列強による石油禁輸措置後の日本の南方侵攻の大きな要因となった。

他にも戦闘機などの展示物も。
近年では沈没した戦艦大和の海底調査が実施されていて沈没した大和の一部を再現した特別展示も行われていた。

また興味深かったのは戦後の広島県に与えた影響である。
海軍工廠は当然ながら戦後その役目を終えたが, 当時超エリートも集まった海軍工廠の技術者, あるいは戦前に下請けしていた呉市周辺の企業では彼らの培った技術力が広島県の戦後復興において大いに活躍したそうだ。


特に戦後の呉の造船所にて活躍したドクター合理化こと真藤恒はアメリカ式合理主義と旧海軍工廠の技術を合わせた革新的なブロック工法により世界中の造船業を席捲し, 造船業は戦後急成長した日本を代表する花形産業となった。
彼は戦争直後のアメリカの造船企業の呉造船所そして石川島播磨重工業ことIHIにて活躍した。


また原爆からの復興ではマツダの三輪自動車もその象徴である。
戦時中は海軍の指定工場として軍需物資を供給したが, その後は自動車産業に進出して三輪自動車, そしてロータリーエンジンの開発成功により世界的に名をあげた。
売り上げ台数こそ他の日系メーカーと比べて少ないが, 今でもエンジン開発技術において高い評価を得ており稀有な地位を有するモーターカンパニーである。