マダムUAEライフhttps://madam-uae.comUAE(アラブ首長国連邦)の情報をのんびり更新中!Sat, 30 May 2026 22:27:31 +0000jahourly1https://madam-uae.com/wp-content/uploads/2023/09/cropped-IMG_5908のコピー-32x32.pngマダムUAEライフhttps://madam-uae.com3232 【雨のボゴール】インドネシア横断旅その十二:ジャワ島ボゴール編https://madam-uae.com/%e3%80%90%e9%9b%a8%e3%81%ae%e3%83%9c%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%e3%81%9d%e3%81%ae%e5%8d%81%e4%ba%8c%ef%bc%9a/Sat, 30 May 2026 22:27:29 +0000https://madam-uae.com/?p=11362前日に下見しておいたジャカルタのコタ駅から郊外のボゴールという町を訪れる。

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乗車したのはこちらの日本の鉄道のような列車。インドネシアでは実際に日本の中古車輛がよく走っている。

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電光掲示板に表示されたボゴール行きの列車に乗車して向かう。

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車内はけっこう空いていた。平日の昼間ということもあるのだろう。

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ボゴール駅へと到着。線路の上を渡って向こう側のホームへと移動するシステム。

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ごちゃごちゃしているがお洒落な雰囲気もあって良い駅だ。

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乾季でも雨が多くて『雨の街』と呼ばれるボゴール。そのせいか植物園や農科大学とうが立地する。

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降りてみると結構人が沢山いた。

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カフェのドリンクで水分補給していく。インドネシアでもタピオカミルクティーは人気のようだ。

こちらの歩道橋を渡る。歩道橋に屋根があるのが雨の街らしいところ。

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渡った先には細い歩道に屋台が。

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駐車場のようなところへ出てきたのでその周りでバイタクを探す。

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気になったお店の場所を見せて連れて行ってもらうことにした。流石植物園があるだけあって背の高い木が道の両脇にそびえたつ。

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お店に到着。駐車場で車がひっきりなしに出入りするところを見ると人気店のようだ。

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Lemongrass Cafeという場所。二階建ての建物の脇が入口へと繋がっている。

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店内に入ると、そこかしこを植物で飾り付けされた店内。癒しの自然カフェである。インスタ映えスポットとして有名だそうだ。

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階段も全面的に飾り付けられている。二階の席へと通された。

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こちらのワンタン麺とレモンティーを注文。食事の色合いもいい感じで食欲をそそる盛り付けだ。

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クリスマスのような雰囲気で彩られた店内。

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植物の街だけあって様々な花が飾られる。

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さて配車アプリのグラブで確保したバイタクに乗り移動してやってきたのはボゴール植物園。

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かつては日本人も園長を務めた歴史のある東洋最大規模の植物園である。広大な敷地を持つ。

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植物園からの帰りはこちらのミニバスで。こういうのがここでは庶民の足のようだ。

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行きと同様に電車でジャカルタまで帰る。夕食はラーメン。翌日のバンドゥン行きの鉄道駅近辺で探してジャカルタモナス近くのCity M hotelに宿泊するのであった。

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【ジャカルタのスラム街】インドネシア横断旅その十一:ジャワ島ジャカルタ編https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%82%b8%e3%83%a3%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%82%bf%e3%81%ae%e3%82%b9%e3%83%a9%e3%83%a0%e8%a1%97%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%e3%81%9d/Fri, 29 May 2026 14:02:07 +0000https://madam-uae.com/?p=11360前回のインドネシア横断旅スマトラ縦断編の続きとしてジャワ島を横断してジャカルタからバリを目指す。前回はジャカルタに到着してから一旦中断して戻ったのだが、横断旅を再開するために再びやってきたのはスカルノハッタ国際空港

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インスタ映えしそうな植物に飾られた掲示。スカルノハッタ国際空港のターミナル3は新しく奇麗に整備されていた。

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寺院っぽい感じのものが一緒に置かれている。こちらは何かの衣装だろうか。

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カフェで喉を潤す。インドネシアでもタピオカミルクティーが流行っているようだ。

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空港の外。空港から市内まで公共バスがあるかと期待していたが何も見つからない。配車アプリのグラブで行こうとするものの、ドライバーがなかなか捕まえられなかった。

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一時間以上かけてやっとドライバーを捕まえて所定の待ち合わせ場所で合流し、ジャカルタ市内へと向かう。

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知り合いのところへ少し寄ってから夜ご飯へ。

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中華系のコタ地区にあるこちらの『俺の餃子』というお店へ。

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日本語メニューもあり日本人からも人気店のようだ。翌朝はホテルで朝食ブッフェをしてから海沿いの海洋博物館へと行ってみることとした。

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古い建物の上層階にあったコタのFave Hotel LTC Glodokに宿泊。

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海洋博物館ではローカルの子供が遊んでおり、まったりとした雰囲気だ。

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インドネシア西部のヌサトゥンガラには捕鯨など伝統的な海洋文化が根強く残っている。

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インドネシアの歴史に関する展示。宗教的には仏教やアラブ人によるイスラム教、植民地時代のキリスト教、バリ島を中心としたヒンドゥー教など様々な影響を受けている。

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太平洋戦争時の日本軍の展示もあった。

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英語や日本語のポスター。大航海時代もあれば・・

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それ以前のアラブによるダウ船貿易の時代展示もある。

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出入り口では猫が昼寝中。さて、海洋博物館を出て更に海の方へと向かう。

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道沿いにはかなり水が汚れている場所もあった。そして海沿いへ。

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川沿いの横の道はきちんと整備されていない。

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この歩行者用に整備されているわけではない橋を渡ると下町地区だ。ここの橋で子供が沢山遊んでいた。

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手すりのない橋をなんとか渡って下町地区へと入っていく。北ジャカルタはスラム街と呼ばれることもある港町だ。岸には漁船などが多数停泊している。

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住居と住居の間の路地を通って中へと入っていく。

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街中には何故か色々吊られている。停車バイクが多数。

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モスクの尖塔、ミナレットがみえてきた。人力車も止めてある。

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街中には屋台も出ている。

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狭い路地の上空を通る電線の下で干された洗濯物、屋台、子供、バイク、動物たち。

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どこの路地もいい味を出している。

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建築現場の足場がめちゃめちゃ不安だ。

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謎の移動式メリーゴーランドがあった。インドネシアの祭りだと子供用の移動式遊具がよく用いられる。

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子供が裸足で遊んでいる。

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ローカルな生活感はかなりあるが危険は感じることはない。平和な下町である。

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エンジンのついていないロープをたぐることで対岸へと渡る船で川を渡る。値段は覚えていないが非常に安かった。

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建ち並ぶバラック小屋。

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ジャカルタは近年の異常豪雨により水害が頻繁に発生し、首都の交通網も渋滞が慢性化している。そのため人口が集中するジャワ島ではカリマンタン島(ボルネオ島)のバリクパパン近くへの首都移転が計画されている。

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街中心部へと戻っていく。

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コタ地区のちょっとした観光スポットであるインタン橋。オランダ東インド会社によって造られた跳ね橋だ。観光客というかインスタ映え的な感じで写真を撮っているものはいた。

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ジャカルタの最も人が集まるファタヒラ広場。バタビアと呼ばれていた頃のオランダ統治時代の建物が残る。

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治安の悪いジャカルタにあってここの広場は若い女性も沢山いる、安心して歩ける場所だ。

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写真を撮るようなスポットも沢山ある。ただし、これらは何かしらチップを払わなければならないルール。

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こちらは有名なバタヴィアカフェ。ステージでは生ライブ演奏。

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室内の空間もお洒落。

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超有名店だけあって有名人も沢山訪れているようだ。

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ファタヒラ広場には大道芸人も多い。

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フォトスポットが多数ある。治安のあまりよくないジャカルタで家族連れが割と安心して屋外で遊べる場所も珍しい。

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翌日に使う予定の駅へと向かう。

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インドネシアの鉄道駅には駅前ロータリーなどはないのが特徴だ。

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日本人駐在員の多いジャカルタには日本食も充実している。ロッテデパートの日本食コーナー。

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【青函連絡船にのり大都会へ】インドネシア横断旅:前編その十:ジャカルタhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e9%9d%92%e5%87%bd%e9%80%a3%e7%b5%a1%e8%88%b9%e3%81%ab%e3%81%ae%e3%82%8a%e5%a4%a7%e9%83%bd%e4%bc%9a%e3%81%b8%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad/Thu, 07 May 2026 13:36:07 +0000https://madam-uae.com/?p=11178遂に長かったスマトラ島を抜けてジャワ島にやって行く日が来た。バンダアチェから始まり長距離バスによってロクスマウェ・メダン・ブラスタギ・パラッパ・ブキティンギ・パレンバン・そしてバンダルランプンとやってきたが今日は首都ジャカルタへと行く日である。

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結局インドネシア横断旅と称してバリ島や欲を見てチモール島を目指すと豪語した今回の旅も思いのほかスマトラ島が大きくて時間がかかってしまいジャカルタで一旦旅は終わりである。とはいえジャカルタと言えば人口過密の超巨大都市である。ゆったりしたスマトラ島とは異なり犯罪の匂いもする場所だから気を引き締めなければならない。 

先ずバンダルランプンからバスで郊外のバカウニ港へ行く。ここからジャワ島行きのフェリーが発着しているのだ。

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前日ホテルでバウカニ港への行き方をロビーで確認していたのだが最初きいたときは150,000ルピアで車を出してくれると聞いていたのに、次に確認で聞いた時には200,000ルピアに、その次には500,000ルピアにまで上がったのでやめにした。行き方はネット上で検索しても出てこないがとりあえずバスターミナルまで行けば何とかなるだろうと信じていくこととした。

14,000ルピアのバイタクでやってきたバンダルランプンのラジャバサバスターミナルはなかなか大きな施設。これまでこの島で訪れた中では一番しっかりした作りである。ターミナル入口で降ろされたらバスを探すのに相当時間かかっただろうが, ちゃんとターミナル内の目的のバスのところまで送って貰えて助かった。

バカウニ港行きは頻繁に発着しているようで, 同時に何台かが待機していて先に出るバスから順番に乗客が乗せられていく。出発時刻は7時10分頃。

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最初料金が分からずぼったくられるのではないかと警戒していたのだがバスの中にはデカデカと固定料金が掲示されていた。30,000ルピアなので日本円にして200円程である。昨夜宿泊したホテルでも送迎サービスをやっているというので値段を確認したところ最終的に提示された500,000ルピアとは大きな違いである。

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海沿いの道に沿って何事もないのどかな道のりを行く。しかし後で気づいたのだが, この場所先日発生したスンダ海峡地震の津波被害エリアに含まれていた。あまりに牧歌的な雰囲気に油断していたが, ここもまた災害と共に生きる地域だ。とはいえ道路から見える範囲では被害の様子は確認できずじまいであった。(今回は対岸のジャワ島側での被害が目立ったようだ)

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一部港近くでは高速道路も敷かれている。スマトラ縦貫高速道路というのを建設しているはずなのでその一環だろうか。今はごくわずかな区間に過ぎないが, おそらくバンダルランプンの街までいずれ延ばしてゆく計画だろう。ローカルバスで一般道を走るのには非常に時間がかかったが, 高速は流石に早い。この道の先には海が広がっている。

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バスはフェリーチケット売り場の真ん前に停車した。皆大きな荷物を抱えて中に入っていく。

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中へ入るとカウンターの前で6レーン程に分かれて列がなされている。自分も並び30分程経ってやっと自分の番が回ってきたかというところ。ところがカードは持っていないかと聞かれる。

いやそんなものはないぞと答えるとスタッフが代わりに買ってきてくれた。どうやら専用カードを購入してから並ばなければならなかったようだ。もう一度並びなおす手間を考えるとこの対応は有難い。カードは別にしてフェリー代は15,000ルピアであった。

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ちゃんとしたゲート式になっていて無賃乗船ができないようになっている。階段を上がり船へ向かっていく。

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途中のカープールは広大な敷地。これだけ多くの車が乗船待ちする事があるのもインドネシアで最も多くの人口を抱える二つの島を結ぶ航路ゆえだ。

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前方の大きな船が今回乗船するフェリーだ。あまり期待していなかったが見かけはなかなか格好良い。

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乗船客エリアへ入ると売店が。日本と同様船の中では相場よりも値段は高め。

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中には日本語で書かれた図面が掲示されている。この船が実は青函連絡船として日本で運航されていたフェリーである。外観などは塗装しなおしたのだろうが船の中にはところどころ日本語が残っている。下写真のドアノブ上に書かれているおすという字もその一つだ。

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冷房の効いた船内で横になれるスペースや椅子のあるエリアは乗船料とは別に客室料金(10,000ルピア)を徴収される。といっても70円程度だから多くの地元の人も利用している。

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船内では水着の美女が躍っている謎の映画が上映されていた。。。

外は流石に暑いが, 景色は雄大。この海峡ではこの船以外にも本州と四国を結んだ本四連絡船など多くの中古日本船が航行しているそうだ。

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対岸には二時間程度で到着。船着き場からは小山の斜面まで住宅が建てられている様子が見える。ジャワ島の人口密度の高さが感じられた。

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このメラク港からジャカルタまでは鉄道が走っている。といっても一日に数本だ。昼間の便には残念ながら間に合わなかったのでバスを探す。

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地元の人に付いていけばジャカルタ行きのバスへたどり着けるかと思い進んでいく。途中の大きな建物の中も通り過ぎて進み屋台通りのようなところも超えていくと・・

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アスファルト舗装もままならない雑なバスターミナルっぽい空き地に停まっていたバスに乗り込む。最初ジャカルタ行きかどうかよく分からなかったのは, ジャカルタ市内のどこのバスターミナル行きかで沢山種類が分かれているからであった。ジャカルタ周辺の地名もこの時点でよく分かっておらず, とにかくジャカルタにさえ辿り着けば良いので地元の人が沢山入っていくバスに乗り込む。バス料金は50,000ルピア(400円程)だった。

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途中の街のバスターミナルにも寄ってから高速道路でジャカルタを目指す。ここのバスターミナルでは物売りの兄ちゃんから400円でイヤホンを購入した。

ちゃんとした長距離の高速道路が整備されているのはジャワ島ならでは。スマトラ島ではせいぜい空港と街中を結ぶ程度のものであったのは対照的だ。面白いのは一度高速道路に入るとインターチェンジを降りて人を降ろすのではなく, 高速道路の途中で停車するのだ。降りた人は明らかに正規ルートではなかろうが高速道路の側壁と急な斜面を下って下道に入っていく。下の写真は分かりにくいがその様子である。バスの乗客が壁を乗り越えてゆく

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そして夕方頃にジャカルタへ到着である。バスターミナルや鉄道駅ではスリがたむろしているという情報があったので終点まで行かず直前のショッピングセンターで下車。そこでトイレ休憩してからバイクタクシーでジャカルタ中心部のホテルを目指す。値段は400円程度。ジャカルタでは知り合いと会う予定だったので近くのホテルをこの時予約した。

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ジャカルタの鉄道も日本の中古車輛が多い。平日の通勤時間帯だったので渋滞も激しい。バイクタクシーでなかったらスピードは半減しただろうと思う。とはいえバスターミナルは郊外の空港近くで中心部からは離れていたので向かっているうちにどんどん日が暮れていく。しかも途中でガソリンがなくなりかけて給油する。(ここでも給油待ちの行列が)

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なんやかんやあって約束の時間から大分遅れつつも無事にジャカルタのホテルへ辿り着いて友人と合流。日本人も含む外国人が多数居住するジャカルタならではの高級ホテルで食す久しぶりの日本食は最高だった。

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ジャカルタではこれまでの貧乏旅行から打って変わって4000円くらいの食事をしたり、バイタクが捕まらないので代わりのタクシーが700円くらいしたりと一転豪華な生活を送ってしまった。この後は空港までの鉄道が出るBNI駅までバイタクで移動して(15,000ルピア)鉄道で一時間ほどかけて空港へ移動して(70,000ルピア)帰国。待っている間にタイティー(25,000ルピア)やミートスープ(50,000ルピア)を買ったりしていたがこれらも少し割高だ。

これでこの旅も一旦おしまいである。バンダ・アチェから始まって長かった道のりを超え遂に首都ジャカルタまで辿り着いた。これまでの自分の旅の中では最も旅行者が行かないところを旅しただけに感慨も一塩である。とにかく無事に帰途に着けたことに, そして仲良くしてくれた途中で出会った人達に感謝したい。自分が今まで気にもかけていなかった土地に情に熱い人達が沢山いた事を発見できたのは大きな収穫である。いずれまた彼らとも再開してみたいものである。

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 終

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【スマトラ鉄道に乗って】インドネシア横断旅:前編その九:遂にスマトラ最後の町バンダルランプンへhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%82%b9%e3%83%9e%e3%83%88%e3%83%a9%e9%89%84%e9%81%93%e3%81%ab%e4%b9%97%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%9a/Wed, 06 May 2026 13:18:19 +0000https://madam-uae.com/?p=11176スマトラ北端のバンダアチェからバスによる長い道のりを経て遂に南部のパレンバンまで移動してきた。そして今回はスマトラ島で初めて本格的に鉄道を使って南端の都市バンダル・ランプンへ鉄道で移動だ。(メダンでも鉄道を使用したが郊外の空港と街の中心部を結ぶもので都市間の移動用ではなかった)

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8時半発の鉄道に乗るため朝8時頃にグラブタクシー(36,000ルピア)でパレンバン駅へ向かう。到着したとき小銭が足りない事に気付いたのでドライバーには待っていて貰い近くの売店でタバコを買って(36,000ルピア)お金を崩した。

そんな事をしていたら出発まじかの8時20分頃に。待合室に進むには係官のチェックが必要である。前日に発行してもらった紙を見せて中に入ろうとすると, チェックインを済ませて来いという。ここでは飛行機のように搭乗直前にチェックインするシステムであった。昨日買っておいたのはチケットそのものではないようで予約券を当日チケットに引き換えなければならないようだ。

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チェックインには機械ですぐに済んだので出発には余裕で間に合った。待合室は広く近代的な雰囲気である。アジアの駅では床に寝ている人をしばしばみかけるがそんな人達もここにはおらずアジア的光景に慣れ親しんだ自分には少々ショッキングであった。

更に駅のプラットフォームへ入っていくと謎のマスコットが鎮座する。そしてその奥にあるプラットフォーム横に列車が停車している。始点・終点となるターミナル駅の雰囲気はどこの国でも旅情を誘う。列車の上にはパンタグラフも電線もない。電車ではなくディーゼル列車だろう。

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 列車の中はボックスシート式である。今回は4人用のボックス席をインドネシア人の男一人と一緒に広々と使って座った。便利だったのが各ボックスの窓側にコンセントが備わっていた事。旅している間は携帯電話が情報源でホテル予約や位置情報確認など携帯が必需品だ。そのため盗難を警戒するのはもちろんだが, 電池の消耗が早いと電池切れが怖いところである。なので充電ができて電池の心配をする必要がないのはありがたい。しかもコンセントのタイプが日本と同じなのでそのまま使う事ができる。コンセントが日本式という事は日本が車輛を提供しているのかもしれない。実際ジャカルタでは日本の中古車輛が沢山走っている

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パレンバンも中心部は都市的空間だが, 少し郊外に行けば田園風景が直ぐに広がる。更に離れると農耕地というよりもありのままの自然といった様子だ。

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時折小さな町があり駅で停車する。当初は窓際に陣取りずっと外を眺めていたのだが, 車掌が回ってきて窓のカーテンを閉めろという。理由もわからず言われた通りにしていたが, 向かいのインドネシア人に理由を聞くとこの辺りで列車を見ると石を投げてくる子供達がいるのだそうだ。それで窓ガラスが割れて中に入ってくると危ないからカーテンを閉めるのだとか。

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とはいえカーテンを閉めるとかなり閉塞感がある。なので車掌が通り過ぎてしばらく経つと結局皆少しずつカーテンを開けて外を眺め始めるのだ。 自分も周りと同じように外を眺めていたのだが, 結局列車に向けて石を投げつけてくるような輩は見ずじまいであった。

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途中途中に結構大き目の駅も挟む。鉄道路線は国道から離れた山間部を走るのだが, この地域で中心となる町だろうか。このエリアで印象的だったのは, 建物の屋根だ。

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中部スマトラや北スマトラで見かけた特徴的な建物の屋根とはまた違った特徴が備わる建築である。スマトラ島の文化圏は屋根の建築で区別されるのかもしないなと思った。

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田園風景はなんとものどかな光景だ。途中には旅客列車よりも遥かに長い車両数を持つ貨物列車も見かけた。鉱山や油田の多いスマトラ島ではやはり貨物輸送が鉄道の中心となるようだ。

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この旅の出発直前にスマトラ島とジャワ島の間スンダ海峡にて地震があった。ニュースでは津波の被害により死者もかなり出ていると聞いていた。日本のニュースでは詳細はつかめておらず勿論状況によっては海峡を渡るのをやめる事も選択肢に入れていたのだが, 向かいのインドネシア人に被害状況を聞いてみると被害はあったがスマトラ島とジャワ島を結ぶフェリーは問題なく動いているのだそうだ。鉄道の終点であるバンダル・ランプンの街も被害はなかったそうだ。

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相変わらず続く特徴的な建築物。鉄道からだと少し高い位置から見下ろす形となるためジャングルの中にこういう建物があるとなかなか景色が映える。

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日没が近づいてきて, そろそろ終点のバンダル・ランプンに近くなると駅の間隔が狭まる。バンダル・ランプンはあまり知名度の高い街ではないが, 100万人以上の人口を抱える大きな町。スマトラ島ではメダン・パレンバンに次ぐ三番目の都市だ。

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18時15分到着予定だっただが, 日も暮れてすっかり暗くなった7時頃ついに終点に到着だ。名前はタンジュンカラン駅という。バンダル・ランプンは元々二つの街に分かれていたが, その一つがタンジュンカランという街だった名残である。

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 この街は特に観光するところもなさそうで, 近くのショッピングセンターでご飯を食べて床に着いた。

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【伝統家屋を見ながらバス飛び乗り】インドネシア横断旅:前編その八:そしてパレンバンで軍歌を聴くhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e4%bc%9d%e7%b5%b1%e5%ae%b6%e5%b1%8b%e3%82%92%e8%a6%8b%e3%81%aa%e3%81%8c%e3%82%89%e3%83%90%e3%82%b9%e9%a3%9b%e3%81%b3%e4%b9%97%e3%82%8a%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7/Mon, 04 May 2026 13:55:43 +0000https://madam-uae.com/?p=11174今回はブキティンギを出発してジャンビを経由しパレンバンを目指す。

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前日にチケットを買ったブキティンギのバスターミナルまでGOJEKでバイクタクシーを呼び向かう。出発時刻9時の15分前には着いていられるよう30分前には宿を出たのだが, バイクがなかなか来ずに結局着いたのが5分前ぐらいになってしまった。

バスターミナルに入るとヨアンダプリマ社のバスはあっちと言われたのでそのまま向かうと途中で止められて別の人がこっちへ来いというので降りて付いていった。しかし, これが全く関係ないチケットを売り込む客引きであった。

どうやらヨアンダプリマというのはバスを運営している会社で, そのバスを手配する代理店がバスターミナルには沢山あるようだ。いやチケットは既に持っているんだという事を伝えると放り出されてしまい, どこに行けば良いのか分からなくなったので急いで昨夜チケットを買った元の代理店へ戻るとバスが出発するところへ連れて行ってくれた。

しかし, なんとバスが既に出発したところだった。とりあえずそこにいたバス会社の人に事情を話をすると, バイクに乗せて追いかけてくれることになった。

バイクに飛び乗って走らせること5分程度だったろうか,途中でバスに追いつき乗せて貰い助かった

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ブキティンギのバスターミナルを出てしばらくはパダン方向へ向かう。この辺は鉄道も走っているようで線路を見かける。

最初バスがガラガラだったのでやけに人が少ないなと思っていたところ途中でパダン郊外のバスターミナルに止まり人が更に乗ってきた。

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ミナンカバウ文化の残るパダン地方は車窓を見ているのが楽しい。街並みの中に時折特徴的な屋根を持った建築物が結構な頻度で見られるから飽きないのだ。基本的にこの建築は観光用あるいは学校や役所など公共施設が多いようだが, 生活している家族がいるのであろう住居用とみられるものも中にはあった。

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もう一つ印象的だったのがこの地方の食文化。パダン料理としてインドネシア国内でも有名なのだが, レストランのシステムが独特。初めにあらかじめ盛り付けられた皿から好きな分だけとり, その種類と料理に応じて値段が決められるのだ。理解していなかった頃は値段も分からないので食べるのを躊躇していたのだが, 慣れると実物を見て適量とる事ができるので大変便利なシステムである事に気づいた。値段が不明瞭とはいえ飲み物50円、1食100-200円程度である。

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バスの車内は座席の横幅が結構広く一番後ろでリクライニングも自由に倒せたので快適だった。夜もぐっすりである。もちろん今では見慣れたインドネシア流バス後方の喫煙室も健在である。

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夜のトイレ休憩では売店が並んでいる区画があったので毎度のPoP MEを購入。夜行バスの休憩や船旅で食べるカップヌードルは不思議といつもの何倍も美味しく感じる。

前回同様で旅芸人にもまた遭遇した。バスは結構揺れるため寝つつも時折壁に頭をぶつける。

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ブキティンギを出て国道をずっと走ってきたが, 途中でそれてスマトラ島の中堅都市であるジャンビを翌朝に通過。国道を逸れてから少し道の舗装が雑になった気がする。バスの振動で頭をよくぶつけ気が付いたら大きなたんこぶができてしまっていた。インドネシアの中では一地方都市に過ぎないこの周辺で話されるマラッカ海峡言語はインドネシアの統一言語となっている。

ジャンビから更に走り, ついに9時頃予定より三時間早くパレンバンに到着した。

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このヨアンダプリマというバス会社はスマトラ中にバス網を張り巡らしているようだ。配車アプリのゴジェで100円程でパレンバン中心部に行きホテルを確保した。 ここはメダンに次ぐスマトラ第二の都市である。流石に街並みは都会的だ。

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パレンバンは大きな街。都心部に立地しており部屋のグレードの割に値段が安く済んだと喜んでいたら安い理由が夜に判明した。

ともかくホテルに荷物を置いてから先ずはパレンバン駅へ向かう。グラブタクシーを使用した。39,000ルピア。鉄道駅に向かった理由は、パレンバンから次の目的地であるスマトラ南部バンダル・ランプンへはバスでも勿論行けるだろうが鉄道も走っていると聞いていたからだ。

途中ではこの街のシンボルであるアンパン・ブリッジを渡る。

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鉄道駅ではこの前まで開催していたAsian Games 2018のペインティングが。またクリスマスの飾りつけも。

スマトラ島の鉄道網は3つに分けられる。メダンを中心とした北部・パダンを中心とした中部・そして南部である。北部と中部が都市の中心部と郊外を結ぶ鉄道なのに対して南部は大きな都市を結ぶ路線である。だから今回は鉄道を使ってみようと考えていたのだ。鉄道駅は川沿いでフェリー乗り場も併設されている。

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無事に明朝のチケットを購入して再びアンパン・ブリッジの袂に戻ってきた。この周辺には公園や博物館や市場があって市民や観光客が集まる場となっている。すると謎の体操集団に出くわした。ダンスサークルか何かだろうか。。。

何をしようかとブラブラ考えていると川沿いにたむろする船頭が話しかけてきた。話を聞くと船によるムシ川ツアーをやっているそうだ。値段が1,300円(200,000ルピア)程だったし, なんかよく分からなかったので最初断ったのだが, 結局やることが特になかったのとネットで調べたらこのツアーなかなか面白そうなので1,000円程(150,00ルピア)に値切ったうえで乗ることにした。

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川沿いには中小サイズの船が並ぶ他アジアでは定番の水上家屋が見られる。もう色んな場所で見てきたので驚くことはないが, 近くに小規模の造船所もあるところを見ると単なる貧しい水上スラムというわけでもなさそうだ。

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アンパン・ブリッジから離れていくほどに段々と工業的な景観になっていく。 日本でも川崎や四日市など工場夜景萌えが流行ったが, この町でもこういった川から見る工場見学が観光の一つとなっていて時折観光客を乗せた船とすれ違う。

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パレンバンのムシ川沿いは産業が発達していて船が頻繁に行き交っている。何より驚いたのは水上ガソリンスタンドがあった事だ。それだけ多くの船がこの川を航行していくという事だろう。

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ムシ川沿いの工場の景観は圧巻。巨大な肥料工場や製油所などが立ち並び数多くの荷揚げ用クレーンが立っている。ここにいるとインドネシアが後進国だという事も忘れてしまうほどだ。

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数キロメートル程行った先には中華様式の寺院がある。ここは観光スポットらしいのだが, 興味ないのでスルー。笑もう少し川をフラフラ見て回り戻る事にした。

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反対岸には浮遊式の水上家屋もあった。そしてアンパン・ブリッジに戻る。

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アンパン・ブリッジの袂には海軍施設もあった。ここは戦時中は日本軍に使われていたとか。

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そして公園の隣にあった博物館を訪問。入館料は20,000ルピア(154円程)。ここが中の展示はそうでもないのだが, ガイドが面白かった。

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ましろきくじのー

日本軍の軍歌を歌って見せたのだ。日本軍の教育を受けた叔父から日本語を少し習ったそうだ。他にも『とてた兵隊さんがやってきた』(名前の聞き違い・覚え違いがあるかもしれない)などいろいろ歌えるそうだ。しかもシンガポールの事を戦時中の呼び名である昭南島という言い方をしていた。ガイドの叔父が戦前の欧米石油メジャーが操業していた時代から油田開発に携わっており, 戦中は日本軍部隊のサポート(プルソ部隊といっていた)戦後はプルタミナに働いていたそうだ。

戦争時ここは空の神兵と謳われた落下傘部隊が降り立った町である。話を聞いてみると実際に降ってきた落下傘のほとんどは人形だったそうだ。ダミーを作らないと地上から狙い撃ちされるからだろう。

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その辺で捕まえたバイクタクシーに10,000ルピアで乗ってホテルに戻る。夜はショッピングセンターで近代的な食事。50,000ルピア(400円)と流石にこれまでと比べると高くついてしまった。

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ホテルに帰り出しておいた洗濯を受け取る。(52,000ルピア)寝ようとしていた真夜中頃にホテル中に大音量が響き渡り建物が揺れる。どうやらこのホテルにはディスコが備わっていて寝られなくなるから値段が安かったようだ。後で地元の人に聞いてみるとこの町では有名なクラブなんだそう。それでも長距離移動で疲れていたせいかいつの間にかぐっすりと寝付いていた。

  

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【日本軍トンネルをくぐった絶景】インドネシア横断旅:前編その七:ブキティンギhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e6%97%a5%e6%9c%ac%e8%bb%8d%e3%83%88%e3%83%b3%e3%83%8d%e3%83%ab%e3%82%92%e3%81%8f%e3%81%90%e3%81%a3%e3%81%9f%e7%b5%b6%e6%99%af%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2/Sun, 26 Apr 2026 10:23:00 +0000https://madam-uae.com/?p=11171遂にスマトラ中部のブキティンギへとやってきた。

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少し休んで外を歩くと街のメイン通りには豪華な歩道橋が建っている。後で分かったが, これは街の動物園の中にある施設だった。

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メイン通りから雰囲気のある路地裏を抜けていくと特徴的な屋根の家が。この建築様式はこの地域一帯の伝統的なものミナンカバウ文化と言われるものだ。路地ではちょっとおしゃれな落書きも発見した。

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ちょっと君の名は的な雰囲気もある階段を上がった通りは動物園に繋がっていた。道路に面した入り口から混雑していて観光客用の馬車の列がもできている。

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外国人客用は少し高めの値段設定だが, それでも150円程度の入場料である。

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やはりスマトラ島といえばスマトラトラ。中の動物園はそこまで大きくない。しかし動物展示だけでなく, 博物館遺構が展示されていてピクニックしている人も多い。 単純に動物を見る目的というよりも公園として市民の憩いの場になっている感じだ。

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美しいミナンカバウ様式の建築物が公園の中心となっていた。建物の内部は文化博物館となっていて昔の白黒写真や民族衣装等が展示されている。60,000ルピア。訪れている地元の人は王族の衣装を着て記念撮影にいそしんでいる。

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これまたミナンカバウ様式の門を抜けると最初に道路から見た歩道橋を渡れる。この上からだと町全体が見渡せる。背後に山が控えていて高原地帯の様相だ。

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歩道橋を渡った先にはオランダ統治時代の遺構であるコック要塞だ。といっても建物自体は大したものは残っておらず, ちょっと名前負けしている。

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ここの周りでは乗馬体験を楽しんでいる人たちが大勢いた。コック要塞側の出入り口から動物園を出て下町の路地を下っていくと, ちょうどゲストハウス前の通りに出てきた。

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一旦ホテルに戻り, 一休憩してから再び外出。こちらは商店街だ。田舎町だがSHARPLGなど海外企業の看板も。 

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奥には通路が狭いが更にローカルな市場もある。壁側の向こう側には広範囲に市場が広がっていたそうだが, 大火事で焼けてしまい今は閉鎖しているそうだ。

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上も市場の一角だが, 赤い屋根で統一されて赤い傘が吊るされていてお洒落な通りになっている。

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インドネシアにおける独立の英雄と言えばデビ夫人の旦那であるスカルノハッタの二人だ。ジャカルタにあるスカルノ・ハッタ国際空港の名前の由来である。そのうちの一人ハッタは故郷がブキティンギであり, 生家がハッタ博物館として残されている。

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そしてグラブのバイクタクシーで100円程払って, いよいよパノラマ公園へここが一番面白かった観光地だ。

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150円払って入場すると, いきなり絶景が目の前に広がる。更に日本軍トンネルの入り口を発見。

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でかでかとLobang Jepangと表示されている。LobangトンネルJepang日本を意味する。入口の前にたむろしているのは記念写真を撮る観光客と外国人相手にガイドをして生活の糧にする人達だ。彼らいわくこの中のキッチンでインドネシア人が殺されていたという話が伝わっているそうだ。(ただし最近の事実検証によりそういった説明文は撤去されたそう)

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トンネルの中は結構深い。降りていくのは良いのだが帰ってくるのは息が切れる。よくこんな深い場所を掘ったなと感心するのだが, 作業をしたのは駆り出された地元の労務者だそうです。なおインドネシアではロームシャとしてそのまま通じる。中はかなり広く相当な人数が動員されていたと思われる。

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トンネルを出た反対口には休憩所があったのでコーヒーを一杯飲む。近くにいたガイドの人と話をした。38歳でジャカルタに子供もいて時々会いに行くそうだが旦那とは離婚しているそうだ。旅行代理店に勤めていたので多少の日本語を介する。今は外国人相手にフリーのガイドをして稼いでいるそうだ。日本人も一日一人くらいくるそうだ。200円程度で売店で買ったタバコとコーヒーを勧めるとタバコは甘みのついたインドネシアのものしか吸わないそうだ。 この人が地元の逸話を紹介してくれた。

昔はロウムシャとして多くの人が亡くなったが, 今も日本人に一日一人インドネシア人が殺されているんだとか, トヨタさんやホンダさんやスズキさんに。。。(注:インドネシアでは交通事故で亡くなる人が多いというブラックジョーク)

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トンネルを通って入口に戻らず, 丘を越えていくルートで帰っていたところ途中に墓地があった。

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そして展望台からは渓谷の光景が。

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それからゴジェのバイクタクシー100円程でバスターミナルへ行ってパレンバンまでの長距離バスチケットを2500,000ルピア(1800円程)で購入した。夜中で暗かったため結構危なっかしい雰囲気もあったが, 問題なく購入できた。

ただし, どうやら実際に乗るバス会社はここの店とは別のようだ。夜はここしか開いていないのでしょうがないが, 昼間に直接バス会社で購入していればもっと安く済ませられただろう。

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この日は大晦日時計塔の前には多くのインドネシア人が集まってきている。地元の人はここの時計塔広場で年越しをするのが定番だそうだ。

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自分は周りと一緒に年越しまでしたかったが, 前日からの夜行バスの疲労と明日からまた夜行バスに乗らなければならないので早めに宿に戻って休むこととした。

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【皆でトラックを押してバス移動】インドネシア横断旅:前編その六:ブキティンギまでの悪路を行く旅https://madam-uae.com/%e3%80%90%e7%9a%86%e3%81%a7%e3%83%88%e3%83%a9%e3%83%83%e3%82%af%e3%82%92%e6%8a%bc%e3%81%97%e3%81%a6%e3%83%90%e3%82%b9%e7%a7%bb%e5%8b%95%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2/Sat, 18 Apr 2026 12:40:21 +0000https://madam-uae.com/?p=11168 今回はトバ湖畔の町パラッパから, 一気にスマトラ中部のブキティンギを目指す。

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パラッパの旅行代理店で購入したチケットはパラッパのバスターミナルまでの送迎付きである。350,000ルピアなので2,500円程度。うち700円ぐらいは仲介した旅行代理店の取り分だ。街中からバイクで10分程度であった。

バスターミナルはかなり広大だが, 土地の広さに見合わず中に停まっているバスは少ない。 f:id:snowm-blog:20190221205128j:plain

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到着した時は出発5分前頃の16時55分。代理店の前では既に乗客達が床に座ってバスを待っていてギリギリであった。年末なので逃したら次バスに乗れるのはいつになるか分からない。

代理店の中にはチケット表が掲示されている。ジャカルタ行きやバンドゥン行き超長距離バスもある。流石に腰がぶっ壊れそうである。またフライトチケットも扱っているようだ。

そして掲示板の前には立派なマリア像が置かれている。やはりキリスト教文化圏である。

隣の店舗ではミシン作業をしている。内職中だろうか。店舗の前で子供は伝統的な楽器なのだろうか, ミニ太鼓でリズムを奏でながら, 遊んでいる

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乗り込んだバスは下記のような大型のもの。ツーリストバスではなくローカルバスなので値段は安く, 乗るのもかなり年季の入ったバックパッカーらしき一人の老齢の白人を除いて全て地元の人達である。

パラッパからトバ湖周りに南下する道路は帰宅時間帯だったのだろうか結構交通量が多く,時折渋滞もしていてスムーズには進んでいなかった。こんな少数民族の住む山奥の辺境地でまさか渋滞と遭遇するとは思っていなかったので驚きであった。

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深夜に目を覚ますと夜11時を回っておりトイレ休憩の時間だった。いつの間にか教会よりもモスクが目立つ地域に入っている。夕食はインドネシアでよく売られているPoP MIEというカップ麺。この日まともにご飯を食べていなかったので, 久々の食事だ。値段は80円程度と安い。味もピリ辛だが, 日本人でも食べられる程度なのでなかなかいける。

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トイレ休憩の折には深夜ゼロ時を過ぎた真夜中にも関わらず何故かギターを持った若者達がいるものだから不思議に思っていたが, どうやら彼らは旅芸人のようだ。トイレ休憩からバスが出発すると10分程バスの中でギターを弾きながら歌を歌う。(これがお世辞にも上手いとは言えないのだが。。)

一通り曲が終わるとチップを貰いに乗客を回るのだ。自分が座っていた窓際の席は届きにくいためマシなのだが,通路側だと断りにくい雰囲気もある。この後のバス旅行でも彼らのような流しのギタリストを沢山みかける事となる。

また何故かドリアンを購入した猛者がいてしばらく激臭が車内に蔓延するなど単にバスに乗っているだけでも色々なイベントが発生するからこの国は面白い。

まだ朝までには時間があり再びバスの中で眠りにつこうとする。しかし鶏の鳴き声が時折聞こえてくる。どうやら深夜バスに鶏を持ち込んでいる乗客がいるようだ。。

トバ湖からブキティンギまでの道はパックパッカーの神様とも呼ばれる作家の下川裕治をして世界四大悪路と言わしめたルート。確かに揺れはあるのだが, どこでも寝られる体質が幸いしていつの間にか熟睡していた。朝5時ぐらいの途中休憩も降りずに寝続けた。

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しかし朝9時頃太陽の光に目を覚ますとバスが止まっていた北スマトラ州から西スマトラ州に入る州境を超えた頃だったと思う。道が曲がりくねっているため先まで見えないのだが,どうやらバスやトラックの長い列ができているようだ。列の先まで歩いて行ってみると, そこにはスタックするトラックの姿が。

バイクや自動車は横から通り過ぎて行く道幅があるのだが, バスやトラックは曲がり切れないので立往生していたようだ。集まった人達が協力してトラックの荷台に積まれた土嚢のような荷を一つ一つ降ろしていく。そして荷が空になったところで・・・

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 1・2・3を意味するサトゥ・ドゥア・ティガーの掛け声で皆でトラックを押し込む。

・・・が、ダメ!コンクリート破損部にタイヤがスタックしたトラックは人の力ではなかなか抜け出せない

皆困って騒いでいる一方で, インドネシアらしい光景だなと一人感慨にふけっていた。日本でも東名高速道路ができる前はこんな感じだったのだろうかとか考えてしまう。でもこのままでは自分も次の町へ辿り着けそうもないのでインドネシア人に混じって一緒にトラックを押す国際協力をする。

でも国際協力の甲斐なく, 離脱する事はできなかった。結局別のトラックにワイヤーで引っ張って貰う事でようやく脱する事ができた。(最初からそうすれば良かったのにという気もするが。。。)

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そして正午を回った頃ようやくブキティンギに到着である。ここまで来ればスマトラ島も半分程を南下した事になる。

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ブキティンギは観光の町だけあってよく整備されていて気持ちの良い街だ。高原地帯だから空気も良いのだろうし, 気温も心地よい。外国人対応のゲストハウスも中心部に複数あって探すのにも困らなかった。今回は下のHello Guest Houseに到着。少し休んでから街に繰り出す事にした。

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【バタック文化】インドネシア横断旅:前編その五:スマトラ島少数民族との出会いhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%90%e3%82%bf%e3%83%83%e3%82%af%e6%96%87%e5%8c%96%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%9a%e5%89%8d%e7%b7%a8%e3%81%9d%e3%81%ae/Wed, 15 Apr 2026 13:18:19 +0000https://madam-uae.com/?p=11165バンダアチェからロクスマウェメダンを経由してブラスタギへ到着した。その翌日となる今回は移動距離こそ短いが, 少数民族文化を堪能しながらスマトラ島随一の観光地であるトバ湖を目指して移動する。

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ブラスタギのシンボルであるこの塔は昨夜はよくわからなかったが, 朝見るとなかなか立派であった。独立戦争のモニュメントのようだ。

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すぐ近くの果物市場を訪れてみる。広くはないが, 地元の食材に彩られて非常に絵になる。

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市場を出たところにあった町の博物館。朝早かったので開館時間には早いようだ。この近くの観光案内所でトバ湖への行き方を尋ねようと思っていたのだが, ここも日曜日で残念ながら休みであった。観光案内所なのに週末が休みなのに若干の理不尽さを感じるが, 仕方ないので町のバスターミナルへ行ってみる事とする。

町の大通りに沿った中心部を抜けて, 別の市場に行く。ここの門前がバスターミナルとなっている。といってもターミナルというよりはバスの発着場と言った方が良いかもしれない。停まっているバスも大型ではなく, 中型車ばかりだ。市場とごちゃまぜになっていて, どこにどこ行きのバスがあるのか全く分からない

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市場の中はこんな感じ。果物以外が中心となっているようだ。子供が一生懸命に店の手伝いをしていて, それを周りの子供達が眺めている。アジアの市場や商店は家族経営が多いので, 子供が店の手伝いをしている姿をよく見かける。

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奥の青い籠には生きた鶏が数えられない程いて喧騒がすごいアスファルト舗装もきちんとしておらず足元が汚いから歩きにくい。結局ここからトバ湖のパラッパ行きバスは出ていないようなので一旦ホテルに戻る。

ホテルの人に今日どうするのか聞かれたのでトバ湖へ移動する事を伝えるとタクシーを薦められた。このタクシーが600,000ルピア(約4,600円)とインドネシアの物価を考えれば非常に高い。(それでも宿泊者には安くしているそうなのだが)ここで手配するには凄く高いので最初は断った。

ただローカルバスで行くにはバスを何度も乗り継いでいかなければならなく難易度が高い。それでもトライしてみようとゲストハウス前を通るローカルバスを待っていたのだが, 結局どれがそのバスなのか全く分かりそうもない

仕方ないのでタクシーで行こうか迷っていると, よく聞けば伝統的な家屋が残る村と観光スポットの滝にも寄っていくツアータクシーだった。時間もトータルで6時間はかかるそう。移動距離で考えれば割高と思っていたが, 拘束時間で考えればGrabと大きく変わらない。値段は高いが, 結局これで行く事にした。

車を用意してくると言うので隣のカフェでインドネシア語の勉強をしながら, ドライバーを待つ。

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30分以上待ってから10時半頃にようやく出発である。

トバ湖方面への道はよく整備されているが, インドネシアではあまり多くない教会を頻繁に目にする。この地域に居住するバタック族はクリスチャンが中心だ。

この地域では犬を食べる文化があるらしい。上の写真の左にレストランがあるのだが, 看板にB2と書かれている。一方で下の写真右には看板にB1とある。両方とも同じBBQレストランだそうだが, 犬肉と鶏肉の違いがあるのだそうだ。どちらのBBQレストランなのか分かるように看板を出しているのだとか。日本でも昔(戦後)は犬を食べる文化があったと教えたら驚いていた。

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通行量の多いメイン通りから横にそれて, 伝統的な家屋が残る村へ入っていく。村では子供を沢山みかけた。

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入村料を支払ったが, 百数十円ぐらいと安価であった。屋根が特徴的な伝統家屋。南国によくある高床式である。観光用ではなく実際に何家族かが中に住んでいる

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高床下には藁で編んだ駕籠みたいなのがある。聞くと鶏の卵を受けるところだそうだ。外にあった竹製の物干し竿には洗濯物が一杯

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村では遊んでいる子供達が一杯いて, フレンドリーに挨拶してくる子もいるが, 恥ずかしがり屋で大きくアピールをしてこない子もいる。でもいずれにせよ外国人には興味津々といった感じで家の入口からこちらをじっとみつめていて可愛い。

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村の中には売店もあり, スナックや飲み物を購入できる。家の壁の一部に商品が陳列されている形だ。住居も兼ねているのだろう。 インドネシアでは大きなパラボラアンテナをよく見かける。TVが大きな娯楽なのだろう。

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屋根が特徴的なこの村の伝統家屋だが, 日本でも愛知県犬山市リトルワールドというテーマパークでバタック族の家屋が展示されているそうだ。家屋は1947年に建てられたものを移築したそうだが, 戦争直後なので太平洋戦争の様子を描いた絵が描かれていたりと大変興味深いものである。(空の神兵と称されたパレンバンの落下傘部隊などが描かれている)

この村とは別に地球の歩き方にも掲載されている村が他にあるのだそうだが, 家屋は多く残っておらず観光客も多いと聞いた。この村は自分以外に旅行者は一人もおらず落ち着いた雰囲気でのんびり過ごすことが出来てとても楽しめた。

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小さなはしごを登って, 家の中に入っていく。家には子供の勉強用なのかアルファベットの表も貼ってある。

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二階が屋根裏となっており, 木材などを保管する倉庫として使われていた。母親やお姉さんは食事の準備中だ。靴を脱いで家にお邪魔させて貰った。

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子供はどこでも可愛い。奥には毛布・布団がしまわれている他, 結婚式の写真や子供達の入学・卒業写真のようなものが沢山飾られていた。こういった辺境地域に住む人達もそうしたイベントの想い出を大切にするんだなとなんとなく親近感が湧いた。

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いくらかお礼を包んで家を後にする。

日本でも白川郷五個荘など飛騨・北陸地域に似たような感じの伝統家屋も残っているが, 維持が大変という話も聞く。ここの地域でこういった伝統家屋が無くなっていくのも似たような事情があるのではないのかと思えた。

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しかしこの小さな村は子供は沢山いるし, のんびりして落ち着けるし凄く良い場所だ。村を出ていく途中にはやはり教会があり, 小さな村なのに三, 四軒もあった。

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村を離れてトバ湖を目指して南下していく。途中から道沿いに沢山のオレンジの屋台をみかける。下写真なんかは屋台というより木と木の間で屋根を作っただけ青空売店である。こういう屋台が道沿いに何十店も並んでいてもんだから正直同じものばかり売って, 過当競争にならないのか心配なのだが, ここまで買い付けにやってくる業者みたいなのがいるのだろうか。

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途中の工務店みたいなところで自動車の空気圧をチェック。大丈夫だったので直ぐにそのまま出発したが, 後ろに泊ったデコバスがめちゃめちゃ気になる。

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その後も途中大きめの街で市場があったり道端でよく見かける教会建築を楽しみながら進む。

さっきの村では伝統衣装は見かけなかったが, 道中民族衣装を着ている人もちょいちょい見かける事ができた。写真を撮り逃して後々すごく後悔したが, 民族衣装のまま畑作業をしていたり教会に集っていたりする姿は本当に美しい。ここではクリスマスを何日間か祝う文化だそうで民族衣装を着ている人が多い期間なのだとか。

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山の方へ向かって走っていくと自然の景色が美しい場所へ到着した。ここは大きな滝が臨めると同時にトバ湖を見渡せる絶景スポットで地元の観光客が数えきれない程訪れている。

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地元女子も思わずインスタ映えを狙って写真撮影?I♡SIPISO PISOのモニュメントで撮影大会である。SIPISO PISOはここの地名でTシャツにもなっているほど地元では名の知れた観光地のようだ。

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確かに圧巻の自然景色だ。トバ湖は何気に物凄く大きいので果てが見えない。

滝壺の方に降りていこうとすると, 途中で道が壊れていたりと足元に気を付けながら進まないとならない。

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結局途中でスコールが始まってしまったので, 最後まで行かず撤退する事とした。

再び車でパラッパという町を目指す。道はアスファルトが壊れていたり, 謎の石が道を塞いでいたりと色々あったが, 色々なアトラクションも備わっている眺めの良いスポットで休憩したりと飽きる事なく楽しめた。道中は車に入っていたバタック音楽のCDをかけながらでの移動であった。

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そしてブラスタギを出発してから6時間程経った16時半頃やっとトバ湖畔の町パラッパに到着。ここはトバ湖周辺を訪れる旅行者の拠点となるま町だ。そのため, インドネシアに来てからやっと白人バックパッカーが街を歩く姿を複数人目にした。

旅行代理店に行って貰い, ここで次の町へのバスの予約を済まそうとすると, もう何日も先までバスの予約が埋まっているという。年末年始で観光客が多いのだそうだが, まだまだスマトラ島の1/3も進んでいないので困ってしまった。

それじゃジャカルタにも辿り着けないぞと焦っていたところ, 予約が一杯なのはツーリストバスでローカルバスなら5時発の今から出るバスに乗れるかもしれないそうだ。

早速電話で空いているか確認して貰ったら, 空いているとの事であった。今日は本当ならトバ湖に浮かぶサモシール島でゆっくりしていきたかったが, この日は道中でバタック文化を結構楽しめたので, 諦めて次の町となるブキティンギへ向かう事とした。

  

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【内陸高原地帯ブラスタギへ】インドネシア横断旅:前編その四:鉄道に沿って辿り着いたメダンの街はスルーhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%86%85%e9%99%b8%e9%ab%98%e5%8e%9f%e5%9c%b0%e5%b8%af%e3%83%96%e3%83%a9%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%82%ae%e3%81%b8%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad/Tue, 07 Apr 2026 13:47:01 +0000https://madam-uae.com/?p=11162前回バンダアチェからロクスマウェまで移動してきたが, 今回は更にメダンを通過してブラスタギまで移動した。

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朝宿の食堂でご飯を済ませる。前夜は気付かなかったが, なかなかのロビー。壁にはスマトラ津波の時の写真が。

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ホテルを出て100円ぐらい(うっかり前日の5割増し料金で払ってしまった)支払ってベチャで昨夜のバスターミナルへ。ロクスマウェの時計台モスクを横目にしながら移動する。

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配車アプリが使えないこの町では, ベチャが庶民の足である。

メダン行きバスは9時出発の予定だったが, 40分くらい遅れてバスがやってきた。料金は1000円弱である。結局出発は10時頃。もはやこれぐらいの遅れで驚きはしない。。。とはいえ目的地のメダンに日没後に到着するのは避けておきたかった。

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中の座席はリクライニングが結構できて横幅もしっかりあり, 快適。そしてバス後方部には喫煙ゾーンも存在するのがインドネシア流。降りる時に撮影した下の写真にあるように後ろの扉向こうではタバコが吸えるようになっている。

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最初しばらく寝ていたが, 起きた頃にはアチェ州と北スマトラ州の州境のあたりであった。前日のミニバスが暴走運転だったので大分ゆっくりに感じた。隣の乗客が自分のポケットに指を忍ばせてくる感触で起きてしまった。うーん、昨晩の人達はめちゃめちゃいい人達だったが、やはりメダンに近付いてくると油断できない。

左側の窓を眺めていると, 鉄道の風景がところどころで見られる。洪水していた街の近くの川では鉄橋の建設工事(又は復旧工事)も行われていた。どうやらかつて運行されていたメダンとアチェを結ぶ鉄道を再建する計画があるようだ。

また途中で洪水が発生していたようで家屋が水に漬かっている街も。

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陽が暮れる前に到着したかったのだが, 結局スマトラ島最大の都市であるメダンに到着したのは19時半となり10時間近くかかってしまった。メダン駅の西方に位置しているバス会社のKurnia社専用ターミナルに到着だ。

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メダンの街歩きはアチェへ行く前に終えていたからこの日中に更なる南下を試みる。メダンの観光案内所で貰ったブラスタギ行きバス会社のメモを改めて見たところ, Kurnia社もその一つであった。なので, このターミナルでブラスタギ行きのバスはあるかと一生懸命インドネシア語で尋ねると, (おそらく時間的に) もうないという事だった。

仕方ないので隣の建物であるショッピングセンターへ移動して作戦を練る。ガイドブックによれば公共のバスターミナルへ行けば, まだ運行されているバスがあるはずだが, バスターミナルに行くなと観光案内所で警告されていたので, それを使うのも気が引ける。

インドネシア一治安が悪いと言われる街で夜間にあまり色々と動きたくなかったので, バスターミナルへ行くのはやめる事にした。その代わりGrabで調べたところタクシーで移動しても2,000円強で済む事が分かったので, 20時頃ショッピングセンターからブラスタギへ直接移動する事とした。

ショッピングセンター前でドライバーと待ち合わせたところ, Grabドライバーに友達のドライバーを紹介される新しいパターンであった。Grabの注文はキャンセルとなったが, どうやらこのドライバーは自分が住んでいるブラスタギの街へ帰るところであったみたいだ。

ドライバーは若い人で助手席に座ったため, 色々しゃべったのだが, スラウェシ地震の画像を沢山見せてくれた。その中から下記に二つ抜粋。他のものは掲載できないが無数の死体が並ぶ衝撃的なものであった。日本人も自然災害とは切っても切り離せない関係であるが, インドネシアも屈指の災害大国である事を実感した。

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そうこうしているうちに高原の避暑地ブラスタギへ到着した。時刻は日もそろそろ変わる23時半頃。ここではモスクよりも教会の方が沢山ありキリスト教が中心だ。今朝までいたイスラム教色の強いアチェ州とは対照的である。地球の歩き方に掲載されていたロスメン・シバヤにチェックインする。一泊200,000ルピアと1500円程度。 

街を歩くと, おそらくメダンから来ているのであろうインドネシア人観光客を沢山みかける。欧米系バックパッカーは全く見かけず地元人ばかりであった。時間はもう23時頃だが, 年末休暇だろうか夜の屋台でご飯を食べる家族を沢山みかける。

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明日トバ湖へ移動するための情報収集をする。宿泊したゲストハウスの手配だと結構値段がはるため, ローカルな手段で移動できないか色々聞いて回るのだが, どうも何度も路線バスを乗り継がなければならないそうで難易度が高そうだ。朝になれば観光案内所が開くみたいだから, また明朝に行動する事として今夜は寝ることとした。

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【メッカのベランダ】インドネシア横断旅:前編その三:アチェで考える津波と戦争と平和https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%83%a1%e3%83%83%e3%82%ab%e3%81%ae%e3%83%99%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%9a%e5%89%8d%e7%b7%a8/Sat, 04 Apr 2026 14:36:58 +0000https://madam-uae.com/?p=11159f:id:snowm-blog:20190128224746j:plain

翌朝はホテル(何故か大量のぬいぐるみが販売されている・・・)のバイキングで朝飯を済ませて, 津波博物館に向かう。ここは英語名だとTsunami Museumである。

グラブで頼むと女性ドライバーだった。イスラムの戒律が厳しいこの地域だが, 女性が働くことには寛容のようだ。知り合ったガイドの娘も大学に行っていると言っていたし, 女性の権利が制限されている雰囲気は感じられない。とはいえアチェ州では公衆の面前での愛情表現が禁止されるなど, 保守的なので気を付けなければならない。

タクシー車内はピンク色を基調としておりハローキティグッズに溢れているのが, 日本の田舎で軽自動車を持つ若い女性のイメージと似ていて面白い。タクシーはUberで100円程度だった。

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津波博物館はスマトラ沖地震の様々な展示がされていて, 地元の人もたくさん訪問していた。早速チケットを購入して中に入る。料金は77円ぐらい。外国人は受付で国籍を記入しなければならない。聞くと日本人もちょいちょい来ており数日前には展示会で沢山来ていたそうだ。

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館内には津波の事を思い出したくない人や体の弱い人は入館しないように注意書きがされていた。

※ここから先は津波関連の写真が沢山でてくるので抵抗がある方はご遠慮下さい。

被災したヘリコプターの展示を横目に館内へ入っていくと, 水の流れていく音が聞こえる真っ暗な通路をしばらく歩く。

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足元が見えないほど暗いため結構ドキドキなのだが, 通路を抜けると一人一人の犠牲者の名前が壁に書かれた部屋にたどり着く。写真では分かりにくいが, 四方の高い壁全面に小さく名前が書かれているのだ。

死者数は報道等で分かってはいるのだが, このように個人名が並ぶと一人一人に自分と同じようにそれぞれの人生を抱えていた者達が如何に多く亡くなった事か, どこか他人事のように聞こえていた話が急に身近で起こったものとして感じられた。震災は悲しみの記憶であるが, 一方で世界各国から救援チームが駆けつけて活動が行われた。そういった面を記憶していくための絵画も展示されていた。

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震災時にはオールドテクノロジーが役立つ。日本でも東日本大震災後に機能しなくなった東北本線の代わりとして石油を積んだ古いディーゼル機関車が磐越西線を走ったし, 携帯も機能しないような災害時に便利なラジオの力が改めて認識された。ここでは象の力が瓦礫撤去(人力ならぬ象力?)などに役立てられたようだ。

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津波に飲み込まれる街の模型展示も。

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上の階には薄暗い照明の中で津波にあった家屋の様子が再現されていた。また短冊のように沢山のメッセージを記載したものが吊り下げられたコーナーもあった。中には日本語のメッセージも散見された。

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そして日本コーナーもあった。東日本大震災の写真も展示されている。浜口梧陵という人の特集展示がされていた。彼は幕末の和歌山で津波(安政南海地震)があった際に到着前の避難や被災後の復興に尽力した人で,国連が定める津波の日の元ネタになった人物でもある。彼の活躍は稲むらの火として戦前では国語の授業の教材であった。

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博物館の吹き抜けの天井には救援活動に尽力したのであろう各国の国旗が。博物館の外は子供達の遊び場と化している。この博物館の素晴らしいのは記憶を展示するのみならず, 災害時には避難所としての機能を有していることだ。

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博物館は一時間半ほどで見学を終えて, 二ブロックほど先にあるグランドモスクへ移動。

インドネシアではこのように道路に穴が開いているため, 下を見ながら歩かなければならない。

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グランドモスクは流石に圧巻だ。東南アジア一のモスクとの呼び声も伊達ではない。入場には靴を脱いで預ける必要がある。

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市民の憩いの場としての役割もあるのか, 何をするでもなく皆思い思いに過ごしている。中には結婚式の写真や動画を撮影している人たちも。

津波の時は何百人もの人達がここに避難したそうだ。宗教施設でもありながら地域の集会所としての役割もあるみたいで, 観光用というよりも地域に根付いた施設となっている。

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この後はまた100円のUberでホテルへ一旦戻ってチェックアウトを済まし、前日に購入したバスチケットでアチェ州第二の街であるロクスマウェを目指す。バンに乗せられて一旦バスターミナルへと移動して、そこで乗客が全員載せられて出発する。この際に再度チケット代をしつこく要求されたのだが前日に支払い済みだと何度か主張したらことなきを得た。前日に払ったバス移動費は120,000ルピア。 

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バンダアチェの空港に降り立った時, ロクスマウェへ行く方法を訪ねたところアルンLNGの関係者かと問われた。この町はLNG基地がある事で有名なそうだ。

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正午に出発して東進していくのだが, 道沿いにはほぼ絶える事無く, 小さな集落が目に付く。なんとなくスマトラ島は秘境なイメージがありジャングルが広がっているのかと思っていただけに意外な光景であった。

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途中休憩のガソリンスタンドにて。アチェ州ではアチェ民族帽子をかぶっている男の子を沢山みかける。

途中で工事で土の区間もあったが, 基本的に道中はすべてアスファルト舗装されていた。

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途中バナナチップを購入。150円ほどしてインドネシアにしては結構高いなと思っていたら食べきれないほど大量にもらってしまった。

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クレイジーなあおり高速走行で結局ロクスマウェに着いたのは日没の6時半頃。適当にドライバーの知っているホテルで降ろして貰った。

チェックインしてから10,000ルピアのベチャで街のバスターミナルへ行く。この街にはタクシーがないらしく移動手段はサイドカー付きバイクであるベチャしかない。明日メダンに行くためのバスケットを購入しておく。出発は9時だ。

それから80円のサティを食べたり, 50円のコーヒーを飲んだりして街中をブラブラしていると街のモスク横にある広場では遊具と遊んでいる子供達が沢山。

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ミニチュアな釣りや回転木馬, ゴーカート, お絵描き, 果てはエレクトリカルパレードのような乗り物まで登場してテーマパーク状態となっている。

アチェ州では確か子供が外で遊んで良い門限のような時刻が9時ぐらいで決まっていた気がするが, ギリギリまでは遊んでいるようだ。

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ホテルへ戻る途中に市場のような場所があったので入ってみると, 地元の人たちに話しかけられて仲良くなった。聞くとここは明るい時間帯は宝石市場なのだとか。アチェ州には宝石の採れる場所が結構あり, 彼らも売り買いをする商売人だそうだ。今晩深夜から宝石が採れる内陸のタケゴンへ移動する予定だとの事。

タケゴンは風光明媚な場所であまり知られていない山岳リゾートらしく明日ブラスタギまで行こうかなと言ったらタケゴンへ行くのを強くお勧めされた。時間的制約もあり行くのは適わなかったが, 気になる街だ。

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まだ時間もあったので一緒にカフェへ行く。深夜にも関わらず多くの男達がくつろいでいる。支払いは彼らに奢ってもらってしまった。珈琲をおごってもらってしまった上に商品サンプルとして使っている指輪まで貰ってしまった。旅の経験上最後に見返りを要求されるパターンも頭に浮かんでしまったが結局そんなものは求められずじまい、本当にいい人だった。しかもこんな場所に来る日本人は珍しいのか, 勝手にインスタライブまで始まってしまっている。

LNG基地に来る外国人はいないのかと尋ねるのだが, 彼らは街には出てこないのだそうだ。

彼らの一人は土木測量技術者をやっていたため油ガス田構造調査に用いる物理探査の仕事を一時期していたようだ。スマトラ地震後には日本の大学教授と被害調査や復興の取り組みもしたそうだ。しかし, それは特異な例のようでガス田開発のためにアメリカ企業が雇う従業員は地元の人間は多くなくジャワ島から連れて来た人ばかりなのだとか。

なんとなくもやもやした気持ちになるのだが, 嬉しい発見もあった。後からやってきた彼らの友達が職業軍人だったのだが, 彼はジャワの人間であった。アチェ州は津波が来るまで長く独立戦争をしていた。特にロクスマウェは北スマトラ州に近い街であるためインドネシア軍の基地が置かれて, その前線でもあったのだ。この戦争には日本人も無関係ではない。インドネシアの独立戦争に多数の残留日本兵が加わったのはよく知られているが, アチェ州のインドネシアからの独立戦争にも初期に協力していた日本兵がいるからだ。そして近年まで独立戦争は続くのだが, スマトラ津波を機に独立勢力は戦争を辞め, 地域の復興では存在感を見せたインドネシア政府の力がアチェの住民に認められた。

和平が結ばれ平和の時代が訪れるのだが, そうした悲しみの歴史を経て, こうして中央政府のあるジャワ島出身の軍人アチェ州の住民日本人一つのテーブルを囲んでお茶しているという事実には歴史を考えれば大変感慨深いものがあると感じた。少なくともインドネシアがこれまでの悲惨な歴史を乗り越えて未来へしっかりと前へ歩んでいる事を確かめられたのはこの旅での大きな収穫であった。

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【そんなところに日本人】インドネシア横断旅:前編そのニ:辺境の街で暮らす日本人https://madam-uae.com/%e3%80%90%e3%81%9d%e3%82%93%e3%81%aa%e3%81%a8%e3%81%93%e3%82%8d%e3%81%ab%e6%97%a5%e6%9c%ac%e4%ba%ba%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa%e6%96%ad%e6%97%85%ef%bc%9a/Fri, 27 Feb 2026 12:57:24 +0000https://madam-uae.com/?p=11150その次は港へ行ってみる事にする。 

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上のように小学生ぐらいの女の子がスカーフをした状態でバイクの後ろに乗っている可愛らしい姿をよく目にする。子供×スカーフ×バイクという何故か凄く印象に残るライフスタイルであった。 

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海が見える道沿いにはとうもろこし屋台が沢山あって夕日を見ている人が沢山いた。とうもろこしを食べながら日没を眺めるのが地元で流行っているんだとか。

またフェリーターミナルでは周辺の島へ行くための船が出ているそうだ。特にサバン島はダイビングスポットとして人気があるそうで現地在住の日本人女性もダイビングショップで働いているのだそうだ。

地元の人達の暮らしが気になって家を見せて貰えないかと頼むと友達の家へ連れて行ってくれる事になった。しばらく走って閑静な住宅街の路地へ入ると, そこには親子3人で暮らす小ぶりな友人宅に入れて貰った。

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ブラウン管TVを久しぶりに見た。長く使っているそうで, 最近は薄型の方が安いそうだ。棚の上には結婚式の写真が沢山飾ってあった。電気は引いているが, 水は整備されておらず井戸と飲料用には飲料水を買っているそうだ。

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隣の小屋にはパン工房があった。

彼はガイドと同様にベチャのドライバーなのだが, それだけではやっていけず副業として毎朝パンを焼いて, カフェの隣に屋台を出して売るそうだ。

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上の機械はスマトラ大津波の時に遠くまで流されたそうだ。そして下の機械のように見付けられなかったものは新しく購入したので一つだけピカピカだ。使っている機械は6万5千円や8万円ほどするそうで, インドネシアの平均年収を考えると相当大きな経済的負担であった事が分かる。

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この後, バスターミナルへ行って貰い, アチェ州第二の都市であるロクスマウェ行きのチケットを購入した。値段は1000円弱である。といっても大型バスターミナルは別にあるそうでワゴンタイプのバスターミナルのようだ。駐車場の周りには沢山のバス会社がチケットオフィスを構えている。

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上のPT. PUSAKAという会社でチケットを購入した。バスは一時間おきに出ているそうだが, 翌日の予定を考えて, 正午にホテルのロビーまで迎えに来て貰う事にした。どうやら日本人がここに来るのはやはり珍しいそうだ。

お腹が空いたのでローカルレストランでミーゴレンを食す。アチェのミーゴレン(焼きそば)はミーアチェとも呼ばれ他の地域とは異なるそうだ。特に太い麺と辛い味付けが特徴だそうで, 麺がモチモチしていて美味しかった。二人分の食事と飲み物代で220円程度。さすがの安さ。

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食後に向かいのカフェでコーヒーを購入。ここは外国人も買いに来る事のある有名店だそうだ。特に有名なコピ・ルアクが100円くらいで飲む事ができる。コピ・ルアクは日本だと数千円もするような世界一高いコーヒーと言われている。日本はもちろんの事, ジャカルタバリで飲んでも高価で貴重な珈琲だが, ここでは恐ろしく安い。でもガイドはジャコウネコの糞から出来たコーヒーだが俺は飲まないんだそうだ。お土産を持って帰りたかったが, 旅を始めたばかりのタイミングで荷物を増やしたくなかったので断念。

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この後ガイドの友達である現地在住日本人の家を訪問した。彼は元々プーケットで漁業を営んでいたそうだが, スマトラ地震でプーケットが甚大な被害を受けた後にスマトラ島へ来たそうだ。アチェに来た当初はインドネシア海軍の基地に漁船を停泊させてもらっていたとの事。ここでは日本人が三人ほどいてもう一人も漁業関係で来ていて, もう一人は欧米人と結婚してサバン島のダイビングショップを夫婦で経営しているのだそう。

また付近のサバン島へ行った時の話を聞いたのだが, 住人に渡された島の地図には日本語がしるされていたそうだ。戦争中に日本軍が製図した地図が非常に精巧でそれが今でも使いまわされているとの事。また島には日本人の墓もあり明治の頃より日本人が来ていたそうだ。マラッカ海峡の入り口にあたる要衝なので日本人の漁師達なのだろうか。。彼が訪れた時にはもちろん草木に埋もれた状態だったそうなのだが、地元住民にお金(当時初めてきたばかりの頃で相場がよく分からず数万円渡したところ)を渡して一日にして完璧に奇麗に掃除がなされたのだとか。

ところでアチェは美人が多いそうだ。 確かにこの街では東アジア系の顔立ちの人は多くないように思え, メダンとは違うなと思っていたところだ。聞くと, ここではヨーロッパ・インド系の顔立ちの人も多いという。碧眼の人もたまにいて田舎の村ではその遺伝子が途切れないよう皆で守る風習があるとも聞いた。その時はへーそんなこともあるのかと他人事のように聞いていたが, 翌朝ホテルのレセプションでチェックアウトするときに気づいた。

目の前のホテルスタッフの女性が碧眼だったのだ。灯台下暮らしというのだろうか。まさかこんな身近にいるとは思わず驚いた。この人のように青目でなくともバンダアチェの人達はどこか他の地域のインドネシア人とは顔立ちが異なる気がする。やはりマラッカ海峡の入り口にあたる要衝のため海洋貿易の時代に欧州系の血が結構入っているのだろうか

他にも日本のTV局から取材の依頼がしつこいとかそんな話をしていて時間が過ぎてしまい日本人と別れたのは日が変わろうかという時間帯。お礼を言ってからホテルへ戻り, 最後に200,000RPと安物ではあるが, この日が誕生日だったドライバーに身に付けていた腕時計をプレゼントして再開を約束し寝床に着いた。

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【大津波に襲われたアチェの街】インドネシア横断旅:前編その一:有名ガイドの案内で行くhttps://madam-uae.com/%e3%80%90%e5%a4%a7%e6%b4%a5%e6%b3%a2%e3%81%ab%e8%a5%b2%e3%82%8f%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%82%a2%e3%83%81%e3%82%a7%e3%81%ae%e8%a1%97%e3%80%91%e3%82%a4%e3%83%b3%e3%83%89%e3%83%8d%e3%82%b7%e3%82%a2%e6%a8%aa/Tue, 24 Feb 2026 13:08:55 +0000https://madam-uae.com/?p=11146バンダアチェイスカンダルムダ空港に降り立った。ここがインドネシア横断旅のスタート地点となる街だ。

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旅の計画をざっくり言うと, ここからバスでスマトラ島を縦横断して, 船でジャワ島へ渡り更にバリ島, ロンボク島, コモド島, フローレス島, チモール島へと東へ東へアイランドホッピングしていく計画であった。

ただ結論から言えば当初予定の四分の一ぐらいしか進められずジャカルタ止まりとなった。その理由はスマトラ島があまりにも大きくて日数が足りなかったからだ。まぁ広大なインドネシアを横断するのは元々無理があるとは分かっていたので, また次回訪れた際に続きをやりたいと思う。

とにかくインドネシアの西端バンダアチェから今回の東進していく旅は始まったのである。空港へ降り立つと出口には沢山のタクシードライバーが, 待ち構えていた。インドネシアではよくある光景だ。とはいえ空港の規模が小さいからか, 殺伐とした雰囲気はない。それでもすぐには信用せず先ずはグラブ(配車アプリ)で適正料金を調べる。

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空港のベンチに座って調べるとドライバーに見せられた料金表はほぼ適正価格であることを確認できた。バンダアチェ市内までは100,000RP(770円)だ。料金表を見せてきた人の車に乗り市内まで向かって貰うこととする。

途中でアチェ州第二の都市ロクスマウェまで行きたいんだけど, どうやって行けるのかと尋ねると

日本語できる友達いるからちょっと待っててといわれてしばらくまつと電話を渡された。電話に出ると相手は流暢な日本語を喋るじゃないか。

インドネシアには戦時中に来てそのまま残った人も多いと聞いていたのでもしかして残留日本兵?と疑問がよぎりつつも, よくよく話を聴くと日本語ができるインドネシア人であった。彼には色々聞きたかったため, とりあえず向かっているホテルにて待ち合わせする事にして市内へ向かう。

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この街を訪れたのはクリスマス直後だったが, クリスマスの雰囲気は微塵もない。聞くと大晦日や新年のお祝いすらしないという。

一時間弱ぐらい走っただろうかホテルに到着した。一泊4000円ぐらいだったと思うが立派なホテルだった。後で聞いたところ, この街では高級なホテルの部類に入るようだ。部屋もロビーも広くて申し分ない。外国人はほとんどいないのか, ムスリムの格好をした人ばかりであった。

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受付で貰った市内マップで観光スポットをチェックする。今回訪れることは無かったが郊外の方を見ると日本軍上陸モニュメントというのもあるそうだ。アチェはインドネシアを統治したオランダへの抗争が最も激しかった地域である。そのため独立勢力が上陸の手引きをしていたそうだ。(とはいえその後は泥沼の戦争がつい最近まで続く事になる)

ロビーで先ほど電話で話したガイドと待ち合わせる。仕事用の英語名はLittle Johnというそうだ。何とWikitravelにも掲載されているこの町の名物ガイドだそうだ。ベチャにはWi-Fiを備え付けており, 英語ドイツ語も話せるというハイスペック人材である。言語はメダンのインターナショナルスクールで習ったのだそうだ。

一時間ぐらいで100,000RP(770円)の約束で適当に彼のベチャで街を回って貰う事にした。

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先ず最初に向かったのは洗濯屋だった。ホテルのラウンドリーは価格が非常に高いので街中の庶民が使うところへ行って貰う。 特急扱いで値段は300円ほどだった。

それから次に向かったのはスマトラ大津波の遺構である。

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 日本の津波でもしばしば目にした建物上に漁船が乗っかってしまった遺構である。この街では後世に伝えていくためにこういった津波の記憶を遺すことにしたそうだ。辛い思いもあったであろうに立派な決断であると思う。入場料は特になかったものの, 募金箱があったのでいくらか寄付をさせて貰った。

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その次は港へ行ってみる事にする。 

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上のように小学生ぐらいの女の子がスカーフをした状態でバイクの後ろに乗っている可愛らしい姿をよく目にする。子供×スカーフ×バイクという何故か凄く印象に残るライフスタイルであった。 

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海が見える道沿いにはとうもろこし屋台が沢山あって夕日を見ている人が沢山いた。とうもろこしを食べながら日没を眺めるのが地元で流行っているんだとか。

またフェリーターミナルでは周辺の島へ行くための船が出ているそうだ。

特にサバン島はダイビングスポットとして人気があるそうで現地在住の日本人女性もダイビングショップで働いているのだそうだ。

地元の人達の暮らしが気になって家を見せて貰えないかと頼むと友達の家へ連れて行ってくれる事になった。

しばらく走って閑静な住宅街の路地へ入ると, そこには親子3人で暮らす小ぶりな友人宅に入れて貰った。

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ブラウン管TVを久しぶりに見た。長く使っているそうで, 最近は薄型の方が安いそうだ。

棚の上には結婚式の写真が沢山飾ってあった。

電気は引いているが, 水は整備されておらず井戸と飲料用には飲料水を買っているそうだ。

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隣の小屋にはパン工房があった。

彼はガイドと同様にベチャのドライバーなのだが, それだけではやっていけず副業として毎朝パンを焼いて, カフェの隣に屋台を出して売るそうだ。

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上の機械はスマトラ大津波の時に遠くまで流されたそうだ。そして下の機械のように見付けられなかったものは新しく購入したので一つだけピカピカだ。

使っている機械は6万5千円や8万円ほどするそうで, インドネシアの平均年収を考えると相当大きな経済的負担であった事が分かる。

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この後, バスターミナルへ行って貰い, アチェ州第二の都市であるロクスマウェ行きのチケットを購入した。値段は1000円弱である。

といっても大型バスターミナルは別にあるそうでワゴンタイプのバスターミナルのようだ。駐車場の周りには沢山のバス会社がチケットオフィスを構えている。

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上のPT. PUSAKAという会社でチケットを購入した。バスは一時間おきに出ているそうだが, 翌日の予定を考えて, 正午にホテルのロビーまで迎えに来て貰う事にした。

どうやら日本人がここに来るのはやはり珍しいそうだ。

お腹が空いたのでローカルレストランでミーゴレンを食す。

アチェのミーゴレン(焼きそば)はミーアチェとも呼ばれ他の地域とは異なるそうだ。特に太い麺と辛い味付けが特徴だそうで, 麺がモチモチしていて美味しかった。

二人分の食事と飲み物代で220円程度。さすがの安さ。

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食後に向かいのカフェでコーヒーを購入。ここは外国人も買いに来る事のある有名店だそうだ。特に有名なコピ・ルアクが100円くらいで飲む事ができる。

コピ・ルアクは日本だと数千円もするような世界一高いコーヒーと言われている。

日本はもちろんの事, ジャカルタバリで飲んでも高価で貴重な珈琲だが, ここでは恐ろしく安い。

でもガイドはジャコウネコの糞から出来たコーヒーだが俺は飲まないんだそうだ。

お土産を持って帰りたかったが, 旅を始めたばかりのタイミングで荷物を増やしたくなかったので断念。

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この後ガイドの友達である現地在住日本人の家を訪問した。

彼は元々プーケットで漁業を営んでいたそうだが, スマトラ地震でプーケットが甚大な被害を受けた後にスマトラ島へ来たそうだ。アチェに来た当初はインドネシア海軍の基地に漁船を停泊させてもらっていたのだとか。

ここでは日本人が三人ほどいてもう一人も漁業関係で来ていて, もう一人は欧米人と結婚してサバン島のダイビングショップを夫婦で経営しているのだとか。

また付近のサバン島へ行った時の話を聞いたのだが, 住人に渡された島の地図には日本語がしるされていたそうだ。

戦争中に日本軍が製図した地図が非常に精巧でそれが今でも使いまわされているのだとか。

また島には日本人の墓もあるそうた。明治の頃より日本人が来ていたそうだ。

マラッカ海峡の入り口にあたる要衝なので日本人の漁師達なのだろうか。。

彼が訪れた時にはもちろん草木に埋もれた状態だったそうなのだが、地元住民にお金(当時初めてきたばかりの頃で相場がよく分からず数万円渡したところ)を渡して一日にして完璧に奇麗に掃除がなされたのだとか。

ところでアチェは美人が多いそうだ。 

確かにこの街では東アジア系の顔立ちの人は多くないように思え, メダンとは違うなと思っていたところだ。

聞くと, ここではヨーロッパ・インド系の顔立ちの人も多いという。

碧眼の人もたまにいて田舎の村ではその遺伝子が途切れないよう皆で守る風習があるとも聞いた。

その時はへーそんなこともあるのかと他人事のように聞いていたが, 翌朝ホテルのレセプションでチェックアウトするときに気づいた。

目の前のホテルスタッフの女性が碧眼だったのだ。

灯台下暮らしというのだろうか。まさかこんな身近にいるとは思わず驚いた。

この人のように青目でなくともバンダアチェの人達はどこか他の地域のインドネシア人とは顔立ちが異なる気がする。

やはりマラッカ海峡の入り口にあたる要衝のため海洋貿易の時代に欧州系の血が結構入っているのだろうか

他にも日本のTV局から取材の依頼がしつこいとかそんな話をしていて時間が過ぎてしまい日本人と別れたのは日が変わろうかという時間帯。お礼を言ってからホテルへ戻り, 最後に200,000RPと安物ではあるが, この日が誕生日だったドライバーに身に付けていた腕時計をプレゼントして再開を約束し寝床に着いた。

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