【魅惑のプラナカン】インドシナ・マレー半島縦横断その5:プーケットを散策

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プーケットに到着! 

前日のバス移動も一泊して疲れは解消。この日はプーケット島を観光。

パトンビーチからプーケットタウンに出ているバスに乗車。

乗り場がよく分からないのだが, パトンビーチをバングラ通りから南に10分ほど歩いたところにあるバスが複数台停車しているのが発着場だ。

自分はそこまで歩いていったのだが, 出発してからパトンビーチ沿いに道を抜けるまではもの凄くゆっくりと進んでいき, ところどころで待っていた地元の人がどんどん乗ってくる。

(ゆっくりとはいえ, バスが止まらないため乗客は小走りで駆け乗る!)

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そのためバングラロードのところなど, 好きな場所でバスを待ち, 来たら飛び乗れば良いのだ。地元の人はわざわざ停車場までいかずに道で待っている人が多かった。

運賃も確か20バーツ程度の格安だったはず。

ビーチ沿いを過ぎると速度を速めるが, それでも一般の車やバイクより圧倒的に遅いため, 何かと時間がかかってしまい, やっと着いた頃には1時間以上は過ぎていただろうか。

バスターミナル1を過ぎて, プーケットタウン中心部のラウンダバウトで降ろされる。

この場所からはもう一つ公共ソンテウが走っており, バスターミナル2へ向かう事もできる。

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 朝から何も食べていなかったため, 降りた目の前にあったご飯やで食事。

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プラナカン文化

下記写真の奥へとどんどん進んでいくと, 街並みがすごくお洒落でカラフルな事に気づく。家の幅は長くないのだが, それぞれが優雅にペイントされている。

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どこかで見たことのあるような光景だと思った。

あれはどこだったかとよくよく考えると, 以前に訪れた事のあるマレーシアのマラッカの街並みである事を思い出した。

石造りのカラフルな建物が並んでいるのは植民地時代において移住してきた華人(ババ)とマレー人(ニョニャ)家庭で育まれたプラナカン文化なのだ。

マラッカ海峡の入り口にあたるプーケット島は場所柄, 東洋やインドや欧州などからの交易品が沢山行きかい, 目の肥えたプラナカンにより集められた調度品が家の中に揃っているのだ。 

当時の中国は女性の海外渡航を禁止していたため, ババと呼ばれる華人男性とニョニャと呼ばれる現地マレー人女性と結婚し, 多くのハーフの子供ができる。 

このプラナカン文化の象徴がマラッカなのだが, プーケットの街並みも非常に似た特徴を持っている。

夜になると下記写真のように非常に美しく飾られている。ただビーチ沿いとは違って, あまり観光客向けの商店等はプーケットタウンには多くないのが特徴でもある。

あくまでビーチリゾートではなく, 地元の人達の街という感じだろうか。プーケットはナイトタイムエコノミーが発達しているため, こういった側面があるのも, それはそれで良いのだが, ポテンシャルとしては観光客をもっと集める事のできる場所だという感じもしている。

近年はスマトラ地震での津波被害による影響もあったためか, プラナカンコンベンションへプーケットから参加するなど文化観光にも力を入れ始めているようだ。

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プラナカンの家柄は大抵植民地政府と結びつき, 英国人と現地マレー人の間に入る富裕層階級となったそうだ。よって, プラナカン家庭の邸宅は非常に豪華で当時の貴重な調度品などが飾られている。

 分断統治

ただし, 植民地側と宗主国の関係を考えれば, このような(一部の優遇された少数派が多数派を支配する)統治方法は少なからず禍根を残す。あえて現地が内部対立するように仕組むやり方は宗主国側から見て非常にコントロールしやすいものである一方, 独立から長年経過した今でもその対立関係が続くため, 現代に多くの問題を残している。

例えを挙げれば, 華人とマレー人だけに留まらず, ミャンマーのインド人や山岳少数民族とビルマ人の関係, インドのイスラムとヒンドュー教徒などきりがない。

イギリスではないが悲劇の最たるものは, ベルギーが支配したコンゴにおけるフツ族とツチ族の関係はルワンダ紛争として大虐殺をもたらした。

分断統治と呼ばれるこのようなやり方は, マイノリティに特権を与えて, 彼らに現地人を支配さえる事でイギリスに直接の反感が向かわないように仕向けるものであった。

シンガポールを開発独裁により屈指の先進国に押し上げた偉人リークアンユーもプラナカン家系出身であるが, 彼も(マレー人を気にかけてか)公言することは憚っていたほどである。

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華僑の秘密結社

プーケットに移住してきた華僑達は福建省出身者が多かったようだが, 故郷の街毎に秘密結社を組成していたそうだ。これはこの島の主要産業であるスズ鉱山に関する利権や労働者が生活するための物資, あるいは娯楽関連の利権を奪い合うための組織でもあり, マフィアの一種とも考えられる。

(当時はアヘン窟にてこれを吸う事が多くみられたそうだ)

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そういえばマフィアというと現代のプーケットのジェットスキー貸し出し業者の元締めはマフィアであるという話を聞いた事がある。レンタルするときにあらかじめ傷が付いていたり, 壊れやすくなっているものを貸し出され, 少しぶつけたりするだけで多額の費用を請求されるという話はインターネット上にゴロゴロ転がっている。

ジェットスキーだけは借りないようにご注意を。

プーケットタウンぶらぶら

プーケットタウンには小さな市場もあった。 といっても人でごった返すような場所ではなく, 非常にローカルな雰囲気の場所でまったりぶらぶらできる。

観光客慣れしすぎたビーチリゾートにつかれてしまった人はプーケットタウンに来ると良いだろう。

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プーケットにおいて有名なカフェであるOLD PHUKET COFFEE。

レトロな建物と内装でフォトジェニックな一服を味わう事ができる。レトロな自転車や扇風機, 時計, モノクロ写真など考えつくされたコーヒー店で大変人気があるそうだ。

そういえばプーケットタウンではタイに多いはずのStarbucksやCafe Amazonは見かけなかった。

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プーケットのナイトタイムエコノミー

プーケットのビーチはすごい。

日本の歌舞伎町や大阪の道頓堀界隈、上海・香港・バンコクやニューヨークのタイムズスクエアやロンドンのピカデリーサーカスなど世界中に有名な繁華街は沢山あるが, その密度という意味ではプーケットが最強なのではないかと思った。

日本でも最近になりナイトタイムエコノミー議員連盟なるものが結成されて, 夜間にいかに外貨を稼ぐかが重要視されるようになってきたが, プーケットは深夜まで遊んでもらうための仕組みがあらゆるところに散らばっていて全く飽きさせない。極端な話としてお店に入らずに通りをブラブラしているだけでも十分に楽しんでいられるのだ。

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夜中まで車も人もいっぱい。

繁華街の入り口。欧米人の20代の若者がタクシーのドライバーと料金で揉めている場に遭遇した。観光客価格がまかり通るこういったビーチリゾートではそうした料金トラブルは珍しくないのだろう。

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ゲームセンターも日本とは違ってバーチャルリアリティーを駆使した最新のゲームが並んでいる。傍からだと宙に向かって必死にプレイヤーが動作しているので滑稽な様子に思えるので見ていて面白い。 

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夕ご飯は下写真の右側に店を構えるTV備え付きの奇麗にライトアップされたお店に入る・・・

ではなく左のボロイ見た目の家族経営のレストランに入る!

ギラギラとネオン輝く人混みよりもこうした家庭的な居場所の方が落ち着いていて自分には合っていると感じるのであった。

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